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「彼らはとにかく頑固だよ」

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この作品は、『日本語の外へ』「第1部 アメリカ──遠近法のなかへ」
に収録されたものです。

 東京サミットのために日本へ来たクリントン大統領は、日本のあと韓国を訪問した。アメリカの大統領としては初めて、北側との軍事境界線にある警備区域を視察した。軍用の服を着た大統領は、境界線にかかる橋を、北側に向けて少しだけ歩いてみた。国連軍の監視塔に上がった大統領は、双眼鏡で北側を眺めた。レンズに蓋をしたままの双眼鏡を目に当て、蓋をはずさなくてはいけないことに気づいて蓋をはずし、彼は双眼鏡を目に当てなおした。

「いかがでしたか」と取材者に質問された大統領は、「私は向こうを見たけれど、向こうも私を見ていたよ」と、笑いながら答えた。Did you wave?(向こうの人たちに向けて大統領は手を振ったりしましたか)という質問には、「こっちへおいでよ、という意味では手を振りたいですよ」と、彼は答えた。

「北朝鮮が核を使用するようなことがあれば、それは北朝鮮の終わりをも意味する」と、北朝鮮の核問題に関して大統領は発言した。孤立した小さな一部分にとどまり続けようとする北朝鮮というものが持つ、それを除いた全体にとっての不都合さ、威嚇、好ましくなさなどを北朝鮮自らに排除させ、全体のなかに加わるように促すという考えかたを、もっともわかりやすいかたちで、以上のようにクリントン大統領は表現した。

 大統領の日本訪問と関連させて、日本の市場の閉鎖性について、アメリカのあるTVニュースはリンゴとスロット・マシーンを取り上げ、短いスケッチのようなレポートをした。日本の市場の閉鎖性とは、全体というものに関する日本の側からの関心の薄さのことだ、と理解すればいい。

 アメリカの北西部でリンゴ園を経営している初老の男性は、リンゴ園のなかで取材を受け次のように語っていた。「アメリカのリンゴなんかいらない、と日本はきめてるんだね。いったんこうときめたら、日本の人たちはすさまじく頑固でね。絶対に考えを変えないよ。会えば慇懃(いんぎん)で丁寧かもしれないけど、とにかく頑固だよ。要するに、アメリカのリンゴは、いらないということなんだね」

 ネヴァダ州のリーノでスロット・マシーンを製作している会社が紹介された。リーノの賭博場における日本製のスロット・マシーンのシェアは間もなく五十パーセントにも届こうというのに、その会社のマシーンはなかなか日本の市場に入ることが出来なかった。難くせとしか言いようのない細かな規制や注文に徹底的に対応し、何年もかけ、ようやく七千台を日本に入れることが出来たという。日本は国土が狭い。その狭いところで効率を上げるには、マシーンをびっしりと無駄なくならべなくてはいけない。そのために、マシーンの右側についている、ガチャンと引き倒してスロットを回転させるためのアームを取り払ってくれ、という注文はもっとも日本的だったという。

 客からおかねをまき上げることを目的としているスロット・マシーンは、右側だけにあるアームによって、ワン・アームド・バンディット(強盗)と呼ばれてきた。しかし日本へ入るにあたっては、そのワン・アームをも落とさなくてはならなかった。文化論的には面白い話だが、機械の改造としては造作もないことだった。そのスロット・マシーンの会社の社長は、次のように語っていた。「これほど入りにくいとね、こっちだってはっきりと意図的に、向こうに対して厳しい措置を取るほかないね。こっちが向こうに入れないなら、いまこっちに入ってる向こうのものを、ここには居られなくしてしまうほかないんだよ」

 全体というものに対する日本の関心の薄さ、つまり展望や長期的な戦略のなさは、閉鎖市場のさまざまな実体として、こうしてそのイメージをふくらませていく。そしてそのようなイメージの上に立って、日本に向けてかくも一方的に傾いた巨額の貿易黒字はもはや悪である、とアメリカの大統領は言う。製品だけが行き交い、その他の領域ではいっさいなんの交流もないなら話は別だが、赤字国であるアメリカの赤字を補塡(ほてん)する資本輸出国としての日本の貿易黒字は、悪などというスリリングなものではなく、面白くもなんともない単なる必然でしかない。

 大統領を補佐するそれぞれの専門家たちが、このことを知らないはずはないし、知っているなら大統領に語って聞かせるはずだ。しかし、自分の国の巨額な赤字を前にして、これは必然ですよとも言っていられない。だから安全保障と経済とを密接に結びつける考えかたを、大統領は明らかにしている。安全保障とは経済であり、経済は安全保障なのだと、きわめてわかりやすく大統領は言っている。

 安全保障も経済も、誰もが参加する全体のことだ。安全保障の主軸としてのアメリカの力を、自分たち全員にとっての安全という背景を作り出すためにアジアが巧みに使うなら、そのことと一体になった関係の重要な一部分として、アジアの経済発展をアメリカは自分のためにも使うことが可能になる、ということだ。キー・ワードは全体ということ、そしてそこへの巧みな参加だ。

