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仕事をすませて家へ帰ろう

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この作品は、『日本語の外へ』「第1部 アメリカ──湾岸戦争を観察した」
に収録されたものです。

 十二月七日に日本で放映されたCBS『イーヴニング・ニュース』のなかに、大量に召集されたナショナル・ガードが、彼らのコミュニティである小さな町から出動していく様子をとらえた部分があった。これは本当に良く出来ていた。秀逸だった。まるで映画のようだった。この取材テープのここからはこの部分、そのテープからはここ、というふうに的確に選び出したものを、ものすごく自然な流れのなかで、きわめて巧みにつないだものに、全篇にわたって記者の語りが重なっていた。要所要所では、息子が召集された老いた父親、小学校の歴史の先生、ヴェトナム戦争のヴェテランたち、夫が召集された妻などの声が、拾ってあった。

 日本の映画用語で言うところのカット割りを、内容とともに細かく正確にメモしておけば良かった、といま僕は軽く後悔している。全体は映像による短篇小説のようだった。上質の情緒がぜんたいを明確につらぬいていく様子は、感動的ですらあった。見事な出来ばえだった。こういうものを作らせると、アメリカの人たちはうまい。なんということもない平凡な状況と材料なのだが、そこから感動的な映像短篇を彼らは作り出す。いざとなれば誰もが強固に共有することの出来る精神的な支柱、つまり世界のどこに対してもおなじように主張することの出来る、明確な歴史観がそのようなものを彼らに作らせる。

 その町から出動していくナショナル・ガードたちは、何台かのトラックに分乗していた。トラックは列を作っていた。コンヴォイだ。かなりの数の人たちが召集されたのだろう。映像によるレポートは、このコンヴォイが出発する日の朝の情景を、中心にしていた。見送りの人たちが、旗を持って外に出ている。幼い子供を抱き上げて別れを惜しんでいる、いまはもう軍服姿のお父さん。複雑な感情の高まりを抑制しようと努めている、初老となっているヴェトナム・ヴェテランたち。道からはずれて少しだけ高くなったところにトラクターを停め、その単座のシートにすわって息子を見送る七十二歳の父親。トラックの列は出発する。見送りの人たちと合わせて、ぜんたいの光景はなにかのパレードのようだ。妻の車がコンヴォイを追いかけて来る。トラックの列を停め、トラックを降り、軍服姿の夫は彼女ともう一度だけ抱き合う。

 ヒューマンなタッチ、などと日本語では表現される世界だ。しかしそのヒューマンなタッチは、世界で最強の攻撃力を持った軍隊が、戦後から数えても五十年間にわたって、ひたすら拡大されるなかで維持され続けてきたという、おそろしく硬質な事実が支えている。国のなかの小さな町、つまりコミュニティ。そのコミュニティを構成するいくつもの家族。ファミリーと国と愛国心。それらがひとつに溶け合って、思いっきり高まる機会、それがアメリカの人たちにとっては、戦争というものだ。

 ジョージア州のハインツヴィルという町のレポートも、僕は見た。この町は、陸軍の基地があることによって成立している町だ。アメリカにはこのような町がたくさんある。湾岸戦争に召集されて、町から男たちつまり兵士たちが、ごっそりといなくなってしまった。残された女性たちが毎日の生活を支え、維持していかなくてはならない。陸軍の基地の町だけに、いったん戦争となったらいつ終わるかわからない、という思いは深い。高校では中東の歴史や地理を教える科目が新設された。出動した兵士たち、つまり学校で学ぶ生徒たちの親が、大量に戦死するという最悪の事態にそなえて、親を失った生徒たちの悲しみのカウンセリングの準備を学校は開始した。

 第二次世界大戦以来のものだというスケールの動員を、TVニュースの画面のなかに見ているだけでも、アメリカ国内からだけではなく世界じゅうのアメリカ軍基地から、およそありとあらゆる兵器がサウディ・アラビアに集結していったことは、よくわかった。有事緊急展開の日本の基地から、戦艦や弾薬が現地へ出ていった。日本にある基地は、最終的には攻撃力に結びつく。そしてその攻撃力は、日本の人たちが普通に思い描いているよりも、はるかに強く高い。日本という外国のなかにある、アメリカ軍による軍事攻撃の、最前線だと思ったほうがいい。

