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アメリカの心がうたう歌が聞こえる

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Arthur-Rothstein

 『アーサー・ロススタインによる、写真に写しとられた1930年から1980年までのアメリカ』という1冊の写真集には、ブラック・アンド・ホワイトによる90点の写真がおさめてある。タイトルにあるとおり、この90点の写真は、すべて、アーサー・ロススタインが撮ったものだ。1930年から1980年まで、じつに50年間にわたるアメリカを、90点の写真によって、見渡すことが出来る。

 この写真集は、一種のアメリカ早わかりのような機能を持つ、と僕は思う。早わかりと言ってもそれはけっして安直なものではないし、この写真集を早わかりと呼ぶことによって90点の写真を低く見ているわけでもない。1930年から1980年までの50年にわたるアメリカが、90点の写真によってものの見事に結晶化されたうえでの早わかりなのだから、アーサー・ロススタインの写真の腕は、なみたいていのものではない。

 アーサー・ロススタインは、フォト・ジャーナリストとしてたいへんに高名だし、写真にかかわる多くの分野で高く評価された仕事を、数多く残した人だ。彼は、1915年にニョ―ヨークで生まれている。コロンビア大学の卒業生だ。大学にかよっていたころに、学校のなかにユニヴァーシティ・カメラ・クラブを設立し、『ザ・コロンビアン』という新聞の写真エディターをつとめたりしていた。写真には、はやくから目覚めていたにちがいない。

 1935年から5年間にわたって、ロススタインは、FSA(ファーム・セキュリティー・アドミニストレーション)に参加し、アメリカの田舎をまわり歩き、当時のアメリカの地方都市や田舎の小さな町に生きる人々の、ドキュメント写真を撮った。このときの彼の収穫のなかには、非常にすぐれた写真が数多くある。

 1940年には、ロススタインは、雑誌『ルック』のスタッフ・フォトグラファーとなった。そしてそのすぐあとには、軍の機関、そして陸軍に加わり、中国、ビルマ、インドと、戦場をまわった。1946年に『ルック』にもどり、その雑誌のディレクター・オブ・フォトグラフィーとなった。

『ルック』は、1972年に廃刊となった。このあとから1980年代にいたるまでの彼の活躍はたいへんなものであり、写真に関する著作を3冊、書いている。僕が持っている『アーサー・ロススタインによる、写真に写しとられた1930年から1980年までのアメリカ』という写真集は、ドーヴァー・ブックスというシリーズのなかの1冊だが、このおなじシリーズに、ロススタインの写真集がさらに2冊ある。1冊は、大不況期のアメリカをとらえたドキュメントであり、もう1冊は、1930年代のアメリカ西部の写真ドキュメントだ。

 写真は記録であり、写真による自分の仕事の大半はドキュメンタリーなのだと言っていたロススタインは、小細工的な技巧に支えられた芸術ふうの表現のためにカメラを使うのを嫌った。しかし、彼が残した多くの作品は、見事なドキュメンタリーであると同時に、アートとしてもきわめて高い水準を楽々とクリアしている。

 撮影すべき現場に出むいていき、そこにある現象をかたっぱしから写真に撮ればそれらの写真はそのままドキュメンタリーになるかというと、そうはいかない。そのような写真は、もし後世に残るとしたら、ただ単に資料と呼ばれるにちがいない。

 資料としての写真と、アートとして立派に基準を超えているようなドキュメント写真とのあいだには、大きなへだたりがある。

 アーサー・ロススタインの写真は、アメリカの心がうたう歌を聴きとり得た結果の出来事だ、というような言いかたをすると、下手な比喩を使った平凡な表情になるが、ひと言で言うなら、アーサー・ロススタインの写真とは、そういうことなのだ。

 アメリカの心がうたう歌を、聴きとり得た人物の手になる写真であるからこそ、この1冊の写真集のなかでいまでも輝きを放っている90点の写真は、アメリカ早わかりであり得るのだ。

