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真実はまだ明かされない

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この作品は、『日本語の外へ』「第1部 アメリカ──フリーダムを実行する」
に収録されたものです。

1

 ケネディ大統領が暗殺されてから四十年近くになる。ケネディについて語るとき、この暗殺の当日にあなたはどこにいてなにをしていたか、という言いかたがアメリカではいまでも枕言葉のように使われている。そのとき誰がどこにいてなにをしていたかなど、暗殺の本質にはなんの関係もない。暗殺はおこなわれた。しかもライフルで、正確に狙われて。これが本質だ。

 アメリカの大統領が、至近距離ではないところからライフルで射たれて暗殺されたのは、ケネディが最初だ。それまでの大統領暗殺は、未遂も含めて、すぐ目の前と言っていいところからの、拳銃による試みだった。試みたのは狂信者であり、暗殺という目的のために、彼らはあらかじめ自分の命を投げ出していた。

 ライフルの場合、意味は完全に違ってくる。狙って引き金を引く人は、請け負い仕事をしている。人の頭を遠くからライフルで射ち、西瓜や南瓜のように吹き飛ばすことをなんとも思っていない射手たちが、射つところは見られたくない、射ったあとは逃げたい、つかまりたくない、という願望のもとにすべてを計画し実行したことを、ライフルというものは雄弁に物語っている。

 オズワルドの単独犯行という説が、仕立て上げられた作り話であることは確実なようだ。オズワルドひとりの犯行ではないことを示す、いくつもの有力な証拠や証言がある。そのうちのひとつは、皮肉にもライフルに関するものだ。教科書倉庫という建物の六階の窓から、昔のイタリー製のマンリカー・カルカノというボルト・アクションのライフルで、オズワルドは三発の弾丸を射ち、大統領に命中させて殺した、ということになっている。当日は現場にいて8ミリ撮影機でモーターケードを撮影した、エイブラハム・ザプルーダーという一般民間人のフィルムを分析していくと、オズワルド単独犯行説はあっけなくひっくり返る。

 この8ミリ・フィルムの全齣(こま)を拡大プリントし、ライト・テーブルの上にならべてルーペで観察しながら、ケネディとおなじ車に乗っていたコナリー知事夫妻が検証していくという記事が、『ライフ』の一九六六年十一月二十八日号に掲載された。専門家の分析によってすでに導き出されていた結論を、おなじ車に乗っていたコナリー夫妻が裏付けするという趣向の記事だ。『ライフ』のこの号が、いまも僕の手もとにある。さきほど僕はその記事を読みなおし、写真を観察しなおした。ケネディと自分が被弾した順番とタイミングを、フィルムの齣をひとつずつ追いながら、コナリーは確定していく。最初の被弾からケネディの後頭部が吹き飛ぶ致命傷の瞬間まで、フィルムの齣数によって経過時間を正確に算出することが出来る。

 フィルムには現場の道路や標識など多くのものが映っているから、被弾ごとに、その瞬間の場所も、正確に確定することが可能だ。こうした分析の結果、背後から来た弾丸だけでも、とうていひとりで射てるものではなく、ましてや後頭部を破壊した前方からの弾丸は、単独犯行説では完全に説明不可能だということが、ザプルーダーのフィルムによってわかる。こう断定する説が、少なくとも説としては、充分に成立する。

 おなじ型のライフルと練達の射手を使って、FBIは狙撃を再現してみた。マンリカー・カルカノを射つためには、機関部の右側に突き出ているボルトの梃子(てこ)を右手で持ち上げ、手前へいっぱいに引いたのち、今度は前方へ押し戻す。そして梃子を下げる。この一連の動作によって、クリップのなかの初弾は薬室に送り込まれ、射撃メカニズムの用意が整う。右手をストックのグリップに戻し、標的を狙って引き金を絞る。続けて射つためには、以上の動作を繰り返さなくてはいけない。梃子を持ち上げ、手前に引いて空になった薬莢を排出させ、梃子つまりボルトを押し戻して次弾を送り込み、梃子を下げて右手をストックと引き金に戻す。そして狙いなおして引き金を絞る。

 射手にとって狙いの角度を刻々と変化させつつ遠のいていく標的を、狙いなおす余裕などまったくなしに、とにかく射つだけでも、ひとりでは絶対に無理だという結論が出た。ケネディとコナリーのふたりに着弾した三発の、初弾の着弾から三発めの着弾までの経過時間内では、少なくともマンリカー・カルカノでは、命中させることは論外として、おおまかに標的の方向にむけて射つことすら、不可能であることがわかった。オズワルドの単独犯行説にとっては、このことはたいへんにつごうが悪い。

 射手がひとりでは時間が足らない。足らない時間は引きのばせばいいではないかという理論にもとづいて、FBIはモーターケードそのものを再現し、ザプルーダーのフィルムとおなじ位置から8ミリで撮影した。ただし、三発それぞれが着弾した地点、つまり一発ごとの発射時間を特定する鍵となる道路標識の位置を、FBIは前もって変更しておいた。こうして再現されたフィルムによると、ひとりでも狙撃は充分に可能だったということになった。

 狙撃者がひとりではなかったことに関する、何人もの目撃者による重要な証言は、結果としてきわめてぞんざいに扱われるか、あるいは無視された。現場にいた一般の人たちの多くは、銃声は三発から七発くらいまで聞いた、と証言した。モーターケードが進んでいくエルム・ストリートの道路や歩道に、標的をはずれた何発かの弾丸が当たるのを見た、という証言もたくさんある。弾丸が当たってえぐり取られた跡のある歩道のコンクリート部分、という証拠も存在していた。えぐり取られた跡から直線を後方に向けてのばしていくと、教科書倉庫の六階のあの窓にはたどり着かず、右隣りの一階建ての建物へとたどり着いたという。

 エルム・ストリート、メイン・ストリート、そしてコマース・ストリートの三本の道路は、前方で立体交差の下をくぐる。このくぐる部分の分離支柱の前に立っていた男性の顔に、標的をはずれた弾丸は、間接的に傷を負わせた。標的に当たらなかった弾丸は道路に当たり、コンクリートの破片をはね飛ばし、それが彼に当たった。

 モーターケードから見て右側前方の、芝生の生えた小高い丘の頂上にあった板塀の向こうから狙撃がおこなわれた、といういくつもの証言が抹殺された。丘の上からの狙撃に関する証言者を含めて、単独犯行説にとって都合の悪い証言をした十八名もの人が、その後のごく短い期間のなかで、とりあえず三名を除いて相当に不自然な死にかたで他界した。

 ケネディの暗殺は、オズワルドという人ひとりによる犯行であると結論づけたウオーレン報告書は、強引でなおかつ杜撰(ずさん)のひと言につきるようだ。オズワルドの単独犯行という説を成立させるための、その意図に沿ったつじつま合わせ、言葉づかい、表現の工夫、ものの言いかたの調子などによって、かろうじてその膨大な全体は支えられている。

 まともに考えるなら誰にでもわかるとおり、特定の現場という範囲のなかでの時間の経過と、その時間のなかで主要人物たちがとった行動のシンクロナイゼーションの創作、つまりでっち上げは、たいへんに難しい。しかもことは大統領の暗殺であり、目撃者、調査担当者、調査を指令する人たちなど、関係者の数は絶望的に多い。

