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八月二日、軽井沢、快晴

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この作品は、『日本語の外へ』「第1部 アメリカ──湾岸戦争を観察した」
に収録されたものです。

 その年の夏、七月の終わり、僕は軽井沢にいた。仕事は例によって多忙だった。そうではなくても、軽井沢に本来なら僕はなんの用もない。そのときそこにいたのは、美術館の展覧会を見たかったからだ。アンドリュー・ワイエスがヘルガを描いた絵が、下絵も含めて数多く公開される展覧会だった。これはぜひ見たかった。

 ホテルに泊まって仕事をして過ごし、八月の二日、夏らしい美しく晴れた暑い日、僕は午前中にその美術館へ出かけていった。ワイエスの作品を見て、僕は幸福な時間を過ごした。お昼になった。美術館のカフェテリアには屋外の部分があった。強い陽ざしが直射するテーブルを選び、僕はひとり昼食を食べた。

 ふたたび、僕はワイエスの絵を見た。つきることのない散歩道を歩くような気分で、いくつもの絵を僕は何度も見てまわった。そして庭へ出た。自然の地形をうまく利用した庭園だった。そこをも、僕はさまざまに歩いた。広く芝生のスペースがあり、僕はそこに寝そべり、晴れた夏の日の空を眺めて過ごした。

 横たえた体の下に草と土地の厚みを感じながら、高く広がる快晴の空と夏の陽光を、全身の感覚で僕は受けとめた。遠くにつらなる山なみの造形と、そこに直射する陽ざしの様子を見ていた僕は、いつだったかこれとそっくりの体験をしたことがある、と思った。デジャヴーではなく、それは現実の体験だった。二、三年前、おなじ季節におなじ美術館で、僕はサム・フランシスの抽象画の展覧会を見た。より遠いほうのそのとき、僕は近いほうのこのときと、まったくおなじ時間の過ごしかたをしたのだった。

 山なみに当たる陽光の角度の変化が明らかに見て取れるようになってから、僕はもういちど美術館のなかに入った。本なら序文にあたるような位置に、日本語による解説のパネルが掲げてあった。読むともなく、僕はそれを読んでみた。私の絵にペシミスティックな感触があるのは、いま自分が見ているこの瞬間を、いつまでも自分のものとして持っていたいと私が願うからだろう、という意味のワイエスの言葉を僕は記憶に残した。

 この言葉を彼自身の英語で読んでみたい、と僕は思った。自宅に持っているワイエスの画集には、英文の解説がかなり長く入っている。彼のこの言葉は、おそらくそこにあるだろう。帰ったらさっそく探してみよう。そう思いながら、僕は美術館を出た。ホテルまでかなりの距離があった。いい散歩だ。僕はそこからホテルまで歩くことにした。僕は歩いた。

 ペシミズムの出発点について、僕は考えた。いま自分が見ているこの瞬間のこの光景を、いつまでも自分のものとして持っていたいと願うこと。それがペシミズムの出発点だ。少なくともワイエスによれば、そうだ。時間は経過していく。経過してかたっぱしから消える。そのなかで、すべてのものは変化していく。消えるものも多い。そのこと自体が、ペシミズムの土台だ。生きてこの世にあるということは、ペシミスティックにとらえてこそ、正解なのか。ペシミズムは子供の頃からの僕の趣味だ。

 ホテルまで歩いて戻り、僕はロビーに入った。そこにあるすべてのものが、平凡さの権化のようだった。これをいったいどうすればいいのか、などと思いながら、その平凡さの一部分として、僕はフロント・デスクへ歩いた。デスクのカウンターには、その横幅いっぱいに、人だかりがしていた。だから僕はさらに奥へ歩き、窓に沿って配置してある革張りのソファの、空席にすわった。

 テーブルをはさんで向かい側の席には、中年の男性がひとりすわっていた。日本の会社のおっさんだ。されるほうなのか、あるいはするほうなのか、接待ゴルフ以外にいまは世界を持たないまま、凡庸さを絵に描いたような服装で、心の貧しさをそのまま体つきと表情に出して、彼は地元の夕刊を読んでいた。僕に向けて広げている一面のいちばん上に、かなり大きな黒い文字で、「イラク、クエートに侵攻」とあるのを、僕は見た。

 あ、戦争になる、と僕は反射的に思った。待ち構えたようにアメリカが出ていって、アラビア半島で戦争が起こる。イラクについて知っているほんの少しのことが、僕の頭のなかにスクロールされてきた。バグダッドもバスラもイラクにある。バグダッドはアラビアン・ナイトの舞台だ。バスラは、一九五〇年代のハリウッドが盛んに作った、娯楽時代劇の舞台だ。どちらも、アメリカによって、第二次大戦後のドレスデンのようになるのだろうか。イラン・イラク戦争が終わったばかりだ。軍事力その他、イラクはほとんどすべてを使い果たしているはずだ。アメリカの工作により、クエートへ侵攻したというかたちで引っぱり出され、イラクはアメリカによって叩きつぶされるのか。

 フロント・デスクの前から人が少なくなっていた。僕は部屋の鍵をもらい、二階だったか三階だったかの、僕の部屋へ歩いた。部屋のあるフロアに上がると、階段のホールからいちばん奥の突き当たりに向けて、廊下がまっすぐにのびていた。階段から上がってきてその廊下へ曲がり込む角のところに、首相の警護の人がひとりだけ立っていた。首相はいちばん奥のスイートに宿泊していた。僕の部屋はそのいくつか手前だった。黙礼くらいはマナーだろうと思い、僕はその警護の人に黙礼した。その人は、きわめて丁寧に、黙礼を返してくれた。

底本:『日本語の外へ』角川文庫 2003年


2018年8月1日 00:00