 アメリカという広い国土のなかから、ひとつひとつ写真によって拾い集めてくるアメリカン・シーンの数々は、多様性という言葉の生きた見本であるだろう。そのさまざまな多様性をくっきりと刺しつらぬく1本のスピリットのようなものが、写真のなかにあるかないかで、その写真が資料となるかドキュメンタリー・アートになるか、大きく分かれるのだと僕は思う。

 ロススタインの写真には、そのスピリットがある。たとえば、僕がいま見ている写真集の表紙に使ってある、1940年のミネソタ州ミネアポリスにおけるパレードの光景からは、アメリカの心がうたう歌が聞こえてくる。

 アメリカの地方の町の町なみのなかに、パレードがとらえられてある。パレードの大部分は、影のなかに沈んでいる。日本語で言うところのバトン・ガールひとりだけが、陽ざしを受けとめて生き生きと、絶妙のタイミングで、画面を大きく横切ろうとしている。

 そのバトン・ガールは、若い。躍動している。はちきれそうである。きっと美人だろう。太腿やふくらはぎが、素晴らしい。とは言え、彼女はけっして特別の存在ではない。1940年のアメリカのなかで、彼女のような女性をさがしたなら、困ってしまうほどにたくさんいたにちがいない。彼女は、ごく普通の人だ。しかし、まさにその普通の人として、彼女は、この写真のなかで、ロススタインの写真的な力量によって、具現のようになり得ている。

 なにの具現かというと、アメリカの力の具現であり、ではその力とはどのようなものかというと、常に新しく自分を作り出していくことの出来る力だ。そのような力に対する、信仰にも似た信念を、彼女はパレードの先端で具現している。具現することによって、彼女は、アメリカのなかで普通の人が持ち得る、あるいは持たなくてはいけない、尊厳のようなものを、端的に表現している。

 広い国土のいろんなところで、それぞれ生活を営んでいる普通の人たちひとりひとりの、基本的な尊厳を写真に写しとることが出来てはじめて、その写真からアメリカの心がうたう歌が聞こえてくる。

 アーサー・ロススタインが写真でとらえた1930年から1980年までのアメリカが収録してあるこの写真集を、アメリカ早わかりだと僕は言ったが、もういちど言いかえるなら、アメリカの力にたいする自らの信仰の書だ。

 はじめから1点ずつ見ていき、後半に入る頃には、アメリカの力をひしひしと感じてしまう。レーガン元大統領などは、この写真集を、座右の書のひとつに加えているだろう。彼の写真は、写真集のいちばんおしまいのページにのっている。

 1936年のダスト・ボウルの砂嵐をとらえた有名な写真がロススタインにあるが、あの写真に父親といっしょに写っていたふたりの息子のうちのひとりが成人して農場経営者となり、自分の息子をふたりつれて小麦畑のなかを歩いている写真が、この写真集のなかにある。彼らが歩いている小麦畑は、あの有名な砂嵐の写真の現場とおなじ場所だと、キャプションに教えられたときには、戦慄と言っていい感情を、僕はその写真に覚えた。アメリカの普通の人が持つ、個人的尊厳という力にたいする戦慄だ。

(『本についての、僕の本』1988所収)

今日のリンク ▼ アーサー・ロススタイン・レガシー・プロジェクト

[冒頭書影:アーサー・ロススタイン『アーサー・ロススタインによる、写真に写しとられた1930年から1980年までのアメリカ』1984|Arthur Rothstein’s America in Photographs, 1930-1980|本サイト編集部による参考図版として掲載]


1988年 『アーサー・ロススタインによる、写真に写しとられた1930年から1980年までのアメリカ』 『本についての、僕の本』 アメリカ 人名|アーサー・ロススタイン 写真 写真集 片岡義男エッセイ・コレクション『なぜ写真集が好きか』
2015年11月13日 05:30
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