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僕はチェリーを忘れてた

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 東京でいちばんおいしいピッツアの店、と僕がいつも言っているピッツアの店で、何とおりかの前菜のあと、直径三十センチのピッツアを四人がかりで四枚、たいらげた。デザートにはエスプレッソ、そしてアイスクリームにチェリー・シロップをかけたものを、僕は選んだ。メニューには出てませんけどいかがですかと勧められた僕は、チェリーのひと言にいちころでひっかかった。

 アイスクリームのできばえは素晴らしく、チェリーとそのシロップの出来ばえもまた、最高だった。なんの変哲もない、しかし文句なしの出来ばえのアイスクリームに、僕にとっては理想的なチェリーとそのシロップをかけて食べる、という食べかたを体験したのは、ひょっとしてこのときが最初だったかもしれない。結びつきの例として、おたがいにまったく無理がないどころか、両者がおたがいにその良さを増幅し合う様子を自分の口腔のなかで確認するのは、たいへんな快感なのだと、食べながら僕は思った。

 そうだ、僕はチェリーを忘れていた、という事実も僕は痛切に自覚した。長い時間をチェリーに接しないままに過ごしてしまった。毎年の山形産のさくらんぼにすっかり満足してきたのだろう、チェリーにまで思いがいたらないままに、いったい何年を過ごしたか。

 僕にとって理想的なチェリーとは、天然そのものでありつつ、人工の極みをも感じさせる味と香りそして色の、チェリーのシロップづけだ。天然性と人工性とが互角に親密に一体となっていて、どちらかがどちらかに勝つ、ということがいっさいないチェリーのシロップづけだ。この理想のチェリーが山の頂上ならば、その裾野を広く埋めているのは化学的に合成された人工のチェリーであり、それらは子供の頃に親しんだアメリカのキャンディ類のなかにある。菓子やキャンディなどを僕は子供の頃からほとんど食べないのだが、試食は幅広くおこなった。その結果として発見したのは、リコリスとチェリーが僕の好みにもっとも良く合致する、ということだった。

 人工的なチェリーにかたっぱしから再会しなければならない、と僕は思った。昔がそのままいまもあるとは思っていないが、いつも変わらないものとして、そこかしこに、それらはいまもあるのではないか。人工的なチェリーとの旧交を温める最初の試みとして、ジェリー・ビーンズを僕は選んだ。ジェリー・ベリーという手に入りやすい銘柄のジェリー・ビーンズの全種類を買い集め、そのなかにチェリーの味と香りそして色のものを探した。

 この真っ赤なのがチェリーに違いないと思い、ひと粒を指先に取り口に入れて嚙んでみた。確かにそれはチェリーだったが、意外なほど穏やかなチェリーであることに、やや拍子抜けした。ジェリー・ベリーではどの味と香りのビーンズにも名がつけてある。チェリーはヴェリー・チェリー(たいそうチェリー)と言うのだった。一個だけを嚙むのではなく、一度に少なくとも五粒は口に入れ、そのぜんたいを嚙むなら、チェリーの味と香りは単純に言っても僕の口のなかで五倍になるのだから、感じ取るチェリー度はもっと高くなるかしれない。

 ドイツ製のサワー・チェリーのグミ、というものを見つけた。二百グラム入りの袋を開き、なかの香りを僕は嗅いでみた。チェリーの香りは確かにあった。日本語で記載された原材料名のなかに、濃縮さくらんぼ果汁という記載がある。ひとつをつまんで口に入れ、外側を覆っている砂糖が溶けるのを待つまでもなく、これもまた思いのほかおとなしいチェリーの香りが、口のなかに広がった。嚙んでみた。無理な感触のない嚙み心地だ。サワー・チェリーの名のとおり、嚙むほどに酸味がかなり強くあらわれ、その酸っぱさのなかに、穏やかなチェリーの香りはすぐに取り込まれた。

 トゥートシー・ロールという名の昔からアメリカにあるキャンディの、フルーツ・ロールズという種類の袋入り百八十四グラムが知人から届いた。フルーツとはレモン、ライム、オレンジ、ヴァニラ、そしてチェリーの五とおりで、香料はいずれも天然そして人工であるという。長さ三センチ、直径一・五センチの円柱状のロールだ。チェリーのを半分だけ食べてみた。確かにチェリーではあるけれど、とここでも書かなくてはいけない。

