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「神の目から見れば」

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この作品は、『日本語の外へ』「第1部 アメリカ──湾岸戦争を観察した」
に収録されたものです。

 ブッシュ大統領は、最初からイラクに宣戦布告するつもりだった。しかし、戦争をすると明言する代わりに、史上初のとまで言われたほどの、大動員を続けた。十一月の第一週の終わりには、動員数は四十万に増やされた。海兵隊の三分の二、そして海軍の半分が、そのときすでにサウディ・アラビアにいた。「食わせるだけでもたいへんだよ」と、コリン・パウエルは言っていた。必要とあらば武器を使うということ、つまり示威だけではなく実戦という軍事行動の選択は大前提ではあったが、クエートから出ていかないと戦争だぞ、というメッセージをイラクに伝えるだけにしては、この動員は大き過ぎた。示威というディフェンシヴな動きをはるかに越えて、それは明らかにオフェンシヴな動きだった。

 イラクとの戦争は、初めは単なるひとつのプロスペクト、つまり前方に予測し得るもののひとつだった。続いていく大増員のなかで、プロスペクトは事実上の確定へと、急速に変化していった。現場ではクリスマスから三か月ほどの期間が、気候的に見て戦争にもっとも適しているという事実が大動員に重なると、アメリカが軍事攻撃しようとしているのはバグダッドなのではないのか、という推測が語られ始めた。戦争をするつもりなら、ブッシュ大統領ははっきりそう言うべきだ、という意見が出始めたのもこの頃だ。

 そしてその頃、ブッシュ大統領は、一例として次のように言っていた。

 We are the United States of America. We are standing for principle and that principle must prevail. (我々はアメリカ合衆国であります。我々は理念とともにあり、その理念を守り抜かなくてはならないのです)

 あるいは次のようにも言っていた。

 Saddam is still playing fun and games with the U.S.A. and not taking the U.S. seriously. (サダムはアメリカを相手にふざけた態度を取り続けています。アメリカの言うことを真剣に受けとめようとはしていないのです)

 来るべき選挙にそなえて、共和党のキャンペーンに出た先での、演説の一部分だ。中東の話と愛国心という、誰もが賛成する話題だけを、大統領は取り上げていた。そうすることによって、あらゆる問題を自分がきちんとリードしている印象を、彼は人々にあたえようとした。少しだけ長い射程で見るなら、その行為は彼にとってマイナスとなって返って来ることは、予測出来たはずだが。

 十一月三十日の記者会見での大統領の発言も、その一部分が僕のメモのなかにある。次のとおりだ。

 Let me assure you should military action be required this will not be another Vietnam. And I pledge to you there will not be murky ending. And I will do my best to bring those kids home without one single shot fired in anger. I want to guarantee each person that their kid whose life is in harms way will have maximum support and will have the best chance to come home alive and will be backed up to their hilt. (アメリカの軍事行動が必要となった場合には、ヴェトナムの繰り返しにはならないことを私が確約します。曖昧な終結にはならないことも、私はみなさんに誓います。ヴェトナムのときのように、アメリカの若い兵士たちが途方に暮れて射ちまくるというようなことはいっさいなしに、彼らを戦地から帰還させるために、私は最善をつくす所存です。戦地へご子息を送られるかたたちのひとりひとりに、私はお約束申し上げます。ご子息たちは最大限の支援のもとに戦地へおもむきます。無事に生還する率は最大に高め、徹底した支援をほどこします)

 大統領による、This is not going to go on forever.というワン・センテンスも、僕はメモしておいた。字面の上では、「この状態が永久に続くわけではない」と、彼は言っただけだ。この状態とは、いっこうにアメリカの忠告を聞こうとしないイラクのことだ。アメリカの警告を無視してイラクは挑戦的な態度を取り続けている、というイメージを作り出すための、小さいけれどもそれなりに有効な念押しのひとつだ。アメリカの忍耐にも限界がある、という方向への世論の誘導として、そのような念押しは機能する。その誘導に対しては、忍耐の限界を開戦の理由にしてはいけないという言論が、市民の側からのアクションとして、出てきていた。

