アイキャッチ画像

ウエイ・オヴ・ライフを守る

縦書きで読む

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

この作品は、『日本語の外へ』「第1部 アメリカ──湾岸戦争を観察した」
に収録されたものです。

 アメリカによる中東の石油の支配とは、その価格をそのときどきの自分のつごうに合わせて、上げたりも下げたりも自由にしたい、ということだ。そのためには、中東の産油国のなかで、アメリカは発言権を強化しなくてはいけない。さらにそのためには、攻撃力の大きな軍事プレゼンスを、アメリカは中東に持っていなければならない。ここでなにかあったとき、ここを守れるのはアメリカだけだ、と常に言っていられる状態を作っておくためだ。

 イラクを悪者にするキャンペーンを画策していったアメリカは、一九九〇年二月のある日を境にして、サダムをアラビアの砂漠に暴力で君臨しようとする悪の大王にし始めた。そのキャンペーンは西側によるイラクの経済制裁を引き出した。クエートはイラクを挑発し続けた。交渉で解決しようとするイラクに対して、アメリカの後ろ楯に全面的に頼っていたクエートは、イラクの求めにまともには応じなかった。

 イランのイスラム原理主義を敵とした西側によって、イラン・イラク戦争を八年間も戦わされたイラクは、国力をほとんど使い果たしていた。疲労しきった国内には、莫大な額の借金だけが残っていた。石油を売るほかに国家としての収入のないイラクにとって、石油の値段は高いほうがいいが、とにかくせめて、値段は安定していてほしい、と願っていた。石油価格を安定させることに協力してほしい、とイラクはオペックの会議で求め続けた。

 いっさいを無視して、クエートは石油を増産した。増産すれば価格は下がる。一バレルにつき五十セントの低下でも、イラクにとっては文字どおり壊滅的な意味を持った。ほとんどなんの根拠もなしに砂漠の悪者に仕立て上げられる。経済制裁は受ける。周辺国は相手にしてくれない。石油の価格は下がる。イラクは追い込まれた。尊厳なしに生きるならその命に意味はなにもない、と言ってサダムはクエートとの国境に軍を集結させた。クエートを威嚇するためだ。威嚇は功を奏さないまま、クエートとの最終交渉は決裂した。イラク軍は国境を越えてクエートに侵攻した。

 その侵攻は事実だが、アメリカが盛んに言い立てたように、サウディ・アラビアまで攻め込むつもりは、サダムにはまったくなかった。というよりも、イラクの軍事力にとっては、そんなことは到底出来ないことだった。稼働率が五十パーセントを切るような状態の、ソ連製や中国製の戦車で、あの砂漠を延々といかなければならない。その戦車隊に、補給能力を含めて、軍事力のありったけを注ぎ込む必要がある。出来ないことであるよりも先に、それはサダムにとっては、思いもしないことだった。イラン・イラク戦争の経験をとおして、サダムはアメリカの力というものを、嫌というほどに知っていた。サウディ・アラビアに攻め込むのは思いもしないことだし、いわゆるアラブの大義にもそれは大きく反することだ。そしてアメリカとの戦争など、サダムにとってはとんでもないことだった。

 イラクがクエートに侵攻しても我々はそれに干渉しない、とアメリカはイラクに思わせた。アメリカによるこのプロセス作りには、奸計というような言葉を使ってもいい。詳しく書くことが馬鹿ばかしく感じられるほどに、そのプロセスは一定の方向への意図に満ちていた。イラクを軍事攻撃する計画は、アメリカにはとっくに出来ていた。その計画に沿ってブッシュ大統領は強引に走った。本来の彼は慎重な政治家であり、その慎重さゆえに、ウィムプ(弱虫)とすら呼ばれていた人だ。八月二日のうちに彼がしたことだけを列挙しても、列挙される事実の果敢な直進性は、ウィムプが乗ることの出来た計画の、事前における確実な存在を示している。八月二日のうちに早くも轟々たる動きを開始したアメリカ軍が、その計画を支えていた。

 アメリカ国内で放映されているTV番組としての、ニュースあるいはニュース解説番組のいくつかが、日本の地上波局から放映されている。趣味のひとつとして、それらを僕は以前から見ていた。たとえば三十分のニュース番組を見るとき、僕はその三十分だけは居ながらにしてアメリカへいっている、などと僕は冗談を言っていた。湾岸戦争をアメリカのTVのニュース番組だけで追ってみる、という試みを僕は八月のなかばに思いついた。アメリカの国内文脈としての湾岸戦争をTVで観察すれば、この戦争をつらぬくアメリカの意図はおのずから見えてくるはずだ、と僕は思った。

 ブッシュ大統領はサダムをヒトラーになぞらえた。キャンプ・デイヴィッドで会ったマーガレット・サッチャーに「徹底的に叩いとかないと、サダムは第二のヒトラーになんのよ」と言われたからだ。ブッシュの世代にとって、ヒトラーというひと言はたいへん効果的だった。ヒトラーの再来である巨悪によって、世界は深刻な威嚇にさらされている、と彼は説き始めた。その巨悪を退治して、アメリカは世界に新しい秩序を樹立するのだ、と彼は宣言した。八月なかば、彼がペンタゴンでスピーチをしたとき、そのなかに次のような一節があった。

