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そのうしろに浅丘ルリ子が立っている

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 赤木圭一郎が日活に残した数少ない主演作のなかに、「拳銃無頼帖」という副題を持ったシリーズ作品が四作だけある。四作だけとは、彼の早すぎた死によって四作で終わったから、という意味だ。この四作のうち、最初の二作、『抜き射ちの竜』と『電光石火の男』に、浅丘ルリ子は赤木圭一郎と主演している。このシリーズ四作を材料にして、僕はかつて一冊の本を書いた。『一九六〇年、青年と拳銃』という題名の本だ。この本の表紙に、おそらくは『抜き射ちの竜』の宣伝用にスタジオで撮影された白黒の写真を、僕は使った。赤木圭一郎は拳銃を構えて一世一代のポーズを取り、そのうしろに浅丘ルリ子が立っている。似合いのふたりだ。外見や雰囲気だけではなく、内容的に、ふたりはよく似合った、と僕は判断している。

『抜き射ちの竜』と『電光石火の男』の浅丘ルリ子は素晴らしい。素晴らしい、と現在形で書くのは、DVDを再生するなら、一九六〇年の彼女を、いつだって現在のものとして見ることが可能だから、という意味に加えてもうひとつ、この素晴らしい女性をなんとか出来ないか、という思いがいまも強く僕のなかにあるからだ。

 なんとか出来ないかとは、僕が自分で書く小説の主人公として、『抜き射ちの竜』と『電光石火の男』の浅丘ルリ子を、ほぼそのまま使って、魅力的な物語を言葉だけで作り出すことは出来ないか、ということだ。それは充分に可能だ、と僕は思う。小説を書く人としての知恵がなにほどか僕にもあるなら、そしてその知恵を絞りきるなら、いまから五十三年前の浅丘ルリ子が、そのまま、現在の僕が書く小説のなかに引き継がれる。このようなアイディアを僕はきわめて好いている。考えているだけでも楽しいが、それほどに好いているなら実現させてはどうか、と僕のなかにいるもうひとりの僕がしきりに言う。

 僕と浅丘ルリ子とは、ほぼ同世代だ。二、三年の幅で、どちらかが前後している。どちらでもいい。なぜなら、一九六〇年に撮影された映画の画面にあらわれる彼女に、おなじ時代を生きたひとりとして、必要にして充分な親近感を、いまでも僕は持つことが出来るのだから。一九六〇年代前半を背景にした小説にしようか、という思いはなくもないが、背景はいまのほうがいいだろう、いまこの現在ではないにせよ、この十年、十五年くらいの日本を背景にしたほうがいい、という思いもいっぽうにある。

 じつはストーリーをきわめて作りにくいキャラクターなのではないか、と僕はいまふと思う。『抜き射ちの竜』では、これから二、三年は服役することになる赤木の出所を待つ女を、彼女は演じた。『電光石火の男』では、待ちきれずに婚約した刑事の機転で赤木は服役をまぬがれ、したがって待たなくてもいい女を、彼女は演じた。僕の記憶のなかでは、両方の女性はまったくおなじであり、ひとりの人として完全にひとつに重なっている。

 待っても待たなくても、それはおなじことだ、と僕は思う。待つなら、いったいどこで、なにをしながら、なにを待つのか。彼の出所を待つにしても、出所して来た彼と、どこでなにをして、その後を生きるのか。待たなくてもいい状況なら、彼とふたりで、その後を、どこでどのように生きるのか。その後、という時間と空間が、ぽっかりと虚空なのだ。そこから先の人生が、ぽっかりと虚空であるのは、どこかになにかがあるはずという、理想ないしは幻のようなものと、表裏一体であるということか。では現在のなかにはなにがあるのかというと、それはこれです、と言えるものとして、彼女の容姿とそれが生み出す雰囲気が、あるだけだ。

 これは素晴らしい。このような女性を主人公にして、僕は小説を書いてみたい。しかし、ついさきほど書いたとおり、一編の小説を支えるキャラクターとしては、たいそう難しい人だ。だからこそ書いてみたい、と僕は思うのだろう。ごく簡単に言うなら、特定の場所ないしは状況のなかに固定されることのない人だ。ここから先、という時間と空間が虚空なのだから、漂う、浮かんでいる、さまよう、流れていく、というような日々をまっとうするキャラクターにならざるを得ない、というひとまずの結論は、僕の知恵がまだ絞り切られてはいない段階にあることを意味しているのか。

『抜き射ちの竜』と『電光石火の男』をDVDでまた観ようか。一九六二年の浅丘ルリ子が、僕の記憶のなかに新たに刻み込まれるだろう。小説的な想像力のための、これまでは思ってもみなかった起点が、いくつか手に入るかもしれない。当時の最新の服で身をかためた彼女は、年齢にくらべて化粧がやや濃いかと思うが、それはこの女優の魅力の本質を増幅している。彼女はハンドバッグというものを持っている。口金を開いて彼女がそこから取り出してもっとも似合うのは、口紅やハンカチや手帳ではなく、実用に徹した平たいオートマティック拳銃だ。

「拳銃無頼帖」の、映画としては作られることのなかった第五作を、僕が小説で書こうか。赤木をやや脇にまわし、浅丘ルリ子を正面に据えて。拳銃使いの彼女が活躍すればするほど、虚無をたどるだけがふたりの日々となるような。彼女が使うオートマティック拳銃の弾丸は九ミリ弾だ。これしかない。その弾丸にふさわしい物語が、小説としてこの僕に書けるかどうか。

底本:『女優 浅丘ルリ子』キネマ旬報社 2014年5月


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2020年3月24日 07:00
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