 プルモールという銘柄のドイツ製のハード・キャンディにチェリーの色、味、香りのものがある、と知人が教えてくれた。その知人によれば、直径八センチ厚さ二・五センチの丸いアルミニウムの缶に入っていて、少くとも缶の蓋に描いてあるチェリーはカタオカさんの求めているチェリーと合致するものだと思います、ということだった。売っている店も教えてもらったから、深まりきった秋の平日、午後二時四十五分といった時間に、丸い缶に入ったチェリー・キャンディを求めて、僕は電車に乗るだろう。

 レッド・チェリーの缶詰をひとつ買った。直径五センチ五ミリに高さ五センチ三ミリという、缶詰としてなかなか面白いサイズのものだ。「エキストラ・ライト」のシロップに漬けたサクランボの、Mつまり中粒が八十五グラム入っている。M粒だとひと缶につき十粒から十三粒だという。ケーキの色どりとして使われることの多い、赤い色をした甘いチェリーだろう。食べてみたらまったくと言っていいほどに甘くなかった。シロップが「エキストラ・ライト」であるとは、ほとんど甘くない、という意味なのだ。甘いとは言えない赤いチェリー、というものを僕は初めて知った。

 そしてそれは僕が探しているチェリーとはまったく異なるのだが、缶のなかに詰まっている枝を指先で摘まんでひとつ取り出すと、その造形には惹かれるものがあった。「枝つき」とわざわざ缶に印刷してあるからには、この枝もまた重要なのだ。枝のついたさくらんぼ一個はいつ見ても不思議なものだが、小さな缶詰のなかにほとんどおなじものがいくつも詰まっているなかからひとつを摘まみ出し観察すると、その不思議さは僕を誘ってやまない。写真の被写体として面白いのではないか。枝つきの赤いさくらんぼの写真を、そのうち僕はかならず撮るだろう。

 ライフセイヴァーズという名称のキャンディがアメリカにある。僕が子供の頃すでにあった。まんなかに穴のあいている、直径二十三ミリほどの丸いドロップスだ。いろんな種類があるけれど、いちばんポピュラーなのは、赤、青、黄、緑など五つの色つまりフレイヴァーを揃えた、ファイヴ・フレイヴァーズという種類だ。いくつかを積み上げるように円柱状に重ね、包装紙でくるんだのが基本形だが、袋入りもある。

 このファイヴ・フレイヴァーズのなかの赤が、確かチェリーだったはずだと思いながら探してみたら、百七十七グラムの袋入りが見つかった。赤は人工香料のチェリーだった。子供の頃に親しんだ人工のチェリーに、いままでのところこれがもっとも近い。チェリーだけを袋入りにした、ワイルド・チェリーの百七十七グラムというものもあった。ファイヴ・フレイヴァーズに入っているチェリーと、まったくおなじものだ。

 ライフセイヴァーズからの記憶連想だろう、僕はチェリー・コークというものを思い出した。だから僕はそれを手に入れてみた。「コカコーラ・ウィズ・チェリー・フレイヴァーそしてその他のいくつかの自然フレイヴァー」という三百五十五ミリ・リットルがアルミ缶のなかに入っている。チェリー味と香りのコークは、リコリスとともに、日本人の味覚に合わないものの筆頭に、かつてはしばしば挙げられていた。いまではさほどではないだろう、と僕は思う。久しぶりのチェリー・フレイヴァーのコークを僕は飲んだ。チェリーの香りは、記憶しているもの、ないしは期待しているものより、はるかに淡いものだった。こうしたチェ リーの香りは、僕が子供だった頃にくらべると、全体的に言って、淡いほうへと変化しているのだろうか。

 僕が子供の頃すでに存在していたアメリカのコフ・ドロップス(のどあめ)に、ヴィックスという名前のものがある。昔はメントールだけだったのだが、いまではいろんな香りと色のものがある。そのなかに確かチェリーの真っ赤な箱のがあったはずだと思い出し、手に入れるための手配をした。

