アイキャッチ画像

手掛かりは56年前のレコードだけ…当時大ヒットした「楽団」の謎

縦書きで読む

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

謎めいた楽団のレコードとの出会い

 演奏者の名前が、アンリ・ド・パリ楽団、となっている国内盤の7インチ・レコードが3枚、僕の手もとにある。この2年ほどの期間のなかで、現実に存在する中古レコードの店で、偶然に遭遇して手に入れたものだ。

 A面「黒い傷あとのブルース(Broken Promises)」と、B面「夢みるように(Dreamy)」がレコード番号JET-1221だ。これが日本で市販されたアンリ・ド・パリの、最初の7インチだろう。

 2枚目はレコード番号JET-1199で、「かわいた唇(Stolen Moments)」と「ハレム・パーティー(Harem Party)」だ。

 そして3枚目はレコード番号JET-1332で、「濡れた花びら(Wandering Rainbows)」と「七つの流れ星(Sev’n Thousand Years)」の2曲だ。

 3枚とも1961年の日本で市販された。「黒い傷あとのブルース」には、最初の所有者によるものと推測出来る購入年月日、1965・6・13が手書きしてある。1961年はいまから56年前だ。

 56年前の7インチ盤のレコードが、少なくとも盤面の溝の実用性能では新品と変わらない状態で、600円、700円という値段で、あたりまえのことのように、いまでも手に入る。

日本ビクター

 レコードは時間の経過に耐え得る安定した記録媒体なのだ。

 保管される状態にもレコードは恵まれるのではないか。押入れにしまい込まれたなら、積み重ねたいくつかの段ボール箱のいちばん上の箱のなかで、詰め込まれた物品の上に横たえられ、ほとんどそのままの状態で時間は経過していくのだろう。

 スリーヴの裏に印刷してある短いライナー・ノートによれば、アンリ・ド・パリは Henri DePari と綴るようだ。父親はクラシック音楽の声楽家で、4人の兄弟の誰もがなんらかの楽器を得意とした、というような恵まれた環境で育ち、9歳のときからサックスを習い始めたという。

 LAのレコード会社の重役によって才能を認められたアンリは、Seven Days In Barcelona という曲を、なんらかのバンドとともに自身はアルト・サックスを演奏して、レコードにしたようだ。ライナーの書きかたが明確ではないので、いまの僕としてはこんなふうに推測するほかない。

 そしてこのレコードは、かなりの注目を集めたようだ。注目を集めたとは、レコードを作ったり売ったりする業界の人たちにとって、アンリは新たに登場した材料のひとつだった、ということに他ならない。

 Seven Days In Barcelona がレコードになったのが1950年代後半のことだったと推測して、その頃のアメリカで大量に製作され市販されたイージー・リスニングのLPの選曲のなかに、この曲が含まれている可能性は充分にある。

 まず手始めに、いま僕のところにあるLPを、アナログ検索しようか。アナログ検索とは、LPを1枚ずつ手に取っては、収録曲名を見ていくことだ。

本国で売れなかった曲が日本で大ヒット

 Seven Days In Barcelona のレコードの成功が、Broken Promises が7インチ盤になることへと、つながったのではなかったか。

 国内盤のスリーヴにはCOLPIXの表示がある。原盤はコルピックスです、という意味だろう。コルピックスはハリウッドのコロンビア映画の一部門で、COLはコロンビア、そしてPIXはピクチャーズだ。

 COLPIXから発売されたBroken Promisesの7インチ盤は、本国では売れ行きにおいて芳しくはなかったようだ。そのレコードが、日本への売り込みのひとつとして、ヴィクターに届いたのではなかったか、と僕はここでも推測する。

 ビクター、と表記されていた当時の日本のヴィクターには、ワールド・グループという部署があったようだ。僕が手に入れたアンリ・ド・パリの3枚の7インチ盤の中袋には、3枚とも、「ポピュラー音楽の名店街 ビクター・ワールド・グループ」という文言が印刷してある。

 ワールド・グループは当然のこととして洋楽を守備範囲としていた。レコードを作る実務を担当していた人が、ある日のこと、コルピックスの Broken Promises を聴き、これはいける、と判断したのだろう。Broken Promises は、いっさいなんの無理もなく、歌謡曲として聴くことが出来たから。

 媚びたところのまったくない、しかし心得た美しい音のアルト・サックスに、アコーディオン、ギター、ベース、ドラムスという小さな編成で作り出される音楽は、この時代の日本、特に東京での夜の時間におけるナイトクラブのような場所での、男と女の風俗の最先端というフィクションの、ほとんど仕上げとも言っていいほどの出来ばえだ。

 そのような歌謡曲として、従来どおりの聴きかたが出来たと同時に、日本の歌謡曲の外の世界から偶然に実現した歌謡曲への重なりを、どことは言いがたいどこかに、従来のものを越える良さとして、感じることも出来た。

 わかりやすく簡単に言うと、歌謡曲の新曲のアルト・サックス演奏をエトランゼ風味でくるんだものだ。Broken Promises という原題には、苦しまぎれだったろうと僕は推測するが、「黒い傷あとのブルース」という日本語題名があたえられた。B面の Dreamy は「夢みるように」として、国内盤7インチは1961年に定価330円で発売された。

 このレコードの売れ行きは好ましいものだったに違いない。「かわいた唇」と「ハレム・パーティー」の2枚目が続き、「濡れた花びら」と「七つの流れ星」が3枚目となった。

 1枚目のスリーヴのいちばん上には、アルト・サックスの音がわたしの心をかきむしる、というコピーがある。2枚目では、「黒い傷あとのブルース」のアンリ・ド・パリが再び放つ、となっていて、3枚目のそれは、「黒い傷あとのブルース」をしのぐか!? アンリ・ド・パリが綴る哀愁のブルース、となっている。