 Our job, our way of life, our own freedom and the freedom of friendly countries around the world would all suffer if control of world crude oil reserve fell into the hand of that one man, Saddam Hussein. (世界の原油の供給が、サダム・フセインというこのひとりの男の手に落ちたなら、私たちの雇用、私たちの生活様式、私たちのフリーダム、そして世界の友好諸国のフリーダムが、被害を受けることになります)

 ブッシュ大統領の使う英語は、簡潔明瞭で力強く、わかりやすくてたいへんいい、と褒める人たちがいるようだが、僕はそのような意見を採らない。誰にとっても好ましく喜ばしいことについて語るときには、アメリカらしくてこういうのもいいかな、と思うことがあるのは確かだが、いま引用したこの一節のような文脈になってくると、アメリカの大統領が正式に使う言葉としては、あからさまに過ぎるゆえに真意が透けて見え、したがって品位に欠けると僕は思う。

 このような言葉づかいは、明快ではあるけれど、同時に攻撃的に深く踏み込んでいる。徹底的にやるぜ、とこの大統領は言っている。そうすることにきまっていたし、そのための準備は整っていた。湾岸戦争をとおして、アメリカは、自分がかかえている問題の多くを、世界に向けて公開した。なかば居直るようなかたちでの公開だった。公開された問題のほとんどが、この短い一節のなかに含まれている。その意味では、このスピーチは一種の名文だと言っていい。

 大統領は後段で石油について触れている。そして前半では、自国のウエイ・オヴ・ライフやフリーダムに言及している。どちらも最終的にはおなじところへ帰結する。だからどちらを取り上げてもいいのだが、ウエイ・オヴ・ライフについてまず書いておこう。

 ウエイ・オヴ・ライフというものを、アメリカが、しかも大統領が、このようなかたちで出してきたなら、あとは戦争しかない。必要ならいつでも戦争をするという決意と準備が、ウエイ・オヴ・ライフという言葉を支える。そしてその戦争は、アメリカにとっては、相手に対して圧倒的な勝利で終わる戦争でなければならない。アメリカはイラクに対して戦争をしかけ、その戦争に完全な勝利をおさめるという、ただひとつしかあり得ないコースの上に、大統領は立っていた。

 ウエイ・オヴ・ライフという言葉は、片仮名で書かれると、いまでは日本語としても通用しているようだ。享楽的な消費を積み重ねることをとおして、人とのあいだに差をつけつつ営まれる、あらゆる意味において安逸な生活、というような意味のイメージ用語だ。しかしアメリカでは、ウエイ・オヴ・ライフは戦争と直結している。

 アメリカで現役の兵士になると、入隊してすぐに、さまざまな教科書やマニュアルなどの印刷物を、かなり多く支給される。どのような部隊に所属するかによって異なるが、漫画になったマニュアルもある。きわめて陽気な漫画をとおして、最新鋭の戦車や攻撃ヘリコプター、銃器などの扱いかたからメインテナンスまで、新兵さんはこなせるようになったりする。このようなマニュアルでは、新しい部分はどんどん新しくなっていくが、少しも変わらない基本的な部分も多くあり、それらはたとえば第二次大戦の頃とくらべて、現在もたいして変わっていない。細かい活字と、当然のことながらやや陰気な図解や写真を使って編まれたマニュアルが、いまも数多く使用されている。

 海兵隊員になると支給されるマニュアルのなかに、『アメリカ海兵隊 エッセンシャル・サブジェクツ』という表題の、もっとも基本的なマニュアルが一冊ある。文庫本をひとまわり大きくしたサイズの、厚さが三センチほどの本だ。このマニュアルの第一章には、コード・オヴ・コンダクト、軍隊の法規、そして戦争における行動の三点について、ごく簡潔に述べてある。第一章のセクション・ワンは、コード・オヴ・コンダクトについてだ。コード・オヴ・コンダクトは、行動規範、とでも訳せばいいのだろうか。

 そのセクション・ワンのAは、コード・オヴ・コンダクトに関するいくつかの項目に分かれている。その項目の第一番目、アーティクル・ワンには、次のような記載がある。

 I am an American fighting man. I serve in the forces which guard my country and our way of life. I am prepared to give my life in their defence. (自分はアメリカの兵士であります。自分の国および生活様式を守る軍隊に自分は身を置き、挺身するものであります。国および生活様式を守るにあたり、自分は生命を捧げる用意を持つものであります)

 これは海兵隊員だけではなく、全軍に等しく共通するものだ。一般の民間人から兵士になったとたん、それまでとはまったく異なった世界の人となるのであり、そのような存在として最後まで守り抜かなければならない、絶対と言っていい基本的な規範のなかのもっとも基本的なものが、このアーティクル・ワンだ。兵士になるとは、必要とあらばいつでも国に命を捧げることだ。そして国とは、ウエイ・オヴ・ライフだ。

