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ただそれだけの十六年

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 平成という元号の始まった瞬間を、多くの人がそうだったように、僕もTVニュースの画面で見た。このときのことはいまでもよく覚えている。それはたいへんに異様な光景だったからだ。おそらく官邸のどこか、いつも記者会見に使うような部屋だったのだろう。その部屋の一角には、会社の事務用品としてはミーティング・テーブルと呼ばれている、横に細長い、なんとも言いがたく貧相な造作と出来ばえのテーブルが置いてあり、そのテーブルの中央から少しだけずれた位置に当時の官房長官が椅子にすわっていた。この人物についてそのときの僕はなにも知らず、風貌を見たのもそのときが初めてだった。いわく言いがたい、じつに奇妙な印象を、僕はその男性に対して持った。

 やおら、おもむろに、彼はテーブルに伏せて置いてあった色紙を一枚、両手の指先で取り上げ、自分の顔のかたわらに掲げ、記者たちに見せた。その色紙には、毛筆によるごく標準的な書体で、平成、と書いてあった。日本の一般市民にとって、少なくとも視覚的にはこのときが、昭和から平成へと元号が変わった瞬間だった。

 異様な光景だったといまも僕が言うのは、自分の国で元号が変わる瞬間とは、これほどまでに事務的な、文化や歴史の深度などいっさい感じさせない、こんなにも威厳のない、美しくもなんともない、したがって異様としか言いようのない一連のシークエンスであるものなのか、とそのとき僕は痛感したからだ。平成なんて関係ないよ、昭和の続きだよ、という意見をそれからしばらくのあいだ、あちこちで聞いたり読んだりした。平成は使わずにこれからは西暦でいく、という人が身辺に何人もいた。このときから早くも十六年が経過したという。あの異様な瞬間からもう十六年が経過した。そしてその十六年とは、なにだったのか。ワン・センテンスで言うなら、ありとあらゆる問題が先送りされた十六年だった、ということになる。それ以外になにもない、ただそれだけの十六年だ。

 危機意識、問題意識、当事者意識、責任、使命感、達成への意欲の致命的な欠如、その任にあらずその器でもない人たちが要職を既得権益のようにしていること、問題の存在を認めない、無視する、すり替える、言い逃れる、小手先や対処療法に終始する、後手にまわりつつ小出しにする、出来上がっている構造を変えようとしない、世界的でしかも本質的な大変化の潮流が読めない、なんとかなるだろうと根拠なくごまかしながら流されていく、といったことすべてを含めて、僕はここで先送りという言葉を使う。

 平成の十六年間がなぜこのような先送りの年月となったか。その理由や原因は、身も蓋もなく、考える力を人々が失ったことが、もはや決定的となったからだ。考える力を失うとは、問題の存在がそもそもわからない、ということだ。いまの自分たちが拠って立つシステムの、どこにどのような問題があるのか、まともに見るならすぐに見えるはずなのに、それが見つけ出せない。問題が見えないのだから、問題を認識することは出来ない。

 当然のこととして、別になんともない、大丈夫だろう、このままいける、という方針を踏襲するほかなく、不都合はその場しのぎで先へ送るか、見て見ぬふり、あるいは無視するといった、問題などいっさい存在しないとしてしまう便法によって生み出される幻想のなかを、生きていくことになる。問題を見つけてそれと正面から向き合う気概や体力、目的意識などまるでないから、どんな問題があろうともなにもしない。出来ることがあるとしたらそれは目先をごまかすことだけだから、時間の経過とともにすべての問題は重症化していく。

 平成が十六年という時間を重ねるなかで、これが国の基本的な性格のようになってしまった。なぜそんなことになったかを考えるには、平成を過去へとさかのぼり、戦後とはなにだったか、昭和とはなにか、といった領域へと入っていかざるを得ない。敗戦という重大な区切りを冒頭に持つ戦後という時代は、戦後の教育を受けた最初の世代である僕にとっては、さほどの誤差なしに体感することがどうにか可能だ。その戦後とは、ほぼ完全に内向きの世界だった。日本の国内だけですべては完結したから、あらゆることが国内だけの問題となった。この内向した状態が半世紀を越えて続いた。冷戦の最前線に位置づけられた日本は、アメリカと軍事同盟を結んだ。敗戦時のゼロから日本は軍事力においても急速に復興したのだが、すべてはアメリカの傘の下であり、整っていく軍事力は戦力ではないというような、国内でしか通用しない論理が国家の心棒となった。外交はしたがってないに等しく、ときたまアメリカの影から外に視線を向けても、なにひとつ正しい遠近法のなかには見えなかったはずだ。