 イラク軍の戦闘能力がどの程度であるのか、アメリカ軍は正確に知っていたはずだ。まったくたいしたことはない、と判断するのが世界の常識だとするなら、アメリカ軍がおこなった動員は、常識をはずれていたと言っていい。イラクとの戦争は、戦争であると同時に、おなじスケールで、そしてひょっとしたらそれを越えて、実弾演習や実弾実験でもあったのではないか。アメリカの全軍がそこに参加した。やや旧式の兵器や期限切れの迫った弾薬類は、いっきょにそこで始末出来た。新しい兵器にとっては、実戦で使ってみるという、最高の機会となった。たとえばM–1戦車は、それまで実戦では使ったことがなかった。巡航ミサイルのトマホークもそうだ。横須賀からはトマホーク装備艦であるバンカーヒルやファイフが出動した。LAVという軽装甲車輛は、時速六十マイルから七十マイルという機動性が能力の中心となった、偵察用の車輛だ。戦車部隊と戦う役ではなく、アメリカの海兵隊にとってはまだ実戦で試されたことのない、新しいコンセプトだった。

 イオージーマ(硫黄島)という名のアメリカの軍艦は、メインテナンスを重ねて三十年を生きてきた、このタイプとしては最古のヘリコプター・キャリアーだ。ボイラー・ルームで高圧の蒸気のとおる部分が破裂し、十名の兵士が命を落とした。昼間の砂漠では、トラックで移動していた海兵隊員が、友軍に射たれて死亡した。ハロウィーンまでに墜落した八機のアメリカ軍のヘリコプターのうち、七機は夜に落ちた。いくら夜間暗視装置があっても、なにもない砂漠のなかでは周辺視界はゼロとおなじだ。海と空の区別がつかず、海に突っ込むというようなことが起こった。戦争の準備は、明らかに戦争の一部分だ。動員はすでに実戦だった。

 ナッソーという航空母艦では、クエートへの上陸にそなえて、オマーンで上陸演習がおこなわれた。砲撃とエア・カヴァーの下を、戦車を積んだホーヴァー・クラフトが、海の波の上を陸へ向かって走った。このような光景を、ハードウエアの機能する典型的な光景だとすると、ウィスコンシンという軍艦から四十五日めに踏む陸として、兵士の一部がサウディに上陸する光景は、ソフトウエアの最底辺の光景だ。限定された区域を兵士たちは笑いながら陽気に歩き、二杯までという制限つきのビールを楽しんだ。

 夜の砂漠へ訓練に出た戦車は、しばしば迷子になった。砂漠には目標となるものがない。砂の広がりがあるだけだ。つらなる起伏は見当をすぐに狂わせる。夜ともなるとなおさらだ。海兵隊は迷子にならないと言われているが、GNS(グローバル・ナヴィゲーション・システム)のレシーヴァーが支給されるまでは、動きがとれなかった。レシーヴァーがあれば、砂漠の上空の衛星から発信される地理的なインフォメーションによって、正確な行動が可能になる。レシーヴァーを寄付してください、と民間の企業宛てに手紙を書いている海兵隊員が、ニュースの画面に登場した。軍からの正式な支給の予定は、ずっとあとだったという。

 ヨーロッパからサウディの砂漠へ移動した戦車隊の兵士たち全員が、遺書を書いている場面も僕はニュースで見た。動員とひと口に言うが、じつは極大から極小まで、俯瞰すると気が遠くなるような、複雑で多岐におよぶ大事業だ。ヨーロッパから砂漠へ移動したなら、現地の気候に体を順応させるクライマタイゼーションの訓練が必要だ。アメリカにとって第二次大戦以来の動員であるとは、人類にとって少なくとも現代や近代においては、史上最大の動員であることを意味する。十二月いっぱいまでに四十数名のアメリカ兵が、事故で死亡した。動員には事故はつきものだ。第八十二空挺師団という精鋭の兵士たちに向かって、ポール・トロッティという中佐が、ニュース報道の画面のなかで、次のように言っていた。

 It’s a dangerous business. If you can’t do it in peace time, then you are going to shoot your own men in war time.