 暗殺がおこなわれる直前から映画館で逮捕されるまでのオズワルドの動きに関して採用された証言者や目撃者たちの証言の、ウオーレン報告書という作り替えられた結果のなかにおける破綻は、時間と行動のつじつま合わせの困難さの象徴としての様相を呈している。真実、つまりオズワルドが実際にとった行動は、ひとつしかない。その真実のかわりに、別なストーリーを作って同一時間帯のなかにはめこむことがいかに困難であるかを、ウオーレン委員会の報告書は自ら証明している。

 オズワルドの単独犯行説を採択することにあらかじめきまっていたウオーレン委員会のために、地元の警察を中心にして政府機構が協力した結果として出来上がったのが、膨大な量のウオーレン報告書だった。そして、政府機構の内部にいる人たちが深く関与して遂行された暗殺のカヴァー・アップが、これほどまでに強引で粗雑で幼稚であるという事実は、暗殺による傷を決定的に深める役だけを果たした。

 ケネディを暗殺しなければならなかった理由は、自分たちの存在のしかたやそれを支える理念などすべてを、戦争という巨大なメカニズムの上に置いていた人たちの側にある。当時は冷戦のまっただなかにあった。冷戦とは、じつは、途方もないスケールの戦争だった。戦争は、そのスケールに比例して、たいへん広い範囲にわたって、巨額の利益を生み出す。

 ケネディは、この戦争という機構を、なしにしようとした。ヴェトナムからは撤兵し、キューバには手を出さず、ソ連とは話し合いをとおして、たとえば核実験停止の協定を結ぼうとした。戦争に自分たちのすべてが乗っている人たちにとって、ケネディは倒すべき敵だった。アメリカがヴェトナムから手を引けばアジアぜんたいが共産主義となる、ソ連とも手を結ぶケネディは容共のファシストだ、という次元の薄気味悪い愛国の感情に、そのような人たちは支えられていた。

 アメリカがそれまで世界に向けて広げてきた、そしてさらに続けて広げようとしていた自由と民主主義は、ケネディの暗殺によってその信頼性の裏書きを大きく失った。自由と民主主義は高く掲げた理想であり、とりあえずアメリカにおいてそれはもっとも成熟してはいるけれど、その裏には戦争つまり自分の都合と利益を暴力で確保するための機構が裏地として貼りついている事実を、世界に対してもっともわかりやすいかたちで、アメリカは自ら明らかにしてしまった。

 一連のカヴァー・アップは、そのわかりやすさをさらにわかりやすくした。自由と民主主義を社会システムとしてもっとも成熟させ、それを世界に対してお手本として広めてきたアメリカにおいてすら、システムはこのような欠陥を常に持ち得るのだということを、人々に教えた世界史的な教訓となった。

 以上のような文章を、ひとつの試みとして、僕は一時間ほどかけて書いてみた。昔ふうの言いかたをするなら、四百字詰めの原稿用紙で十二枚ほどのエッセイだ。いちおう良くまとまっている。大統領の暗殺は陰謀であったとする説に立って、マンリカー・カルカノ、ザプルーダー・フィルム、FBIによる狙撃の再現など、陰謀説から派生してくる興味を、字数の許すかぎり取り込んでいる。そして陰謀説とそのカヴァー・アップを、冷戦さなかのアメリカの、戦争や軍事産業の側の暴力的な世界観と結びつけて結論とし、たいへんもっともらしい。

 こういう文章の虚しさというものについて、いま僕は思っている。そこに書いてあることは、無数と言っていいほどに多くの人たちが、すでに知っていることだ。それらをいかに簡潔に一篇のエッセイにまとめようとも、なにひとつくつがえらないし、新たに明らかになることもなにひとつありはしない。

 陰謀説に関して可能なかぎり詳しく書いた膨大な本を作っても、その結果はいま僕が試しに書いたエッセイと、なんら変わらないはずだ。オズワルド単独犯行説でも、そのことはまったくおなじだ。どちらを試しても、真実は明らかにならない、という虚しさに突き当たるだけだ。虚しさ、と言ってはいけないのだと、僕は思いなおす。少なくとも現在の段階では、真実は明らかになっていないという現実の、巨大で強固な様子は確認することが出来る、というふうに考えるといい。なにひとつまともには明らかになっていないという現実のなかに、大統領暗殺に関するすべてがある。

2

『JFK』と『ダラスの暑い日』という二本の映画のヴィデオを買って来て、僕は見た。大統領の暗殺をめぐって陰謀があり、カヴァー・アップがおこなわれ、真相は葬り去られたも同然であるという主張においては、このふたつの作品は基本をおなじくしている。『ダラスの暑い日』には、暗殺に関してすべてをとりしきる四人の男性たちが、最初から登場する。ほとんどなんの予備知識もなしに見ると、この四人がどういう立場のどんな人なのか、わかりにくいだろう。映画のなかでも説明はされていないから、言葉づかい、つまり彼ら四人の台詞の端々と風貌から、推測するほかない。バート・ランカスターが演じているファーリントンという男は、もとCIAだ。ロバート・ライアンが扮しているのは、もとFBIだろう。そして、ほとんどいつも白いスーツを着ていて、「ご老体」と呼ばれたりしている男は、石油産業の大物という設定だ。もうひとり、もと軍人の男がいる。

 庶民とはかけ離れたところで、常になにごとか良からぬ計画を考えては実行に移すのを仕事にしている男たち、という印象をこの四人はあたえる。ケネディに対しては強く反感を持っていて、やっちまえ、といういちばん最初の決意から暗殺の計画と実行まで、トップからボトムにいたるまでのすべてを、少なくともこの映画のなかでは、彼ら四人、特にファーリントンが、とりしきる。この四人を中心にして、つまり主人公にして、暗殺への段取りを、一種の娯楽映画の枠の中で、『ダラスの暑い日』は描いていく。それで持ち時間はいっぱいとなる。分類するならいわゆるB級犯罪物という種類の映画であり、そのような映画としてこの作品は明らかに小作りだ。

 トップからボトムまで、とさきほど僕は書いたが、ファーリントンによる暗殺計画の手配のうち、トップに関する描写がほとんどない。このような映画では、トップが描かれないことには、真の恐怖感は観客に伝わらない。軍隊式にトップから命令が下り、命令系統をひとつずつ下っていくプロセスのなかで、絶対服従で命令はすべて遂行されていく様子が、暗殺を主題とした映画では基本となるべき怖さを生むのだが。

 ボトムに近いところでは、狙撃者として雇われた男とのコンタクトが、一度だけ描かれている。庶民に扮装したファーリントンが、街道沿いのメキシコ料理の食堂で狙撃者と落ち合う。当座の報酬である封筒に入った現金を、ファーリントンは狙撃者に渡す。そして、仕事が終わったあとの狙撃者たちの逃亡手段や逃亡先、報酬などについて、ファーリントンは話をする。段取りの複雑さや報酬の多さなどから、暗殺の対象は大統領だということが、このとき狙撃者にわかるというしかけだ。

 トップは誰だかわからないとして、ファーリントンのような人たちを含めて、CIA、FBI、地元の警察、マフィアのような犯罪組織、そしてそのような団体や組織の請け負い人、手先、反カストロやキューバ侵攻などを中心に影や闇の活動をしている得体の知れない、しかし決定的に下級な人たち、そして傭兵など、トップからボトムまで、現実には多彩で複雑な人物模様が交錯したはずだが、『ダラスの暑い日』という映画は、大統領という標的をライフルで射つまでの準備過程にかなりの力点を置いている。