 ダーク・チョコレートでくるんだチェリー、というものをくれた人がいるので、ひと粒だけ食べてみた。砂糖、カカオマス、ココアバター、乳脂肪、コーンシロップなどが一体となって、一個の乾燥チェリーを包み込んでいる。嚙んでみると確かにチェリーだが、ここでもそのチェリーは穏やかであり、ぜんたいとしてはチョコレートが勝っていた。

 さて、そこで、僕はひとつの缶詰にたどり着いた。いろんなところで売っているはずだから、たどり着いたとはやや大げさだろう。ダーク・チェリーのシロップの缶詰だ。そしてそのシロップは、「エクストラ・ヘヴィ」だというではないか。ダーク・チェリーは日本語では紫さくらんぼと呼ぶことを、僕は初めて知った。枝なし種なしの全形で、紫さくらんぼだけの量は二百二十グラムだ。紙に印刷したレイべルが缶に巻きつけて貼ってある。最近では珍しい。このグーク・チェリーを三粒、僕は食べてみた。僕の期待のなかにあるチェリーはまったく感じられず、ダーク・チェリーだとは知らずに食べたなら、これがなになのか見当すらつかないかもしれない、と僕は思った。シロップのなかにもチェリーの香りはなかった。

 僕が子供の頃にアメリカのキャンディ類をとおして親しんだチェリー・フレイヴァーは、化学的に合成された結果として、自然界にはどこにも存在しない、虚構性をきわめた架空の存在だった。だから僕は少なくともキャンディ類にあっては、チェリーとは噓である、フィクションである、という認識をした。アーティフィシャル・フレイヴァーの典型が、子供の僕にとってのチェリーだった。この虚構のチェリーに再会したいと思って、以上のとおりあれこれ探している。

 と同時に、天然そのもののチェリーのシロップ漬けにも再会したいと願っている。なぜなら、大地に健やかに立つ樹に実って熟するままにしておいたらこうなったという、天然のきわみとしてのチェリーのシロップ漬けには、まったくの天然でありながら、化学的な合成による虚構性や架空性をつきつめた結果の香りが、そしてそれだけが、濃密にあるからだ。人工的な虚構性を強く感じさせる、天然そのものの味と香り、という二面性を理想のチェリーのシロップ漬けは持っている。チェリーの種類にもよるかと思うが、最高のチェリーのシロップ漬けにある、人工性をきわめた結果の虚構でしかないような香りを、僕が子供だった頃のアメリカのキャンディ類は、化学的な合成によって模倣していた。

 缶詰の次は瓶詰だというわけでもないのだが、原産国はハンガリーのサワー・チェリーのシロップ漬け六百八十グラムの瓶詰を、僕は手に入れた。瓶は透明なガラスだ。なかに詰まっているチェリーがよく見える。シロップがさらさらし過ぎてはいないか、という思いは一抹の不安となって僕の期待にフィルターをかける。シロップに粘性が足りない。そしてチェリーの色に深みがない。名前がサワー・チェリーだから、味としては酸味が勝つのではないか。そんなことを思いながら、ひと粒、そして念のためもうひと粒、僕は食べてみた。

 違う。まるで違う。缶詰のダーク・チェリーとよく似ている。直径九センチ、高さはチェリーが詰まっているところまでで十センチという、かなり大きなガラス瓶だ。ふた粒を食べただけでは、サワー・チェリーがぎっしり詰まった様子になんの変化もない。どうしたものか。用途はおそらくピンポイントで固定されているのだろう。チェリー・パイを作るときに使うものなのではないか。

 天然そのものでありながら、人工のきわみをも同時に感じさせる香りの、僕にとっての理想的なチェリーはかならず存在するはずだ。すでに書いたとおり、それを化学的な合成で模したチェリー・フレイヴァーが、子供の頃に好きになったアメリカのキャンディ類のチェリー・フレイヴァーだ。それらのキャンディ類が持っていたチェリーの香りは、記憶のなかではもっと強烈にチェリーなのだが、いま手に入るキャンディ類で僕が体験したチェリー・フレイヴァーは、たいそう穏やかで淡く、そのどれもが僕の期待に応えてはくれなかった。

(『ピーナツ・バターで始める朝』2009年所収)

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2016年9月6日 05:30
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