(危険な世界だよ。普段ちゃんと出来ない奴は、戦場では間違えて友軍を射ったりするんだ)

 中東へすでに到着しているアメリカ兵たちは、実戦が始まってからのいざというときにそなえて、訓練のときには節約のために実弾を使用せず、子供の戦争ごっこさながらに、バング、バング、バングと口で射撃音を真似ながら訓練しているという、ちょっと信じがたい不思議な報道も僕は見た。「こういうことをやってると、勘は鈍りますよ」と、兵士のひとりは言っていた。飛行機から地上を機銃掃射するときにも、パイロットが口真似する射撃音をマイクで拾い、スピーカーで地上に向けて放っている、とその報道は伝えていた。第二次大戦ではロンメル将軍と対峙した、イギリスのあの有名な砂漠の鼠と呼ばれた部隊の名をそのままいまも引き継いでいる部隊が中東に来ていて、彼等は訓練時にも実弾を豊富に使っている、とそのニュースは伝えた。冗談である可能性もなくはないが、おそらく本当なのだろう。だとしたらその状況はブラック・ユーモアに到達している、と僕は思う。

 湾岸戦争という戦争のなかのブラック・ユーモアでもっとも面白いのは、ジャン・ボードリヤールが『湾岸戦争は起こらなかった』(邦訳は紀伊國屋書店)のなかで書いていた、次のような状況だ。前線でイギリスの砲兵隊が二十四時間ぶっとおしで砲撃を続けている。砲撃目標地点には、破壊すべき攻撃目標など、なにひとつない。前線に向けて接近中の機甲部隊の音を消すために、砲撃を続けているのだ。前線、つまり敵兵に向けて、機甲部隊は接近していきつつあるのだが、その敵兵はとっくに逃亡してしまって、前線にはもはや誰ひとりいない。

 インディアナ州のマディスンというところにある、アメリカ軍の弾薬テスト場についての報道を、僕はいまも記憶している。広大な土地の全域が、長い期間にわたって、あらゆる弾丸や弾薬のテスト場として機能してきた。しかし経費節約のため、このテスト場はまもなく閉鎖されるという。閉鎖するのはいいとして、広い敷地ぜんたいに不発弾がいくつあるか誰にもわからない、という状況があとに残る。テストで射ち込み、不発だった弾丸はそのままに放置してある。敷地ぜんたいを安全な土地にするためのテクノロジーは、いまのところ皆無だ。こうしたテスト場を閉鎖すると、正式に軍に支給される弾薬のなかに、基準を満たさない不良品が増えるのではないか、と担当者は語っていた。

 中東のアメリカ兵に向けて、本国のたとえば家族たちから、大量の郵便物が届く。仕分けして配達するのがたいへんであり、作業は大幅に遅れている、というようなレポートもあった。おりからクリスマスのシーズンだった。We love you, Dad.などと大きく書いたパッケージの山が、砂漠の陽光のなかで文字どおり山を作っていた。アメリカ本土からサウディへの、AT&Tの電話代は一分につき一ドル六十セントだった。通話は一回十五分の制限つきだ。料金の半分はサウディに対して支払う、とAT&Tは言っていた。衛星を使って直接に送っても、代金の半分はサウディに払うということだった。サウディへ出動した夫と何度か電話で連絡を取り合った奥さんが、その電話代がいまの私には払えない、とニュース画面のなかで言っていた。AT&Tにとって、湾岸戦争にかかわる収支は、いわゆるとんとんだったそうだ。