 標的を乗せた台車をロープでジープにつなぎ、荒野のなかを引いて走る。その標的を三角形のなかにとらえるかたちで、三点に位置した狙撃者がそれぞれに射つ。標的の動いていく速度が一定の限度を越えると、狙撃の精度が落ちるという当然のことがわかる。大統領のモーターケードの速度を落とす工夫が必要だ、という結論が出る。その結論を、「なんとかする」と、ファーリントンが引き受ける。

 引き受けたファーリントンは、暗殺当日のダラスでのモーターケードのルートを変更させる。メイン・ストリートを進んで来たモーターケードは、ヒューストン・ストリートとの交差点で右へ直角に、ヒューストン・ストリートへ曲がり込む。ヒューストン・ストリートをほんの少しだけ走ったあと、今度は左へ直角以上に曲がり、問題のエルム・ストリートへと入っていく。直角以上に曲がったあとだけに、モーターケードの速度は充分に落ちている。

 このようなルートの変更が、誰による発案でどのような手続きをへて可能になったのか。暗殺に向けて命令系統が冷厳に作動していく過程こそ、画面を見ている人たちにとっては怖さの源泉なのだが、この映画ではそれは描かれていない。当時のダラスの市長が、誰かの命令を受ければ、ルートはたやすく変更出来たかもしれない。当時の市長はアール・キャンベルといい、カストロ政権を倒すCIAのキューバ侵攻作戦の責任者としてケネディに退官させられた、チャールズ・キャンベルの弟だ。キューバ侵攻にアメリカの正規軍を投入するよう、侵攻が開始されてからチャールズ・キャンベルはケネディに承認を求め、あっさり断られている。

 モンタナ州のビリングという町へケネディがおもむいたときには、それを利用して狙撃の予行演習がおこなわれたと、日付を特定してその様子を映画は描いていく。望遠レンズを装着したカメラを、あたかもライフルを構えるかのように持つことが出来るホルダーに組みつけ、シャッターは引き金を引くと落ちるように工夫してある装置を持った三人の狙撃者が、町なかをパレードしていく大統領を三角形のなかに置き、望遠レンズのクロス・ヘヤのなかにとらえ、狙撃とほとんどおなじ動作で撮影していく。撮影した写真をのちほど検討し合い、よし、これでいける、という決断が下される。

 オズワルドの所持品であり、オズワルドが大統領を射ったライフルだとされているマンリカー・カルカノとおなじライフルが、狙撃者のひとりに渡る描写もこの映画のなかにある。ふたりでひと組、合計三チームの狙撃者のうちのひとりは、マンリカー・カルカノで狙撃したということだろうか。映画のなかでの暗殺現場の描写によると、三人のうちふたりの狙撃者は、テイクダウンしたライフルをケースに入れて持ち、現場へ来る。もうひとりは、長いままのライフルをレインコートの下に隠して、現場に現れる。彼は芝生の生えた丘の上へいく。ここから射った人がカルカノを使用した、という意味が持たせてあるのだろうと僕は思う。

 大統領に向けて発射される弾丸は、ひとチーム一発ずつ、計三発だ。着弾の様子がわかりやすく再現されている。一発めはケネディの首に当たる。二発めは前の席にいるコナリーに当たり、三発めは大統領の後頭部を吹き飛ばす。ケネディに少しだけ似た人が、射たれるケネディを演じている。狙撃が終わり、狙撃者たちが逃亡していく様子も、この映画では描かれている。ひと組は飛行機でヨーロッパへ、もうひと組は汽車でどこかへ、そしてさらにもうひと組は船で、どこかへ逃げる。逃亡した先では、彼らの誰もが、CIAの用意した新しいアイデンティティーのもとに、別人になって暮らす手はずだ。

 暗殺は成功する。やってしまったことの大きさを、ファーリントンたち四人は、それぞれに受けとめる。大統領の葬儀がおこなわれる。心臓病で薬を手放すことが出来ないという伏線が、ファーリントンに関して何度か劇中に出てくる。そのファーリントンは心臓発作を起こし、パークランド・メモリアル病院に運ばれて死亡したと、間接的に語られる。

 ホワイト・ハウスを去るにあたってTV番組のインタヴューに応じたジョンソン大統領は、そのなかでケネディの暗殺をめぐって陰謀があったようだという懸念を、はっきりと表明した。この部分は、しかし、オン・エアされた部分からは削除されたという事実を、この映画は字幕で述べる。そしてもうひとつ、暗殺現場での狙撃者複数説を裏づけるいくつもの確かな目撃と証言をした人たちのうち十八名までもが、ごく短い期間のなかでたいへんに不自然な死にかたをした事実も、字幕で述べている。彼ら十八名が短い期間のなかに集中して不審な死を迎えた事実を確率になおすと、何万兆分の一などという途方もない数字になることを字幕で語って、この映画は終わっている。

 一九四〇年代から一九五〇年代いっぱいにかけて、しばしばB級と呼ばれている犯罪やサスペンスを主題とした映画が、アメリカで数多く製作された。そのような映画の再来として、僕は『ダラスの暑い日』をとらえた。僕がかつて見た範囲内での、思い起こすことの出来るそれらB級映画の基本的な感触が、『ダラスの暑い日』には共通して存在していると僕は思う。

『ダラスの暑い日』の監督や撮影監督たちは、ハードボイルドな描写をクールに積み重ね、暗殺なら暗殺のプロセスを冷たく的確に画面に展開させたつもりだと、僕は推測する。しかし実際に僕なら僕が画面に見るものは、全体は存分に主観で支えられ、描写はいまひとつ垢抜けせず、展開はもたっとしている。もっと複雑な過程が必要なはずだと僕ですら思う部分が、安直さに落ちる寸前のようなかたちで処理されている。そして、たいした重みは持たないはずの箇所に、妙に手間がかけてある。

 これとよく似た感触を、かつて僕はなにかの映画で体験したはずだ、と僕は『ダラスの暑い日』を見終わって思った。それはなんという映画だったか、過去に見た映画の数々を思い浮かべているうちに、回答は出た。『拳銃魔』という映画だ。原題を『ガン・クレイジー』という、一九五三年に公開されたこの映画は、『俺たちに明日はない』の原形だなどと言われて、いまではカルト・ムーヴィーの地位を獲得している。面白い映画ではあるのだが、切れ味が鋭いのか鈍いのか判断しかねるところがあり、そこが『ダラスの暑い日』とそっくりだ。『ガン・クレイジー』の脚本を担当したのはダルトン・トランボであり、『ダラスの暑い日』も脚本はトランボが書いた。だからと言うわけではないが、時代をかなりへだてながらも、この二本の映画はよく似ている。『ダラスの暑い日』は、ケネディの暗殺に材を取った、愛すべきB級ムーヴィーだ。

 実写フィルム、そしてその実写フィルムの主として前後を補う再現フィルム、それからドラマとしてのフィルムの三種類を、手ぎわ良くつないで物語を進めつつ緊迫感も高めていくという映像表現の手法を、『JFK』は『ダラスの暑い日』から直接に受けついでいる。『JFK』にも主人公がいる。ケヴィン・コスナーの演じる、ジム・ギャリスンだ。彼の活動に沿って、ケネディの暗殺がかなり幅広く、したがって細部はわかりにくく、『JFK』では描かれていく。

