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一度だけ読んだハメット

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 僕はハメットを一度だけ読んだことがある。短編をひとつ、しかも翻訳された日本語で。それはいまから二十八、九年も前のことだ。『マンハント』というアメリカの雑誌の日本語版が毎月刊行されていて、その頃の僕はおそらくその雑誌に雑文を書いていた。だからその雑誌は僕の部屋にいつも何冊かあり、ある日あるとき、ふと手に取ったその雑誌に掲載されていたハメットの短編を、なぜだかわからないが読み始め、最後まで読んで僕は感銘を受けた。

 原題は確か『ホリデイ』(休日、邦訳は創元推理文庫〔稲葉明雄訳〕)だったと思う。あるいは、それにごく近い言葉によるタイトルだ。翻訳されたものとしてのタイトルを、僕は記憶していない。翻訳を読むのは僕にとっては非常に珍しい、と言うよりもこのときが現在にいたるもいまだに初めての体験だから、体験そのものはよく記憶している。いい翻訳だったのではないだろうか。

 登場する人物は男性ひとり、そしてその男性のストーリーは、きわめて単純なものだった。定職についていず、世のなかから少しだけ外れたところでいまは日々を送っている彼は、毎月おなじ日に、小切手を受け取る。かつて兵士として戦場へおもむき、そこで怪我をしたか病気になったかの償いとして、除隊後も一定額の小切手が毎月、彼のところへ送られて来る、というような設定だったと、僕は記憶している。

 この小切手を、いつものとおりに受け取った彼は、その日からひと月間の生活を支える収入のすべてであるその小切手を現金に換え、その日のうちにすべて使い果たしてしまう。溜まっていた支払いや出費が重なり、しかたなくそうなるのではなく、彼は意図的にそうする。たいした額ではないけれど、とにかくすべて使い果たして、そこで彼のストーリーは終わっていた。読ませていく力のある、良く出来た短編だった。

 そしていまから十五年ほど前、僕はハメットのこの短編から受けた感銘をもとにして、『給料日』という短編小説を書いた。東京でひとり暮らしをしている若いサラリーマンが、もらった給料をその日にすべて使ってしまうという、それだけのストーリーだ。使う場所は新宿の歌舞伎町だ。丸ノ内線の地下鉄のなかから、そのストーリーは始まる。

 新宿三丁目で彼はその地下鉄を降りる。なににいくら使ったか、金額が具体的に書いてある。雑誌に掲載されたときの原稿、その校正、本になったときの校正、さらにそれが文庫になったときの校正と、何度か金額の合計を点検しなおす機会があったのだが、一円も彼の手もとに残ることなく使い果たすためのさまざまな出費の合計が、計算を何度やりなおしても一致しなかったことも、僕は記憶している。

 なにを訴えるわけでもない、願望を書いたわけでもない、明らかに甘い出来ばえの、どちらかと言えば風俗的な内容の、かつて自分が書いた短編をいまこうして思い出していると、ふと気づくことがある。物語の中心は給料をすべて一夜で使ってしまうことではなく、勤めの帰りに地下鉄にひとりで乗っているときにふと覚える、なんとも言いようのない寂寥感なのだ。もとになったハメットの短編でも、それはおなじだろう。物語のなかに登場した主人公が、小切手を手にするまでの描写のなかに、言いたいことはすべて言ってあったのではないのか。機会があったらこのことを確認しておこうと僕は思っている。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『本を読む人』太田出版 1995年

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*『休日』(小鷹信光訳)収録(『チューリップーダシール・ハメット中短編集』草思社、2015年11月12日刊)


『チューリップーダシール・ハメット中短編集』 『マンハント』 アメリカ 人名|ダシール・ハメット 人名|小鷹信光 片岡義男エッセイ・コレクション『本を読む人』 読む
2015年12月9日 05:30
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