 大統領の盟友であり、腹心の部下であったジェームズ・ベーカー国務長官の言葉が三とおり、僕のメモのなかにあった。十一月五日の彼の言葉のなかの、exercise any option that might be availableという部分。「手に入るであろうオプションのどれをも自由に選んで行使する」と彼は言う。手に入るであろうオプションつまり選択肢とは、政治的あるいは外交的な解決という平和なオプションか経済制裁、さらには軍事行動というオプションであり、結局のところ我々の手に入ることとなった唯一のオプションは軍事行動であった、という結論をあらかじめ彼の言葉は見越していた。

 十一月三十日には、アメリカによるイラクに対する軍事行動は、「平和を継続させるためのもっとも優れた方法」The best way to give peace a chance.であると彼は言った。そして十二月七日には、サダムに関して、「彼が正しい選択をするよう願っている」I hope he makes the right choise.と彼は言った。願う、という言葉を使っておけば、現実の事態はどちらとなっても、正当性は自分のほうにある、というしかけだ。彼は正しい選択をし損なった、したがって残念ではあるが我々は軍事行動に訴えるほかない、というわけだ。

 一九九一年の一月九日、ジュネーヴで、国務長官はアジズ外相と会談した。そのとき国務長官は、大統領からのサダム宛の親書を、外相に手渡した。アジズは親書を注意深く読んだ。そしてそれの受け取りを拒否した。そのときの彼の言葉は次のとおりだ。

 I told him I’m sorry I can’t receive this letter. The reason is that the language in this letter is not compatible with the language that should be used in correspondence between heads of state.

「この親書のなかの言葉づかいは、ふたつの国の元首のあいだに交わされるものとして、ふさわしいものではない」と、アジズは言っている。よほど強い調子の、つまり威嚇し罵倒する言葉が、親書のなかには意図的につらねてあったのだ。我がほうには核があることを忘れるな、というような言葉もあったという。平和的な解決を模索する大統領からの最後の手段であった親書を、イラクは受け取ることすら拒否した、という状況を作り出すために、親書は意図的にそのような言葉を用いて書かれた。

 国防長官が、「サダムが尻尾を巻いてバグダッドに戻るまで」アメリカは手をゆるめない、と発言するのを僕は聞いた。サダムが人質をすべて解放すると、ブッシュ大統領はクエートの惨状について語ることをとおして、サダムをさらに攻撃した。

 公聴会でのロバート・マクナマラの発言の一部分が、僕のメモのなかにある。ここに採録しておこう。当時のマクナマラは、ヴェトナムで犯した失敗について、すでに充分に自覚していた。その自覚のなかからだろう、彼は次のように言った。

 Who can doubt that a year of blockade will be cheaper than a wake of war. The point is it’s going to be bloody. There’s going to be thousands and thousands and thousands of casualties, particularly for the U.S. but also for Iraq. And there’s going to be destabilization politically, economically and militarily in that area. We are going to live in caos. (軍事行動よりも一年間の経済封鎖のほうがはるかに安くあがることは、誰の目にも明らかです。軍事行動をおこせば血まみれになるというのが、最大の問題点です。何千、何万という数の死傷者が出ます。特にアメリカにとってそうですが、イラクにとってもおなじです。そして中東には、そのような軍事行動の結果としての、政治的な経済的な、そして軍事的な不安定状況がもたらされるのです。我々は深い混迷のなかを生きることとなります)

 ヴェトナム戦争が続いていたあいだ、当時の国防長官だったロバート・マクナマラは、アメリカが勝つということにかけてもっとも自信に満ちた主戦派の中心だった。アメリカは負けるかもしれない、この戦争は失敗だったかもしれない、といった懐疑の念に対して、マクナマラは徹底して挑戦的であり続けた。あらゆる反対をしりぞけ、彼は戦争を最大限に遂行した。しかし、じつはそのあいだずっと、彼はヴェトナム戦争に関してきわめて悲観的な考えを、内面に持っていた。その内面を、二十年以上にわたって、彼は隠し続けた。