 ギャリスンの行動とは、ケネディ暗殺を独自に調査し、たとえばウオーレン委員会の報告書に対して異議を唱えることだ。その最初のとっかかりとして、彼はクレイ・ショーという人物を法廷へ引き出す。陪審員たちを前にしてギャリスンがおこなう、真の正義と愛国についての一種の演説が、『JFK』という映画がドラマとして高く盛り上がる頂点だ。陪審員たちはじつにあっけなく、クレイ・ショーに無罪を言い渡す。作戦の間違いの上にいくつかの不利な条件が重なった結果、ギャリスンは法の手続きでは負けたことになる。しかし内容としては彼は勝っているのであり、真実は彼の側にある、というのがこの映画に託されたメッセージだ。

『JFK』は半分まで成功し、残りの半分は失敗している、と僕は思う。カストロを倒すためにキューバに侵攻しようとする計画を中心にして、CIAやFBIあるいはマフィア、地元の警察、まともとは言いがたい実業家などの、請け負い人となって動いた得体の知れない人物や街のごろつきのような人たちに関するさまざまな部分の不充分に描かれたつらなりが、陰謀説というものの背後にあるべき怖さを大きく削いでいる。暗殺現場での主要人物たちの動きを画面で見るときの怖さが、政府機構内部の高いところから暗殺への段取りが命令として下っていく怖さと直接につながったなら、いくつもの事実をひとつのつながりに再構成して画面で見せるという映像効果は、その機能をもっと大きく発揮したはずだと僕は思う。

 そのような意味で、ドナルド・サザランドが扮する人物にギャリスンがワシントンで会って話を聞く場面が、この映画のなかではもっとも怖さを感じさせる。暗殺に関する陰謀が、政府機構のトップからいかに発せられて下っていったかが、フレッチャー・ブラウティという実在の人物に該当するサザランドの語りと、断片的な再現フィルムによって描かれていく。サザランドの演技力も加わって、ここに僕はもっとも強く怖さというものを感じた。そのかわりに、ほかはすべて少しも怖くない。

 主人公という妙なものを設定せず、サザランドが語ったことを前半のドラマにし、後半の暗殺現場の再構成につなげたなら、『JFK』ははるかに問題の核心に迫ることが出来たのではないか。問題の核心とは、暗殺命令とその遂行の怖さなのだから。実写フィルムと再現フィルムのつなぎかた、つまり見せかたは、『JFK』では『ダラスの暑い日』よりも手がこんでいる。手のこみかたは、しかし、わかりにくさをともなっている。細部にわたってかなりの知識を持っている人たち以外にとっては、なんのことだかわからない部分が連続したりするのではないだろうか。

 実写フィルムと再現フィルムのつなぎかたの失敗は、オズワルドに関する部分でもっともはっきりしている。オズワルドは犯人に仕立て上げられた人であることが、画面を見た結果としてはっきりとわからなければ、実写も再現も、そしてそれをどのようにつないでも、意味はない。オズワルドをめぐって、なにがどうなったのか、暗殺の現場とその周辺だけに限定しても、『JFK』ではぜんぜんわからない。

 先に僕が書いた、一定の場所で経過した一定の時間内での、ひとりの人間の実際の行動と創作された行動との、いくつもの要所ごとの同調の困難さが、映画を作るという作業のなかにも影響をおよぼしている。オズワルドが誰にも見られていないなら、彼の行動をつごう良く創作することはたやすい。しかし、オズワルドは、多くの人にいろんな場所で、目撃されている。それぞれの場所とタイミングを、創作に同調させなければならない。時間だけではなく内容的にも、無理のない同調が必要だ。なぜオズワルドはその時間にそこにいたか、という問題だ。とても同調させきれない部分においては、政府機構は目撃者の証言を改変したり無視したりしたのであり、そのことも併せながら、一本の流れとして、すべてを映像で画面に提示しなければならない。出来ない作業ではないと僕は思うが、『JFK』はここで失敗している。こういった失敗を観客にとって埋め合わせるものとして、エイブラハム・ザプルーダーの撮影した8ミリ・フィルムが法廷で映写されるのを、観客は見ることが出来る。このフィルムは、いまはタイム・ライフ社の所有物だ。

3

 暗殺の現場での狙撃に関してもっとも重要な問題は、射ったのはオズワルドであるのかないのかとか、射った弾丸は何発かというようなことではない。もっとも重要なのは、正面から来た弾丸、つまり大統領の頭の前から入ってうしろへ貫通し、後頭部の頭蓋骨を脳とともに吹き飛ばした弾丸だ。

 この弾丸は、「芝生の生えた丘」とほとんどの人が呼んでいる場所から来た、と定説は言う。モーターケードの進んでいく右側前方の、小高くなって木が何本か立ち、板塀のあるスロープの頂上だ。この板塀の向こうから、狙撃者は致命弾を射った。『ダラスの暑い日』では、ここからの狙撃がはっきりと描かれている。『JFK』でも、狙撃者が位置につく描写があったように思う。少なくとも発射は描写されたし、多くの人が見たと証言した、発射後の白い煙も描写された。

 ふたりでひと組の狙撃者たちは、当日はシークレット・サーヴィスの良く出来た贋物(にせもの)のバッジを持ち、シークレット・サーヴィスを装っていた。狙撃者ふたりのほかにも、おなじくシークレット・サーヴィスを装った男たちがいて、狙撃者の周囲にいた人あるいは近くへ来ようとした人たちを、彼らが追い払った。

 致命弾を射った狙撃者たちはそこで仲間にライフルを渡し、丘の裏側のスロープを駆け降り、駐車場の向こうにある何本もの鉄道引き込み線を越え、発車寸前の貨物列車に乗った。貨物列車で移動する浮浪者のような人を装い、あらかじめ定めてある場所へ計画どおりひとまず逃げようとした。この様子のほとんどすべてを、貨物列車の動きを指令する鉄道員が、高い指令塔から見ていたと証言した。暗殺直後の、丘の上そしてその向こうでの騒ぎに、その鉄道員は気づいていた。さらに、狙撃者たちが位置につく以前、駐車場で不審な動きをしていた乗用車も、彼は気になっていた。だから彼は、ふたりの男たちが乗った貨物列車を、発車させずにおいた。

 暗殺現場一帯を、多数の警官その他、オフィシャルな立場の人たちが捜査にあたった。貨物列車に乗った男たちはシェリフのオフィスへ連行された。そしてそこですぐに、FBIによって釈放された。連行されていく彼らを新聞社の写真担当者が写真に撮った。この写真の現物ではなく、良く似せた再現写真が、『JFK』のなかに何度か出てくる。その写真について説明されてしかるべき内容の三分の一ほどが、映画のなかでは説明される。知らない人にとっては、その写真がどういうことを意味するのか、『JFK』を見るだけではなにもわからない。

 写真から判断するかぎりにおいて、連行のしかたが非常に不思議あるいは不自然だ、という指摘がいまも力を失っていない。逮捕ではなくただの連行だからこんな連行のしかたでもいいのだという意見もあるが、大統領が暗殺された直後なのだから、もう少しきちんとした連行のしかたがなされるべきではないか、という意見と対立している。ほとんどなんの取り調べもないまま、FBIによって釈放されそれっきりというたいへんな奇妙さに加え、写真に映っている二人の男たちは一見したところ浮浪者に見えなくもないが、少し注意深く見ていくとまったく浮浪者ではないことがわかる。