 2枚目の売り上げが、そして3枚目も、1枚目の売り上げに迫って欲しい、という担当者の気持ちがこの三つのコピーに端的にあらわれている。

日本ビクター

 2枚目と3枚目のスリーヴには、デザイン化された GLOBE という商標が印刷してあり、2枚目では「グローブ〈アベニュー原盤〉」とあり、3枚目では「アベニュー/グローブ」となっている。2枚目以降の原盤はコルピックスではなかった、ということだろう。

 Broken Promises には水島哲による日本語の歌詞がついて歌謡曲となり、それを小林旭が歌い、7インチ盤としておなじく1961年に発売された。小林旭は隅々まで端正に歌って好ましい。

 その7インチ盤での題名は「黒い傷痕のブルース」だ。この歌謡曲をもとに日活が『黒い傷あとのブルース』という題名で映画を作り、小林旭が主演した。なんのことだかよくわからない不思議な映画だ、という印象を僕は持った。

日活

日本の歌謡曲のような世界観

 Broken Promisesをめぐる一連の出来事を時間順にならべると、以上のようになる。

 僕が手に入れたアンリ・ド・パリ楽団による3枚の7インチ盤は、3枚で合計6曲がすべてジョン・シャクテル John Schachtel の作曲によるものだ。日本語ではシャハテルと表記されることもあるが、シャクテルが正しい。

 国内で3枚目となった7インチ盤のスリーヴには、ステージ衣装でアルトサックスを持った中年の欧米人男性の写真が使ってある。この人がアンリ・ド・パリという人なのだろう、と僕は思うけれど、違う可能性もある。

日本ビクター

 6曲ともジョン・シャクテルの作曲であることからふくらんだ僕の推測では、ジョン・シャクテルとアンリ・ド・パリは同一人物になる。作曲者のジョン・シャクテルが演奏者としてアルトないしはテナー・サックスを吹くときには、Henri DePariになるのではないか。

 2枚目の7インチ盤のライナーには次のような記述がある。「近く世界に演奏旅行に発ち、日本にも立寄る予定と伝えられ、彼の生の演奏に直下にふれられるのが今から待たれています」。

 スリーヴ裏のライナーは3枚とも、おなじ少ない材料をもとに、おなじ人が書いたものだと僕は判断している。署名はない。レコード会社の担当者が書いたのではないか。

 7インチ盤を3枚手に入れた僕は、もう一枚はあるのではないか、と思い始めている。と同時に、この3枚で終わったかもなあ、という思いもある。

 スリーヴには、アンリ・ド・パリ楽団、と表記してある。しかしレコード本体にあるのは、1枚目がHENRI DE PARI with orchestra、そして2枚目と3枚目ではHenri DePariという英文による表示だ。

 意味はかなり違う。前者は、アンリがリーダーとして率いている楽団、という意味だ。後者は、なんらかの楽団にアンリが加わっている、という意味合いが強い。

 おなじようなものだ、と言っていいのかどうか。間違いではない、けっして嘘でもない、という許容範囲内の出来事か。アンリ・ド・パリ楽団、としておいたほうが、日本の購入者たちには、わかりやすかったのではないか。

 全6曲のうち「ハレム・パーティー」だけは曲想が違う。だからこれははずすとして、残りの5曲を僕はひとつのつながりとして受けとめる。

 受けとめた僕の想像力のなかに、ひとつの世界が作り出されていく。

 まったくの虚構としての世界なのだが、半世紀前に過ぎ去った時代のどこかにあったような気もする、ある種の情感によって支えられた世界だ。当時の歌謡曲のなかにしばしばあったはずの、都会の夜というフィクションのなかにいる、男と女の物語だ。

 たいした世界ではない。おなじ夜のなかで彼と彼女は、ふとした機会で知り合う。せいぜい半年、長くて1年、親しい関係を続けたのち、ふたりは別れる。初めからの約束事であったかのような別れだ。

 歌の都合によって、男女どちらにでもいいから、別れた相手への未練がいまも残る。いくつあったとも知れない、定型以外のなにものでもない、ほんの小さな切れ端のような情緒の上に立つ物語だ。そしてこれは主題になるのではないか、と僕は思う。小説の主題だ。

 アンリ・ド・パリの5曲をひとつにつなげて何度も受けとめていると、僕の想像力のなかにやがて小説が生まれるのではないか。なぜそんなことを思うのか、その理由は当の僕にもまだはっきりしていない。ひとつながりとしての5曲が、僕の想像力を刺激するから、としかいまのところ言いようがない。

 五つの曲のつながりは、時間と空間、そして雰囲気や意味合いなどだ。そのなかに、登場人物としての、男と女があらわれる。彼らがあらわれるにあたっては、少なくとも僕の場合、彼らの物語がどのようなものになるのか、ほとんど見えていなくてはいけない。

 Broken Promises に水島哲がつけた歌詞は、この曲に対して彼がおこなった、まさに王道をいくような解釈だ。

 曲に歌詞をつけたとは、その人がその曲を解釈した、ということだ。いかなる解釈であったかは、歌詞の内容がすべてを語っている。

 水島哲の歌詞に描かれた世界とは、まるで反対のところにある世界に向けて、アンリ・ド・パリの5曲は僕を刺激している。その意味では、水島哲の歌詞は、きわめて貴重な存在だ。僕は可能なかぎり、そこから離れればいいのだから。

出典:『現代ビジネス』講談社 2017年4月16日
アイキャッチ:Photo by iStock


アンリ・ド・パリ レコード
2018年10月31日 00:00