 アーサー・シュレジンジャーは、「中東についてアメリカはなにひとつ知らない。制裁をゆっくりおこなうのが、もっとも正しい」と、発言した。世界が初めて見るほどの大動員が続いていくなかで、かならず戦争になるという考えかたが主流となっていき、それにともなって慎重論が登場してきた。慎重論のなかでもっとも大衆感情に近かったのは、マクナマラが言ったように、アメリカ兵の戦死者数がどのくらいになるかという推測だった。

 戦死者の推定は、casualty estimateと言う。戦死者にはいろんな言いかたがあるが、生々しい感じを出来るかぎり削ぎ落とした言いかたとしては、たとえばpersonnel losesという言いかたがある。予測される戦死者が多過ぎるためこの戦争は引き合わない、というようなことを言いあらわすには、too costly in terms of manpowerというふうに言葉をつなげる。もっとも単純にはhigh casualtyと言えば充分だが、それだと心理的な衝撃が大き過ぎる。だから言葉数を多くして言い換える。

 戦死者数の予測について討議がなされた議会で、「わずか数百名の戦死者」only a few hundred American casualtiesという言いかたをめぐって、議員たちは議論していた。onlyとはいったいなになのか、という議論だ。戦死した兵士の家族にとって、onlyという言葉はいっさい肯定的な意味は持たないという、根源的な意見には興味深いものがあった。

 死傷者は軽微、という意味の英語の言いかたは、light casualtyだ。軽微とは言いがたいときには、heavyあるいはhigh casualtyという反対語がある。しかしheavyへいくまでにもうひとつ、heavierという便利な言いかたがある。軽微であることを越えた範囲での、より多い死傷者の可能性を、この比較級の単語は意味している。

 lightであるかheavyであるかは後の問題として、casualtyとはいったいなになのかという根源的な問題も、アメリカでは討議された。戦地で戦死したまま、生きては二度と戻って来ることのない、十九歳から二十四歳くらいまでの青年たち、それがカジュアルティだ。カジュアルティという言葉の具体的意味が、命を失った人という、それ以上にはもはやどうすることも不可能な、問答無用な確固たる現実であるとき、lightだのheavyだのという形容語を使うことにいったいどれほどの意味があるというのか、と人々は議論した。若い兵士が大量に死んでいく地上戦をともなった従来どおりの戦争を、アメリカはもはや出来なくなった、という意味だ。

 豊かな先進文明国の、豊かな先進性は、厚みのある広い範囲での経済活動によって、作り出され支えられている。国のなかでも外でも、長期間にわたって平和が維持されないと、そのような経済活動の維持と拡大は不可能だ。貧しい後進国では、内外に深刻な紛争がほとんど常にある。宗教が近代化の足を引っぱり、紛争のもととなり、民衆はあっけなく兵士として動員され、死んでいく。軍備に国の資金は消えていく。生産のためには人も物もまわらず、生活の水準は落ちていくいっぽうとなる。豊かな国がその豊かさを維持していくために、ときとして戦死者というコストを払おうとする。豊かな国は、では貧しい国を救うために、どのようなコストを払う用意があるのか、クリスマスが近くなるにつれて、アメリカではこのような議論も、TVをとおして人々に伝えられた。

 アメリカが発表した数字によるなら、クエートへの侵略とその全土の制圧のためにイラクが動員した兵士は、五十三万名ということだった。すさまじい攻撃力を暗示するには、充分すぎるほどの数だ。クエートを制圧したまま、撤退に関するアメリカの警告を聞こうとせず、自由世界ぜんたいを相手に、弁解の余地のまったくない軍事暴力を行使し続けようとするイラク、というイメージは急速に出来上がっていった。あまりにもそのイメージが出来上がりすぎると、フセインという男はちょっと馬鹿なのではないか、と人々は思い始めた。