 フランスからは外人部隊もサウディに来ていた。この部隊には日本人も多い、とアメリカのTVニュースはレポートしていた。イギリスからは、さきほども書いた砂漠の鼠が来ていた。人はもちろん違うが、第二次大戦のときの砂漠の鼠とおなじ部隊だ。チャレンジャー戦車の彼らは、M–1のアメリカ兵にくらべると、ずいぶんと雰囲気が異なっていた。イギリスの彼らは、フランスからの部隊とおなじく、静かであり、抑制が効いていた。沈着そうな様子のなかに、アメリカ的に浮いたものがなかった。違うというなら、アメリカ兵たちも、たとえば第二次大戦や朝鮮戦争の頃にくらべると、ずいぶん違っていた。体つき、動きかた、ヘルメット、軍服、装備の持ちかたなどで、昔のアメリカ兵たちは、遠くからでもひと目でアメリカ兵だとわかった。いまは、たとえば体型がじつにさまざまだ。昔は白人という枠のなかでのさまざまな体型だったが、現在は白人以外のいくつもの人種が混在するなかでの、文字どおりさまざまな体型だ。

 アラブの人たちは一日に五回、祈る。兵士たちでもそのことに変わりはない。彼らにとってはイスラムが唯一の宗教だ。他はすべて異教徒だ。異教徒とは、あってはならない存在のことだ。征服し、殺してようやく、異教徒は他者となる。征服することも殺すことも出来ない場合は、異教徒は一時的に招き入れられた客人だ。兵士であることを抜きにして考えると、サウディに出動したアメリカ兵たちは、一時的に滞在して仕事をしている労働者たちだ。

 十字架やスター・オヴ・デイヴィッドは目につかないようにしておくこと、という通達がアメリカの兵士たちに出された。女性兵士が立ち混じるなど、アラブの人たちにとってはとんでもないことだった。テントのなかでおこなわれる礼拝や説教は、アメリカ軍の基地の内部に限定された。軍隊つきの牧師は、たとえばチャプレンやミニスターという伝統的な言いかたから、モラール・オフィサーなどと、呼びかたが一時的に変更された。

 それでも、とにかく、どちらの側の兵士たちも、それぞれの神に祈った。戦闘機のパイロットたちは、砂漠のテントのなかで、バイブル・スタディのクラスを欠かさなかった。最終的には誰もが祈るほかなかった。兵士たちも、そして母国に残された家族や親族、友人や知人、そして顔も名前も知らない人たちも、兵士たちの無事を祈った。祈るという行為の背後にある宗教感情は、神という唯一絶対の人を介して、おたがいが少なくともそのときは、結ばれてあるということだ。

 母国を遠く離れた異教徒の国での、制約の多いクリスマスを、アメリカの兵士たちは過ごした。母国の軍事基地のゲートには、アメリカの兵士たちに祈りを、という意味の言葉を書いた看板が掲げられた。そのクリスマスに、メリー・クリスマスの言葉や感情とともに、サウディのアメリカ兵に届けられたのは、たとえば母国にいる父親からの、Go get them!という、少なくともアメリカ的な文脈では普遍性のある言葉だった。戦闘機のパイロットであるダニーという息子の姿を、自宅の居間のTVのスクリーンに見ながら、彼の父親がスクリーンに向かってそう言っていた。そのような言葉を受ける兵士たちのほうでも、To go and get the job done. That’s what we are here for.という言葉でおたがいを確認し合っていた。

 クリスマスは過ぎ去り、砂漠のなかでは中年の将校が若い兵士たちに向かって、一例として次のように叱咤した。「実戦になってとことん最後のどたん場に身を置いたら、敵と戦うのは愛国心のためじゃないんだよ。お母さんのためでも、アップル・パイのためでもないんだ。サラ・リーなんてどうでもいい、すぐかたわらにいる戦友たちのために、誰もが戦うんだ」

 そのような若い兵士たちに、再び取材に来たCBSのダン・ラザーが、いまの気持ち、というやつを聞いてまわった。世界経済が独裁者の手に落ちるとか、自分の国のためには戦うほかないとか、平凡な感想を述べる彼らのなかに、「私個人としては、ほんとのことを言って、納得はいってないです」I myself don’t see the point. Tell you the truth.と答える若いGIがいたりもした。

底本:『日本語の外へ』角川文庫 2003年


『日本語の外へ』 アメリカを知っているのか?
2018年8月13日 00:00