 三人映っている浮浪者のうちふたりは、「芝生の生えた丘」の上の狙撃者だ。『芝生の生えた丘の上の男』という本の著者たちによれば、背の高いほうの男はチャールズ・ハラースンといい、ケネディ暗殺のあとは、それまでのような小さな犯罪歴を重ねる人生からプロの暗殺業に転じ、南部のどこだったか僕は忘れたが、知事ないしは市長のような人をライフルで請け負い暗殺し、逮捕された。彼はいまイリノイ州のマリオン連邦刑務所で服役している。「ケネディを射ったのは自分だ」と、彼は発言しているという。背の低いほうの男は、チャールズ・ロジャーズという。彼はケネディの暗殺後、ダラスで同居していた両親を殺害したあと、現在にいたるまで行方不明だ。

 指令塔の鉄道員は、暗殺後の短い期間内に不自然な死を遂げた、十八名の証言者たちのうちのひとりとなった。不自然としか言いようのない自動車事故で、彼は死亡した。陰謀説を構成する部分品は無数にあると言っていい。それらのなかの、出来るだけ中心に位置するもの、あるいは陰謀を有力に支えるものを的確に選び、一本の娯楽映画の展開として観客に見せ、陰謀説とはなにであるかを理解させることは、不可能ではない。しかし、その作業はたいへんに難しい。

 その難しさに取り組むにあたって、まず最初に越えなければならないハードルは、陰謀説と正面から向き合うことだ。しかし『JFK』ではジム・ギャリスンを主人公にし、その必然的な結果としてクレイ・ショーという末端の、しかも歪んだ人物をとおして、陰謀説を語ることとなった。この意味で判断するなら、『JFK』はほとんどトータルに失敗している。

『ダラスの暑い日』と『JFK』の二本の映画に共通する最大の弱点は、オズワルドだ。どちらも陰謀説を語りながら、オズワルドにおいて失敗するという落とし穴に落ちている。陰謀説は二本の柱の上に立っている。ひとつは、いわゆるケネディ神話だ。ケネディ神話を支持する大衆は、アメリカの白人社会のいちばん外側の縁にかろうじて引っかかっていたオズワルドのような半端な男に、自分たちの大統領をあっさりと射殺されたということを、それが事実であってもなくても認めるのを拒否している。ケネディがオズワルドひとりに狙撃されて死んだのなら、その死はあまりにもくだらなさ過ぎる。そのようなくだらなさは、たちまち自分たちに跳ね返ってくる。ケネディの死をそのようなくだらない死にだけはしたくないという大衆の願望が、暗殺陰謀説を支える。国家の陰謀による死なら、神話と釣り合う。そしてその陰謀は、出来るだけ複雑怪奇でスケールは大きいほうが好ましい。

 陰謀説を支えるもうひとつの柱は、ウオーレン委員会が作成した報告書に対する、信頼性のゼロに近い希薄さだ。オズワルドの単独犯行だと結論したその報告書の信頼性のなさは、もっとも単純に推論するなら、陰謀説をカヴァー・アップしようとする努力の、とても隠蔽しきれないことから来る無数のほころびだ。これが陰謀説を外側から支えてきた。

『ダラスの暑い日』と『JFK』のどちらにも、オズワルドは登場する。どちらのオズワルドも、画面に出てはくるけれど、ほとんど役は果たさない。オズワルドにどこまで似た俳優を探して来て、その人をさらにどこまでオズワルドに似せることが出来るか、ということの競い合いだ。その勝負は互角だと僕は思う。オズワルドはどこにでもいそうな男だ。よくあるタイプだ。しかし、似せるのは難しい。体格ぜんたい、そして顔や頭の、あの独特な細さは、似せようとして似るものではない。

 どちらの映画のオズワルドも、たまたま暗殺計画の周辺にいて、便利に犯人役を引き受けさせられ、そのあとすぐに射殺された間抜けで半端な男、という域を出ていない。オズワルドとは、いったいなになのか。ケネディの暗殺をめぐる問題のなかで、もっとも知られていない領域、そして大衆によってもっとも関心を示されなかった領域は、オズワルドとはなになのか、という問題だ。

 ドン・デ・リーロがオズワルドを主題として、『リブラ』(邦訳は『リブラ 時の秤』文藝春秋)というすぐれた小説を書いている。僕の知っているかぎりでは、きちんと描かれたオズワルドはこれだけだ。単独犯行説のためのオズワルドなら、たとえばジェラルド・ポスナーの『ケース・クローズド』のなかに、暗殺への必然に満ちた過程としての彼の半生が、丹念に描いてある。最後には自分たちの大統領を射殺するにいたるほどに自分を失い判断力を狂わせ、唯一よりかかることの出来た銃による暴力行為のなかに自分のすべてを注ぎ込んだ、思えば哀れな男としてのオズワルドだ。

4

 一九六三年十一月二十二日、ケネディ大統領はテキサス州のフォート・ワースにいた。次の日、ダラスまでの短い距離を、彼は飛行機で飛んだ。ダラス市内のモーターケードのルートは、事前に公表されていた。数多くの人がそのルートに出ていた。メイン・ストリートをいく大統領とその夫人ジャクリーヌを、多くの人が見物した。

 モーターケードのルートには変更があった。ヒューストン・ストリートとの交差点を越えたあと、そのままメイン・ストリートを直進するはずだったのだが、ヒューストン・ストリートとの交差点を右折し、次の交差点までの短い距離を直進したのち、その交差点へ西から斜めにつながっているエルム・ストリートに向けて、モーターケードは百二十度の左折をするという変更だ。

 そして、ゆるやかな登り坂であるエルム・ストリートをそのまま進み、トリプル・アンダパスをくぐってステモンズ・フリーウエイに入る。トリプル・アンダパスとは、まっすぐにのびていくメイン・ストリートに、エルム・ストリートとコマース・ストリートがそれぞれ左右から寄っていき、三本並んでアンダパスをくぐっていく、というような意味だ。変更はもうひとつあった。大統領のリムジーンには、防弾の性能はないが透明なプラスティックのバブルがかぶさることになっていた。ハードトップのようなかたちをしたバブルだ。このバブルは使用されず、大統領のリムジーンは完全にオープンとなることに変更された。

 ヒューストン・ストリートからエルム・ストリートに向けて、モーターケードが百二十度の左折をしたのは十二時三十分だった。晴れた日だった。太陽が強くまぶしく、ディーリー・プラザに照り降ろしていた。北から南へ、かなり強い風が吹いていた。ヒューストン・ストリートとエルム・ストリート、そしてコマース・ストリートの三本の道路が作る三角形を中心にしたそのあたり一帯が、ディーリー・プラザだ。

 エルム・ストリートに入って来たモーターケードを、エイブラハム・ザプルーダーという人が、8ミリのホーム・ムーヴィーで撮影していた。進んで来るモーターケードをその右側から見る位置に、ザプルーダーは立っていた。歩道から小高く丘のようなスロープとなっていく地形を歩道から少しだけ上がったところにあった、コンクリートで作った小さな塀のようなものの上だ。モーターケードを、浅いけれども見物人としては有利な角度で、彼は見下ろすことが出来た。