 ウエイ・オヴ・ライフという英語の言葉を、字面だけ日本語に置き換えると、一例として、生活様式、となる。これではあまりにも手ざわりがなさ過ぎるから、もう少し具体的に言葉数を多くするなら、ウエイ・オヴ・ライフとはたとえば次のようなことだ。「これ以外の生活のしかたを、ごく短い期間ならともかく、長期にわたって、あるいは無期限にいつまでも、失ったり放棄したりすることが、自分にとっては体の底から、心の底から、とうてい耐えることの不可能な、日々すでにもっとも慣れ親しみ、それはもう自分自身であると言っていいほどに自分のものとなっている、毎日の生活のしかた」

 これが敵国の威嚇によって危険にさらされたなら、その敵国を相手に最後まで戦うほかない、とアメリカは反射的に反応する。アメリカの歴史は、建国から現在にいたるまで、ほんの少しだけ誇張して言うなら、戦争の連続だ。しかし、アメリカがことさらに好戦的である、というわけではない。なにかことがあるそのつど、ただちに武力に訴えたがるトリガー・ハッピーでもない。建国以来、アメリカとアメリカ人を支えてきた理念が、戦争につながる性質を明確に持っているだけだ。そしてその理念をひと言で言うなら、さきほど引用した大統領のスピーチのなかにある、フリーダムだ。

 普遍的な概念としての自由と区別するため、アメリカの文脈のなかでは、フリーダムという言葉を僕は使うことにしよう。アメリカがフリーダムをどのようにとらえたか。それをどう解釈したか。それにもとづいてどんな世界を作ってきたか。それがそっくりそのまま、アメリカという国であり、その文化だ。フリーダムが国内だけに限られるなら、さほど問題はないかもしれない。しかし、国外へ持ち出してもそのままでは普遍的な機能をもはや持たないフリーダムを、湾岸戦争のようなかたちで国外へ突出させると、そのフリーダムが保証しているウエイ・オヴ・ライフのいびつさや矛盾が、そのままじつに正直に、全世界に向けて公開されてしまうことになる。湾岸戦争のなかに効用を求めるなら、そのもっとも大きなものはこれだった、と僕は思う。

 ウエイ・オヴ・ライフとはなにだろうか。日常生活のディテールから始まって、文化、政治、経済、軍事、外交その他、自分の国のすべてが、ウエイ・オヴ・ライフだ。湾岸へ兵士として出ていったひとりのアメリカ人の位置から言うなら、なんのことはない、それはhomeとjobだ。このふたつの、一見したところきわめて単純そうな言葉は、湾岸戦争が続いていたあいだずっと、その報道のなかに登場するアメリカ軍兵士の口から、頻出した。さきほど引用した大統領のスピーチの冒頭にも、jobという言葉が出てくる。

 ホームとジョッブによって作り出される彼らのウエイ・オヴ・ライフは、もちろんたいへんにアメリカ的なものだ。どのような点においてもっともアメリカ的であるかというと、外国から買った安い石油の上にのみ営み得るものである、という点においてだ。

 国内で消費する石油の七十パーセントを、アメリカは外国に依存している。一九八五年から一九九〇年までの五年間に、外国の石油に対するアメリカの依存度は倍になった。国民ひとりにつき日本人の倍の石油を使う、という統計数字もある。あらゆることが安い石油の上に乗っている事実は、どう言い逃れることも不可能だ。外国からの石油の非常に大きな部分を、アメリカはサウディ・アラビアに負っている。アメリカとサウディ・アラビアとの、これまでのつきあいの全プロセスは、石油のみがテーマだった。それ以外のことがテーマになったことは、一度もない。

 アメリカが採択した、イラクに対する全力をあげての軍事行動の、理念的な根拠としてアメリカが掲げた世界の民主主義を守るという大義、そして民主主義によって運営されているアメリカそのものも、とにかくすべては安い石油の上だ。安い石油の上に成立しているものすべてを、これまでどおりに存続させるために、アメリカはイラクという敵を意図的に作った。

 地球上にまだいくつかしかない先進国は、どれもみな、はっきりと知ったはずだ。正面きっては言われたくないことを、これ以上にはわかりやすくなり得ないような言葉で、言われてしまった。自分たちの毎日が安い石油の上に立っている事実を、アメリカの軍事行動をとおして、先進国のどこもが、いまさらながらに思い知らされるかたちで、知ったはずだ。日本もその先進国のひとつだ。

 現在の先進国の存立の土台は、基本的にみなおなじだ。先進国はその意味で一蓮托生だ。湾岸戦争は、自由世界を代表するアメリカが、悪に対して立ち上がって正義を守ったのではなく、先進国の生活の土台がなにであるかを、率先して正直にさらけ出した出来事だった。

底本:『日本語の外へ』角川文庫 2003年


『日本語の外へ』 アメリカを知っているのか?
2018年8月20日 00:00