 けっして馬鹿ではないサダムについて、ブッシュ大統領は、「この男はなにを考えているのか、よくわからないよ」I can’t figure this man out.と言った。ジュネーヴで国務長官がアジズ外相と会っていることに関しては、One last attempt to go the last mile.と、大統領は表現した。平和的解決のための外交的な努力の最後のものであるこの話し合いが決裂したならそれが最後通牒となる、というような意味の発言だと思っていい。

 報道官がなにを言ってもたいしたことはないが、マーリン・フィッツウオーター報道官は、イラクに対するアメリカの態度を、no negotiations, no compromise, no attempt at face-saving and no awards for aggressionと、表現した。「早くに戦争となるだろう。すべてをやりつくしたあとの、それは最後の手段だ」とジョージ・ミッチェルは発言した。「戦争という最終的な手段を採択する前に、経済制裁を徹底的にやりつくすべきだ」という発言は、リチャード・ゲプハート上院議員のものだ。「すでに我々はルビコンの河を渡った。戦争になるかどうかではなく、その戦争に勝つかどうかが、最重要な問題だ」と、ヴァーモント州選出のパトリック・リーヒィー議員は発言した。「イラクがクエートから撤退しなければ、イラクは壊滅的な結果を迎えることとなる」と、国務長官は言った。一月の初め頃には、アメリカ議会はまだ戦争に関して懐疑的だった。

 国連の事務総長はOnly God knows if there will be war or peace.と言い、国務長官は、国連がきめた一月十五日という撤退期限について、serious deadline, very, very real deadlineと、十三日に言っていた。リアルとシリアスとの対比が興味深い。リアルとシリアスとは、同義語だ。と言うよりも、シリアスをさらにふくらませた上での同義語が、リアルなのだ。There is a fatal moment when one must act, and this moment, alas, has arrived.と、フランスの首相は、撤退期限の日に所感を述べた。

 Just to save face, he has to do something. So something is coming.とノーマン・シュワルツコフは言い、一月十五日の『イーヴニング・ニュース』の最後で、サンフランシスコのアメリカ軍基地に暮れていく冬の陽の映像にかぶせて、No one knows what next sunrise may bring.と、記者は言った。

 一月十七日、イラク軍に対する連合軍の戦闘が開始された。その戦争は「砂漠の嵐」と命名された。三十一日、カフジという場所での攻防戦で、アメリカ軍に初の戦死者が出た。二月十三日にはバグダッドが爆撃された。十八日にはゴルバチョフが新たな和平の提案をした。邪魔くさい、とはっきり言ったも同然に、二月二十二日、ブッシュ大統領は、クエートからのイラク軍の撤退期限を二十三日ときめた。このような期限はいわゆる物理的に不可能というものであり、二十四日、地上戦が始まった。二十六日にサダムはクエートからの撤退を自分の軍隊に命じた。その日にクエートは解放され、二十八日にブッシュ大統領は勝利と停戦を宣言した。

 一月三十日にブッシュ大統領がおこなった国家教書のスピーチのなかに、「リーダーが背負うもの」burden of leadershipという言葉があった。リーダーとはアメリカであり、背負うものとは、おなじスピーチのなかでの彼の言葉によれば、the moral standing and the means to back it upということだった。

 フランクリン・デラノ・ロウザヴェルトの孫にあたる、アン・ロウザヴェルトという女性が、大統領が言ってきたこと、そしてその頃まだ言っていたことすべてに対する、反対意見のスピーチをおこなった。淡々と言葉を積み重ねていく様子は、たとえば二月十日にサダムが言った、「神の目から見ればすでにイラクは勝利している」という言葉と、対等であるように僕には見えた。まったく対等ではなかったのは、つまりかなり下位に位置せざるを得ないと僕が感じたのは、二月十一日にブッシュ大統領が言った次のような言葉だ。

 I’ve always felt confident we are on the right path. I feel even more so now. (自分たちのめざしている方向は正しいのだと、私はいつも自信を持っていました。その自信はいまいっそう強くなっています)

底本:『日本語の外へ』角川文庫 2003年


『日本語の外へ』 アメリカを知っているのか?
2018年8月22日 00:00
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