 第一弾の銃声から最後の銃声まで、暗殺現場での出来事の重要な部分を陰謀説から拾い、つなげてみよう。銃声、銃弾の数、発射された方向、大統領の反応、ごく近くにいた人たちの反応や目撃など、すべて連結している。そしてその連結のされかたは、当然のことながら、陰謀説と単独犯行説とでは、多くの場合まったく正反対に違ってくる。

 第一弾は狙撃者が狙った標的には当たらなかった。第二弾は前方から来て、大統領の喉に命中した。第三弾が大統領の背中に命中した。肩の線から六インチ下がった、背骨の右側だ。大統領の前の席には、すぐ前にテキサス州知事のコナリー、そしてその左には彼の妻がすわっていた。背後の気配にコナリーはうしろを見ようとして右を向いた。そしてすぐに左へ顔を向けなおした。第四弾が彼の右脇の下に当たった。この銃弾は彼の胸を貫通し、右の乳首の近くから外へ出た。コナリーは危うく命を落とすところだった。

 このときモーターケードの速度は、停止したも同然だった。大統領のリムジーンの運転をしていた五十五歳のビル・グリアは、振り返って大統領を見ていた。大統領の頭に致命的な被弾があるまで、彼はブレーキ・ペダルを踏んだまま振り返って見ていた。大統領の次の車に乗っていたエージェントの何人かが背後を振り返ったほかは、先行する一台の車、そして後続の何台かの車とエスコートの警官たちのモーターサイクルは、このときまだなにもアクションを起こしていなかった。大統領の車の次の車のなかで、シークレット・サーヴィスのエージェントのうしろにいたジョンソン副大統領は、すでに体を伏せていた。

 銃声はさらに重なった。現場にいた人たちの証言によるなら、乱射と言っていい状態で、いくつかの方向から、何発もの銃撃があったということだ。そのいちばん最初の弾、つまり陰謀説にとっての第五弾は、大統領の車の、ウインドシールドの内側の金属枠に当たった。そして第六弾は車のすぐそばの歩道に当たった。第七弾と第八弾が、同時と言っていいほどのごく短い間隔で、大統領の頭に命中した。第七弾は後方から来た。その衝撃で前へ出た彼の頭を、第八弾が前から来てとらえ、大統領の体をうしろのシートに向けて、強く突き飛ばしたように動かした。

 前方から来た弾丸は、大統領の右目の近くから頭のなかに入った。入った瞬間の衝撃で、頭の右側側面の骨がほぼ丸く、まるで蓋を開いたかのように、ぱっくりと開いて垂れ下がった。その銃弾は頭を貫通し、後頭部の右に寄った位置から外へ出た。出るにあたっては後頭部の骨を砕き、大きな射出口を作った。なかば液状になった脳、血液、そして骨のいくつものかけらが、射出口からリムジーンの左後方に向けて噴き飛んだ。この第八弾が命中したときのリムジーンの位置から計測して二十五フィート左後方の位置で、ビリー・ハーパーという男性が骨の破片を拾った。人間の後頭部の骨であることが確認された。

 ほとんど停止していたそのリムジーンの左後方には、ボビー・ハーギスという警官が、モーターサイクルにまたがって位置していた。大統領からの血しぶきを顔に浴びた彼は、大統領の頭をとらえた銃弾の発射された方向を正しく判断し、モーターサイクルをその場に停め、芝生の生えた丘を塀に向けて駆け上がった。

 大統領に第八弾が命中した〇・六秒後に、第九弾がコナリーの手首に当たってその骨を砕き、彼の右太腿の皮下にめり込んだ。さらにもう一発、第十弾が背後から発射された。モーターケードの前方の歩道にその銃弾は当たり、コンクリートの破片はトリプル・アンダパスの下にいたジェームズ・ティーグという見物人の顔に当たり、軽い怪我をさせた。

 後部トランクの上に飛んでいった夫の頭の骨と脳を拾おうとして、ジャクリーヌはシートからトランクに身を乗り出した。トランクの上にあった骨の破片を彼女は手に取った。すぐうしろにいた一九五六年型のキャデラックのコンヴァーティブルから、クリント・ヒルというシークレット・サーヴィスのエージェントが飛び降り、大統領の車に駆け寄った。そして彼はその車の後部バンパーに乗り、ジャクリーヌをシートに戻そうとした。大統領の車、そしてモーターケードの全体が、このときもまだ停止したも同然の状態だった。

 モーターケードは動き始めた。大統領の車も速度を上げていった。クリント・ヒルは上着を脱いでジャクリーヌに渡した。それでジャクリーヌは夫の頭から肩にかけての部分を完全にくるみ込んだ。夫が頭部に受けた大きな損傷を人に見られたくない、とジャクリーヌは思ったからだ。

 テキサス教科書倉庫の建物の六階のあの窓から、モーターケードの大統領を狙って、ボルト・アクションの強力なライフルによって三発の弾丸が発射されたことは、どう動かすことも操作することも不可能な確かな事実と見ていいようだ。オズワルド単独犯行説そして陰謀説のどちらも、この三発は重要な中心として認めている。

 六階のあの窓の直下、五階の窓から、教科書倉庫で働いていたふたりの男性が、モーターケードを見物していた。六階のフロアを張り替える作業がおこなわれていた途中であり、すぐ上の階での物音は、下の五階でたいへん良く聞き取ることが出来た、とふたりは証言した。たて続けの三発の銃声、ボルト操作が二度おこなわれる音、そして排莢(はいきょう)された空の薬莢がフロアに落ちて転がる音を、ふたりははっきり聞いたという。初弾は前もってチェインバーに送り込んであるから、ボルト操作の音は二度だけだ。

 三発の銃声のあとすぐに、ふたりは窓から身を乗り出させ、真上の六階の窓を見上げた。そのときのふたりを目撃した人が何人かいる。六階の窓のなかに狙撃者を見た人もいる。二十代のやや細い体つきの白人男性で、冷静で冷たい印象があり、射ったあとの満足そうな達成感を、目撃者はその男性から感じたそうだ。狙撃者は、けっしてあわててはいなかった、とも目撃者は証言している。

 六階の窓の内側には、段ボールの箱がいくつも積んであった。初めに見たときには箱は見えなかったが、あとでまた見たら窓ごしに箱が見えた、という証言がある。教科書を入れる段ボールの箱で窓の内側を取り囲み、銃を構える狙撃者の腕や体を支えるための、スナイパーズ・ネストとして機能させたことは間違いない。

 このスナイパーズ・ネストに、空の薬莢が三個、暗殺のすぐあとに発見された。この三個の薬莢は、単独犯行説では、発射された銃弾が三発であることを裏づける重要な証拠となっている。しかし狙撃の現場に残してあった空の薬莢は、証拠としてはほとんど役に立たない。オズワルドが射ったとされているマンリカー・カルカノというイタリー製のライフルに使う銃弾の薬莢ではあったが、三個のうちひとつには、何度も繰り返して排莢した痕跡がはっきりあったという。

 多くの目撃者たちの証言は、大統領のリムジーンがエルム・ストリートへ曲がり込んだ直後に第一弾は発射された、という点で一致している。第一弾が発射された時間を正確にピンポイントするのは、しかしたいへんに難しい。オズワルドの単独犯行説によると、彼が射った三発の銃弾の経過はおよそ次のようだ。

