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カーメン・キャヴァレロ(1)

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 一九七四年のたしか春だったと思う、僕はFM局で二時間のラジオ番組のホストのような役を、仕事の一部分として始めた。週に一度のこの番組、『気まぐれ飛行船』は、それから十三年間、続いた。その十三年間の前半にひとり、そして後半にひとり、女性の相手役が僕を助けてくれた。当時のFM東京がキー局で、その頃すでに存在していた各地のFM局のすべてから、放送された。『野性時代』という雑誌の創刊に合わせて始まった番組だったが、その雑誌の執筆者のひとりであったこの僕にとっての宣伝番組の役を果たした事実は、当人にも否定することは出来ない。

 基本的には音楽番組だった。かける音楽も喋る内容も、すべて僕の責任において、ほぼ僕の考えるとおりに、全期間にわたって進行した。スポンサーからの干渉はいっさいなく、二時間から最小限のCMを差し引いた残り時間は、自分たちの好きなように使っていいという、いまにして思えば特権的なFM番組だった。

 最終回に僕はカーメン・キャヴァレロの特集を予定した。僕の個人的な好みと判断だ。しかしこの予定は変更した。番組を熱心に聴いてくれていた人たちからの、リクエストの葉書がたくさんたまっていた。だから最後の回はリクエストに応えよう、ということになった。

 番組が終了してすでに十年以上が経過している。最終回に予定していたカーメン・キャヴァレ口の特集のことを、その期間ずっと、僕は忘れていた。番組が最終回を迎えたとき早くも、僕はキャヴァレロの特集のことを忘れていたのではないか、といまの僕は思う。彼の特集を予定したとは言っても、僕ひとりの思いつきの域を出るものではなく、ディレクターにも伝えてはいなかったはずだ。

 最終回のために僕が用意したキャヴァレロの演奏曲のリストを、ごく最近、僕は偶然に見つけた。A4サイズの紙を縦に使い、そのいちばん上に、最終回、と鉛筆による僕の字で書いてあり、その下に曲名が十八曲、ならべてあった。当時の僕にとって懸案事項だったことのいっさいを、資料やメモとして入れていたフォルダーのなかに、この紙も入っていた。

 久しぶりに見るその曲名リストは新鮮だった。選曲と配列に、僕としては慎重を期した気配が見てとれた。曲名はいくつも変更され、配列はあちこちで入れ代わっていた。リストは見つかったものの、音源であるLPは一枚も手もとになかった。すべてとっくに何人もの人たちに進呈してしまい、そのことすら完全に忘れているという、いつもの僕のパターンだ。かつて自分が苦労して選曲したリストのとおりに、カーメン・キャヴァレロのピアノを聴いてみたい、と僕は真剣に思った。CDに関しては最初からあきらめた僕は、まず神保町へいくことを思った。神保町で中古レコード店をめぐり歩き、キャヴァレロのLPを買い集めるのだ。

 神保町での収穫がどうであったかについて書くよりも先に、カーメン・キャヴァレロに関して、ごく簡単に書いておこう。一九一七年の五月六日に、彼はニューヨークで生まれたという。大正六年だ。歴史年表を見ると、この年にドイツが無制限潜水艦戦を宣言した、とある。両親はイタリー系で音楽が好きだった。イタリー系の音楽の才能というDNAが、アメリカ文化のなかで大きく開花した幸せな例のひとつ、それがキャヴァレロのスタート地点だ。三歳のときに彼は玩具のピアノを買ってもらい、いま聴いたばかりの歌をそのピアノで見事に演奏し、身近な人たちのすべてを驚嘆させたというエピソードは、彼のLPの国内盤のライナー・ノートで、何度も繰り返し紹介された。五歳から音楽教師についてピアノのレッスンを受け、高校生の頃にはクラシック音楽を正式に勉強した。

 その頃には彼のピアノ演奏の腕前はすでにたいへんな評判であり、高校のオーケストラでは当然のこととして彼はスターだった。と同時に彼は早くも立派なプロでもあり、当時のニューヨークにたくさんあったダンス・バンドで、プロとしての仕事をこなしたそうだ。

 デイヴィッド・クリントン・ハイスクールという高校を卒業するとただちにフル・タイムのプロフェッショナルとなり、アル・キャヴェリン、エンリーケイ・マドリゲーラ、エイブ・ライマンといったリーダーたちのダンス・バンドで、ピアニストを務めた。そして一九三七年、やっと二十歳というような年齢の彼は、当時のアメリカですさまじい人気を獲得していたルディ・ヴァレーのバンドに、ピアニストとして参加した。

 一九四四年に彼は自分の楽団を持った。九人編成だった。「ショパンのポロネーズ」と呼ばれている曲を演奏した彼のレコードが、一九四五年に大ヒットになった。フレデリック・ショパンの作品五十三、変イ長調の第一テーマだ。このレコードは戦後の日本でも発売されたようだ。当時のキャヴァレロがピアノを弾いている姿は、出演した何本かの映画で見ることが出来る。もっとも有名なのは一九四四年の『ハリウッド・キャンティーン』という作品だ。これは『ハリウッド玉手箱』という題名で日本でも公開された。この映画では、彼のヒット曲のひとつである「エンジョロ」、別名「ヴードゥー・ムーン」を、彼は弾いている。