 韓国からハワイへ戻ったクリントン大統領は、ヒッカム空軍基地では米軍兵士の楽士たちとともにジャズを演奏した。大統領はテナー・サックスを吹いた。僕の意見では、テナー・サックスを演奏しているとき、この大統領はもっとも彼自身らしく見える。

 選挙運動中にTVで人気のある深夜番組に彼は出演し、サングラスをかけてテナー・サックスで『ハートブレイク・ホテル』を演奏した。TVニュースのなかでほんの数小節を聴いただけだから、テナー・マンとしての彼の腕前の判定はまだ僕には出来ない。けっして下手ではない、とだけ言っておこう。アンプレジデンシャル(大統領らしくない)という批判もあったが、大統領らしくないことと交換に彼らしさを見ることが出来るなら、僕は迷うことなく後者を取る。後にヨーロッパを訪問したとき、彼はバツラフ・ハヴェルからサクソフォーンを贈られた。そしてヨーロッパのジャズメンと『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』など、ジャズ曲をいくつか演奏したという。これを僕は聴いてみたいと願うのだが、かなうだろうか。

 彼らしさに関してもうひとつ加えておくなら、それは選挙戦中にいわゆる喉をつぶした状態となり、声が出なくなったことだ。声帯とその周辺の筋肉が、声を出すときに不必要に緊張する癖がついているのだろうか、本来の強さをともなっては出てこない自分の声を補うために、少しだけ大きな声で普通に喋ればいいときでも、彼は半ば叫んでしまう。過酷なスケジュールで選挙演説を繰り返すなかで、ついに彼の声は半日ほど失われた。

 ウィリアム・ジェファスン・クリントンというこの人を、けっしてあなどってはいけないと僕は思う。わかりにくさを特徴のひとつとして持っている彼は、そのわかりにくさゆえに、軽く見られたりあなどられたりすることが、よくあるようだ。田舎町に生まれたときには父親はすでに他界していて、義父はアルコール中毒であったという出発をした彼は、人文系としては最高と言っていい教育を受けるまでになった。これだけの幅とその後の経歴および体験のなかに、彼のすべてはある。

 変化を、という選挙民からの強い要求に、クリントンは自分が旧世代とは根本的に違っていることを訴えた。なにが違うのかというと、それは考えかただ。考えかたとは、問題の解決のしかただ。現在の難問を解決していくにあたっては、コンセプト自体を変革しなくてはいけない、とクリントンは主張した。これまでのような、単なる分配のしかたにかかわる政治ではなく、誰もが恩恵を受けることの可能なシステムを作り出すこと、つまり全体のシステムの変革を、彼はコンセプトとしては最大の目標に掲げた。

 アメリカもここまで来ると、解決はとうてい不可能である問題を数多くかかえざるを得なくなっている。大統領や政府が変わっても出来ないことは出来ないのだが、選挙民はすべての不可能を実現させるように要求し、大統領候補は絶対に守ることの出来ない約束をかたっぱしから結ばなくてはならなかった。各派のとりまとめがうまくいき、ビル・クリントンは大統領になった。アメリカの大統領になるという、彼にとっておそらくは最大の目標を彼は達成した。

 クリントン大統領が生い立ちや経歴のなかで高度な知力を獲得したとするなら、その知力は、なにについてどんなふうに、どこまで考え抜くことが出来るか、その次元の高さであるはずだ。たとえばアメリカの再建に関して彼が考えていることは、単なるアイディアやコンセプトの段階を抜け出ているようだ。大統領になってから彼がしてきたこと、あるいはしようとしてきたことは相当にラディカルであり、論理の筋道はきちんととおっている。自分が信条として持っているものの考えかたに対する、忠誠度の高い共鳴者を慎重に選んだ組閣や重要ポストの人事は、大統領の資質を反映しているという点において興味深いものがあった。

 女性およびマイノリティの比率は高率であり、司法長官に、そして最高裁判事の空席に、まっとうな論理の強靭さで知られた女性を彼は選んだ。大統領になってからの最初の重要アジェンダのひとつは、軍隊におけるゲイおよびレズビアンの無差別扱いという、果敢なものだった。大統領の思っているとおりにはとうてい進むことのない問題だ。彼という人のものの考えかたから必然的に出てくる優先順位というものだろうか。選挙中のいわゆる弱者票への約束というような次元では、これは説明出来ない。

 現実の政治の運営では、信条や利害を中心にして結びついているいくつかの派を巧みにとりまとめつつ、そのどれをも満足させていかなくてはならない。ここにはこれ、あそこにはそれというふうに、政策が小出しになることは最初からわかっているし、状況に応じた修正や取り消し、前言訂正、事実上の棚上げなどが、プロセスを縫い合わせるものとしてかならず加わってくる。そのようなプロセスのなかで、大統領の力は少しずつ確実に失われていくのではないか、という見かたは表層的だと僕は思う。プロにとっての武器である妥協を、大統領は巧みに使っている。しかし大衆は妥協を好まない。だから妥協は常に反対派にとっては絶好の攻撃目標となる。大統領に対する攻撃や批判の多さを、彼の力の減少と取り違えてはいけない。

底本:『日本語の外へ』角川文庫 2003年


『日本語の外へ』 アメリカを知っているのか?
2018年8月29日 00:00
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