 第一弾は標的には当たらなかった。狙撃者と大統領のほぼ中間、エルム・ストリートの北側の歩道に、かなりの大きさのオークの樹が立っていた。枝を何本も広げ、葉がたくさんついていた。長方形を横置きにしたかたちの道路案内標識も、狙撃者と大統領とのあいだで、支柱に支えられて位置していた。もうひとつ、街灯の柱が、狙撃者と大統領とのあいだにあった。狙撃者が第一弾を射ったのは、リムジーンの大統領がオークの葉の陰にかくれようとする寸前だった。

 的をはずれた第一弾はオークの樹の枝に当たり、メタル・ジャケットは裂けて飛び散った。内部にある本体の鉛の先端の部分が、モーターケードのずっと前方に向けて飛んでいった。それはトリプル・アンダパスの近くでメイン・ストリートの歩道に当たり、そこに短い溝を掘ったようにコンクリートを欠き砕き、跳ね返ってさらに飛んでいった。そのときのコンクリートの破片で、アンダパスの下にいたジェームズ・ティーグという見物人が、顔に軽く怪我をした。歩道に刻まれたこの短い溝からは、鉛とアンティモニーが検出された。

 第二弾が発射された。秒速二千フィートで銃口を出たその弾丸は、秒速千七百フィートから千八百フィートの速度で、大統領の肩のすぐ下に命中した。首の骨をすれすれにかすめた弾丸は、かすかに弾道を変化させつつ、大統領の首の前側面から外へ出た。弾丸は尻を持ち上げ始め、つまり頭を下げていき、飛びながら縦に回転を始めた。大統領のリムジーンのすぐうしろを走っていた、一九五六年型のキャデラックのコンヴァーティブルにいたシークレット・サーヴィスのエージェント、グレン・ベネットは、この第二弾が大統領の背中に当たるのを見ていた。

 大統領の首のなかで縦方向の回転を始めたその弾丸は、首を出て完全に半回転したのち、弾頭を下にして直立した全長一インチ四分の一の物体として、大統領のすぐ前の席にいたコナリー・テキサス州知事の右脇の下に命中した。縦に立ってなおも回転しながら、弾丸は彼の胸を抜けていった。五番めの肋骨を砕き、方向を少し変え、右の乳首の下から外へ出た。直径二インチの射出口が出来た。

 弾丸はまだ縦方向に回転していた。速度は秒速九百フィートまで落ちていた。弾丸は尻から知事の右手首に入ってその骨を砕き、貫通し、左の太腿にめり込んだ。このときの速度は時速四百フィートだった。太腿の皮下になんとかめり込むだけの力を、弾丸は残していた。パークランド病院に到着した彼が、担架に乗せられて救急室に運び込まれるあいだに、この弾丸は太腿から抜け落ちた。そしてすぐあとにその担架から回収された。

 致命傷の第三弾は、大統領の後頭部のやや右に寄ったところから頭のなかに入り、右側頭部に大きな外傷を作りつつ、右目の近くから外へ出た。オズワルド説を採択するなら、狙撃者は彼ひとりだから、前方から来たという銃弾はすべて完全に否定しなければいけない。芝生の生えた丘の上にある塀の近辺から銃声を聞いたと証言する多くの人の存在は、机上ではたやすく否定することが可能だ。教科書倉庫の方向からすべての銃声を聞いたという人を故意に多く取り、前方からも聞いたと言う人を少なく取ってその比率を出すなら、前方からも銃声を聞いたと言う人はじつはきわめて少数である、とすることが出来る。銃声の数についても、同様の操作は可能だ。

 第一弾がオークの樹の枝に当たり、メタル・ジャケットは裂けて飛び散り、内部の鉛の部分だけが前方へ飛んだということは、充分に、というよりも、ごく普通に、あり得る。大きなオークの樹ともなると、樹はたいへんに強靭だ。非常に多くの場合、銃弾のほうが負ける。第二弾は、陰謀説によれば、シングル・ブレット(銃弾)説あるいはマジック・ブレット(魔法の銃弾)説と呼ばれ、絶好の攻撃対象となっている。ケネディとコナリーの位置をほんの少しだけ変えると、ふたりを貫いた一発の銃弾は、途中で直角に方向を変えたり、いきなり下へ向かったりしなければならないからだ。

 六階の窓、大統領の受けた傷、そしてコナリーが受けた傷を、無理なく直線で結ぶことが出来るのかどうか。ふたりを真上から見たかぎりでは、オズワルド単独説が説く弾道に、無理はまったくないように思える。ふたりの上下の位置関係にも、ふたりの姿勢や体の向いていた方向などを含めて、つじつまの合った説明はなされている。

 担架の上から回収された弾丸は、ほとんど変形していないように伝えられているが、実際は相当にひしゃげている。真横から見るとなんの変形もないように見えつつ、断面においては万力にはさんで力をかけ、平たく押しつぶしたような変形を受けている。銃弾がふたりの体を貫通しつつも、この程度の変形でおさまることは、しかし、ごく普通にあり得る。

 コナリーの体のなかからは、鉛のごく小さな破片がいくつか回収されている。縦に回転しつつコナリーの体に入った銃弾は、メタル・ジャケットの尻の、鉛の露出した部分から、いくつもの破片を飛び散らせた。大統領の頭をうしろから貫通した第三弾は、彼の頭のなかでジャケットが裂け、鉛の破片はウインドシールドの金属枠に当たり、ガラスにひび割れを作った。リムジーンのなかから、かなりの量の鉛の小破片が回収された。

5

 モーターケードの平凡な見物人であったエイブラハム・ザプルーダーは、暗殺の初弾から最終弾までを、大統領を中心にして、一本につながった8ミリのカラー・フィルムのなかに写し取った。彼が使用した撮影機は、ゼンマイを巻いて駆動させる方式の、小さな四角い箱のような形をした普及品だった。ゼンマイを完全に巻き上げてから三十秒間は、平均で秒速十八・三齣の速度でフィルムを送った。当時のアメリカ人たちの多くは、このような簡便な8ミリ撮影機をなにかと言えば持ち歩き、いろんな情景を撮影していた。

 オズワルドの単独犯行説と陰謀説の両方にとって、ザプルーダー・フィルムは動かすことの出来ない重要な、そしてある意味ではどちらにとっても便利な、証拠物件だ。単独説が主張する三発も、陰謀説が主張する九発も、ともにこのフィルムのタイム・フレームのなかに存在している。フィルムの小さな画面のなかだけではなく、その外のパーフォレーション(貫通)の部分にまで、レンズの画角がとらえた世界がカラーで映っている。さまざまなことが、その画面のなかから、事実として読み取れる。と同時に、フィルムに映っているものは、さまざまに、時としては正反対に、解釈することが可能だ。

 陰謀説にも単独説にも加担することなく、フィルムに写し取られていることだけを冷静に検討すると、第一弾が発射された瞬間は、ザプルーダー・フィルムの155齣から156齣にかけてになるという。撃発の瞬間よりもほんの少しだけ遅れて、銃声は轟き渡る。人々がその銃声を聞きとめ、それに対して反応を開始している齣から逆算していくと、発射の瞬間は155齣と156齣になる。

 当時は赤いスカートをはいていた、そして当時は十歳だったローズマリー・ウイリアムズという女性が、大統領のリムジーンに合わせて走っている。160齣で、彼女は後方を振り返り始めている。後方とはテキサス教科書倉庫の建物だ。「銃声を聞いたから振り返ったのです」と、彼女は証言した。一・五秒後の187齣では、彼女は完全に立ちどまって後方を見ている。