 カーメン・キャヴァレロは自分の率いたオーケストラとともにレコードを作ったことがなかった。オーケストラであれリズム伴奏であれ、レコードの場合はそのために編成された人たちであり、選曲や編曲もレコードのために用意されたものを、そのつど用いたという。唯一の例外は、一九四六年に一六インチ・トランスクリプションに録音した十八曲だ。ハインドサイト・レコーズのジ・アンコレクテッドというトランスクリプション・シリーズのうちの一枚として、LPにもCDにもなっている。

 一九三〇年代のなかばあたりから、トランスクリプションを専門とする会社がいくつも出来て、それぞれ盛んに活動した。主として音楽番組をスタジオで一六インチ盤に録音し、すぐにそのままオン・エアすることの出来る既成の番組として、全米各地の放送局に販売した。カーメン・キャヴァレロが自分のオーケストラとともに残したトランスクリプションも、このようなもののうちの一枚だ。演奏している曲はすべて通常よりも早めのテンポになっている。当時のカーメン・キャヴァレロとそのオーケストラが持っていたラジオ番組用の編曲を、そのまま使ったからだ。

 一九四〇年代なかば、キャヴァレロは『ザ・シェーファー・パレード』というラジオ番組を持っていた。毎週日曜日の午後、NBC系で全米にライヴで放送されていた。キャヴァレロとそのバンドがどこにいようとも、最寄りのNBC系列のラジオ局からライヴで放送する、という作りかたをしていた。ラジオ番組は時間の枠がきまっている。その枠をはみ出すわけにはいかない。演奏する曲はすべてテンポを早めておいたほうが、なにかと便利だからいつもそうしていた。だからこのトランスクリプションは、カーメン・キャヴァレロ・アンド・ヒズ・オーケストラの珍しいスタジオ録音であると同時に、『ザ・シェーファー・パレード』における彼らの演奏ぶりをも知ることの出来る、貴重な音源だ。

 トランペットが三名、サクソフォンはテナーが二名、アルトとバリトンが一名ずつで合計四名。キャヴァレロのピアノも含めてリズムは四名、トロンボーンはなし、そして五名から六名のストリングスが加わり、このなかにヴィオラはかならずひとりいて、チェロもひとりいることが多かったという。ハインドサイトから発売されたトランスクリプションLPのジャケットには、キャヴァレロを含めて十四名のメンバーの写真が使ってある。まんなかにいる女性は歌手だろうか。『エディ・デューチン・ストーリー』という映画が一九五五年のアメリカで公開された。日本では『愛情物語』という題名で、次の年の一九五六年に、そして一九六五年にリヴァイヴァル上映と称してもう一度、公開された。ダンス・バンドを率いたピアニストとして、一九三〇年代の初めから一九五〇年代の初めまで、たいへんに人気のあったエディ・デューチンの物語を映画にしたものだ。デューチンをタイロン・パワーが演じ、生前のデューチンと親交のあったキャヴァレロが、サウンド・トラックのためにピアノの演奏を引き受けた。

 主題曲の「トゥ・ラヴ・アゲイン」は大ヒットになり、いまもまだ記憶している人が多いほどに、日本でもヒットした。日本におけるカーメン・キャヴァレロの一般的な認知は、ここから始まっている。「トゥ・ラヴ・アゲイン」にはメイン・タイトル、そして編曲の異なるフィナーレとがあり、ヒットしたのはメイン・タイトルのほうだ。キャヴァレロが日本にきて公演を重ねるようになったのは、このさらにあと、一九六〇年代に入ってからだ。

 神保町の交差点を中心にして、半径五〇〇メートル以内にある中古レコード店のうち七軒を、春一番が吹いた日の午後、僕はめぐり歩いた。その日を第1回として、確実に夏を感じさせる五月の晴天の日まで、何回かにわたって僕は中古レコード店の客となった。収穫はあったと言っていい。この文章を書いているいま、僕の手もとにカーメン・キャヴァレロのLPが、日本国内盤とアメリカ盤とを合わせて、三十三とおりもあるのだから。アメリカ盤のLPについてはあとで書くとして、まず国内盤をめぐって書いてみよう。国内盤には大きく分けてふたとおりある。アメリカで発売されたのとおなじ内容を、ジャケットの表はそのまま、そして裏には日本語の解説文をつけて発売したもの。もうひとつは、日本のレコード会社が独自の判断にもとづいて選曲し、ジャケットもオリジナル仕様で発売した日本編集もの。このふたとおりだ。

(2)につづく[全3回]

(『音楽を聴く2 映画。グレン・ミラー。そして神保町の頃』第3部「この都電はジン・ボ・チョへ行きますか」2001年所収)


2001年 「この都電はジン・ボ・チョへ行きますか」 『音楽を聴く2ー映画。グレン・ミラー。そして神保町の頃』 カーメン・キャヴァレロ レコード 神保町 音楽
2016年2月28日 05:30
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