 戦後の日本はすべてが解放されていった時代であり、外に向けて開かれ続けた時代だった、という認識が一般的に広くおこなわれている。経済の規模が轟音とともに拡大され、それにともなってあらゆる数値が上昇していったから、開かれながら前進していきつつあるという錯覚は、誰もが持ったことだろう。生活の向上と呼んでいい状況も、人々の身のまわりで日常的にそして恒常的に、上昇感をともなって維持された。経済が拡大されればされるほど、すべてはそれにからめ取られ、その内部へそしてさらなる内部へと、巻き込まれていった。このことの頂点がバブルだったと理解すればいい。

唯一にして至上の命題だった経済活動は、戦後の日本でほぼ極限まで営まれた。林立した企業群がこれを支えて受け持った。だから戦後の日本は経済であり、経済とは企業だから、企業の内部こそ社会であり、その外にはなにもないという、おそろしくいびつに偏った過剰が、社会の常態となってそのあらゆる細部にまで浸透した。教育はその典型ではなかったか。学校の日々を終えるとその翌日には、企業内部の最下層に取り込まれ、そこから社内階層の上部に向けて、その社内だけでしか通用しない刷り込みを徹底して受け続けるという異常事態の維持が、戦後の日本でおこなわれた教育の、基本方針だった。

 企業による経済活動の、おそろしくいびつに偏って過剰という内容。戦後の日本とは、このような日本的資本主義の盛衰だった。終身雇用と年功序列、そしてその側面に張りついた企業内組合などは、企業が社会であるという偏りと過剰の、もっともわかりやすい側面だ。五十年続いたかどうかという、じつに儚いジャパニーズ・ドリームだったが、その脆弱さには確かな理由や原因がある。偏った過剰さが、企業の側の一方的な論理だけで、強力に押し進められたからだ。

 戦後日本の復興した経済、そしてそこから実現された経済高度成長は、じつはすべて技術が可能にしたものだ。いかに優れた仮説を立てても、それが実証されなければ、価値も意味もない。実証という価値や意味を可能にしたもの、それが技術だ。

 製品を出来るだけたくさん作り、可能なかぎり数多く売りたいというのが企業の論理だとすると、全員と言っていいほどに多くの一般市民が買い、日常のなかで繰り返し使用することをとおして、高い利便性のような価値を彼らが享受するというかたちでの、社会的な肯定の評価を受けて初めて、技術は実証される。ひとつやふたつの技術が突出していても、それだけではなにごとも起こらない。広く社会ぜんたいを覆うようなかたちで、ありとあらゆる技術が程度を揃えて機能する必要がある。

 戦後の日本はこれによって立ち直った。その後の経済大国という位置も、こうした技術によって獲得したものだ。だから戦後の日本が誇っていい一人称は、実証に人生を賭けた技術者たちそれぞれが使う、「私」という一人称だ。実証のためにあらゆる知恵や工夫を注ぎ込む営みを、その土台の部分で支えるのは、目標の達成に向けた熱意や誠意といったものの総体だ。

 こうした確かな裏づけのある「私」が、戦後の日本ぜんたいを持ち上げて支えた。これも偏った過剰のひとつの形態であり、その形態のなかには、一生のあいだなにひとつ実証することのない、圧倒的多数の「私」もかかえ上げられ支えられた、という現実がある。社会的に機能する技術は、それが高度に開発され広範囲に応用されればされるほど、なにも考えないままに自意識だけは不当に肥大させた人たちの生活を、支えてしまうことになるようだ。

 広範囲でしかも高度な技術が可能にした、企業群による偏ったしかも過剰な経済活動の結果が、現在の日本だ。その偏った過剰でいまもっとも問題になっているのは、生産設備と雇用の過剰だ。拡大と上昇の時代には、偏りも過剰もそのなかに呑み込まれて見えなかったが、いまはあらわだ。過剰を虚と呼び、そうではない部分を実と呼ぶなら、たとえばいまの日本のGDPは、実と虚とがちょうど半々くらいではないか。

 この虚の部分が、崩れつつある。積極的に、しかもたいそう正しく崩していくなら、それこそが構造改革だが、削り落とすべきはぜんたいの半分にもおよぶのだから、どこからどう手をつければいいのか、見当すらつかない現状は、それはそれで筋道には沿っている。半分まで削ったとして、残りの部分をこれまでどおりに運営すればそこに成長があったりするのかというと、けっしてそんなことはない。基本的にまったく別の質の世界へと移行していく過渡期に入ったのだから、ありとあらゆるすべてのことが深刻さをきわめて問題なのであり、考えるべき対象は全領域にわたって複雑さの極致のなかにある。そして人々は考える力を失い、崩壊という過渡期を傍観するほかないから、そうしようとしている。六十年へと近づきつつある戦後の歴史のつじつまは、以上のとおりきれいに整合している。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 2004年

今日のリンク:「元号・平成の発表」1989年1月7日当時のテレビ映像(Youtube)より


2004年 『自分と自分以外ー戦後60年と今』 システム 戦後 日本
2015年12月29日 05:30
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