 大統領の反応は157齣からスタートしている。それまで人々に向けて手を振っていた大統領は、162齣で手を振るのをやめている。けげんそうにジャクリーヌに顔を向けている。銃声を聞いたことに対する、彼の反応だ。158齣から160齣にかけて、画面はぶれている。ザプルーダーの手が銃声に反応して動いたからだ。以後、銃声のたびに、画面はおなじようにぶれている。

 第二弾が大統領に命中したのは、189齣から191齣にかけてだ。陰謀説によると、この弾丸は前方から来て大統領の首に当たったことになっている。被弾に対して反射的に反応し、大統領は首のあたりへ手を持っていった、と陰謀説の人たちは画面を解釈する。彼の左にいたジャクリーヌは、主として左側の人たちに手を振っていた。夫の反応に気づいた彼女は、彼に顔を向けた。そして彼の手首に手を添えた。

 単独説では、この第二弾は後方から来て大統領の肩のすぐ下から体内に入り、首を貫通して前から出た。貫通した弾丸は首の骨を損傷することはなかったが、強力なエネルギーですれすれにかすめていったことにより、首の骨のなかを走る神経にトラウマをあたえた。大統領が見せた反応は、このトラウマに対する、人間という生体にとってのきわめて特徴的な反応だった、という医学的な解釈がある。

 その特徴的な反応は、およそ次のようだ。両手を強く拳に握る。その両手は、左右対称に、反射的に、顎の下、首のすぐ前へと動く。ただし首には触れない。曲げた両肘が、おなじく左右対称に、肩と並行に跳ね上がる。そしてそのままの姿勢で、関係するすべての筋肉が強く硬直する。フィルムのなかで大統領が見せている反応は、間違いなくこの反応だ。かたわらの夫がいきなり奇妙なポーズを取ったから、ジャクリーヌは彼に顔を向けた。彼の手首に彼女が手を添えたのは、上げたままの彼の腕を降ろそうとするためだ。硬直は固く、彼の腕は降りなかった。

 第一弾が発射された瞬間から第二弾が発射された瞬間までを、ザプルーダー・フィルムのなかで仮に156齣から189齣までと取るなら、齣数を時間に換算すると二秒ないことがわかる。ボルトを操作して排莢と次弾の装塡をおこない、スコープごしに狙いなおして命中させるという作業を、二秒以下でおこなうことは不可能ではないかと僕は思う。

 第三弾の命中は、312齣と313齣だ。160齣から313齣までの時間は、八秒から八・四秒だ。この時間のなかで三発を射ち、そのうちの二発を肩と頭に命中させることなら、平凡な射手にもたやすく出来る。この第三弾も後方から来たとする単独説は、銃弾が貫通するとともに脳に混じった血しぶきが射出口から前方へ飛び、リムジーンの左後方にいたモーターサイクルがそのしぶきのなかへ入っていくのがわかる、とフィルムの映像を読む。すでに書いたとおり、陰謀説によると、大統領からの血しぶきをリムジーンの左後方で浴びたボビー・ハーギスというモーターサイクル警官は、血しぶきから弾道を読んでモーターサイクルを降り、芝生の生えた丘を頂上の塀に向けて駆け上がったのだが。

 大統領の右側頭部に出来た大きな損傷を、ザプルーダー・フィルムでは大統領の右側から正面に見ることが出来る。右側頭部の骨が内側から丸く割れて弾け、お椀の蓋のように頰に垂れ下がっている。骨をそのように割り取られた側頭部自体も、開かれた蓋のような骨とほぼ相似形をなして、丸く内部が露出している。そしてそのどちらもが、当日のダラスの強い陽ざしを受けとめて、白みを帯びた淡いピンクに光っている。

 オズワルド説によるなら、この右側頭部の大きな外傷は、射出口だということになる。射出口として、あり得ない傷ではない。陰謀説によるなら、これは前方から来た弾丸が頭に入った瞬間のすさまじい衝撃で、弱い頭部側面の骨が蓋を開くように割れたのだ、と説明されている。これも、あり得る。陰謀説では射出口をフィルムのなかに読んでいる。後頭部のやや右に寄ったところに、たいへんに大きな穴が出来た。その射出口が出来たことによって大きく変形した後頭部を、ザプルーダー・フィルムの335齣から337齣にかけて、真横から見ることが出来るようだ、と僕も思っている。

 エルム・ストリートをへだてて、ザプルーダーとは反対側にいたフィリップ・ウィリアムズという男性が、ザプルーダー・フィルムの208齣から211齣にかけて、とらえられている。彼はリムジーンの大統領をカメラで写真に撮っている。「銃弾が大統領に命中したのを目撃した自分は、それに対する反応として写真を撮った」と彼は証言した。彼とおなじ側で、おなじ瞬間の大統領を目撃した人たちは、大統領の左のこめかみにひどい穴が出来るのを見た、と証言した。

 たいへんに重要なザプルーダー・フィルムは、すぐにタイム・ライフ社に買い取られ、現在もその社のものとなっている。タイム・ライフ社にはマネジメント・レヴェルでCIAのエージェントが何人かいるから、ザプルーダー・フィルムに関しては発表する齣の操作や解釈そして分析など、つごうに合わせて好きなように出来るという説がある。陰謀説によると、このことの実例を、ほとんど際限なく列挙することが可能だという。

 ザプルーダー以外の人が暗殺現場を撮影したホーム・ムーヴィーというものは、あるのだろうかないのだろうか。ディーリー・プラザでモーターケードの大統領を撮影したのは、ザプルーダーひとりだけだったということはまずあり得ない。彼以外の何人かが撮ったはずのフィルムについての多少とも詳しい記述を、しかし僕は読んだことがない。ザプルーダー・フィルム以外のフィルムはどこかへ消えてしまい、したがってそれらのフィルムに関してはなにも書かれないままである、ということなのだろうか。どこかへ消えたとするなら、それらのフィルムが雄弁になにかを語っているからだ、と推測してもいいのか。

 モーターケードがディーリー・プラザに入って来たときから暗殺の終わりまで、あるいは途中まででもいい、ザプルーダー以外の人がホーム・ムーヴィーを撮影し、そのフィルムは後日FBIの求めに応じて提供したがいつまでたっても返却してもらえず、現在ではそのフィルムはとっくに行方不明であるだけではなく、そのようなフィルムをそもそも受け取っていないという正式な回答がFBIから届いている、というような話をなぜか聞かない。僕が知らないだけで、調べれば類似の話は現実にたくさんあるのだろうか。

 大統領が夫人をともなってダラスへ来て、市内をモーターケードするという出来事は、かなり大きな出来事なのではないか。かなり大きな出来事なら、それはニュースだと言っていい。ニュースなら取材され報道されるはずだ。記事を書くのが専門の記者たちのほかに、写真を撮るのが仕事であるスティルのフォトグラファーが、ダラスでの大統領夫妻とそのモーターケードを、かなり大量の写真に撮ったはずだ。大統領の車がディーリー・プラザに入ってからも、そして暗殺が開始されてからも、彼らの撮影行動は続いたはずだ。それらの写真を可能なかぎり集め、厳密に中立的な立場から子細に科学的に観察する作業は、おこなわれても良かったのではないか。写真機が思いがけないものを偶然にとらえる可能性は大きい。

 当時のTVのニュース番組では、動く映像は16ミリのムーヴィーで撮影されていた。社に帰って現像し、編集してつなぎ合わせ、ニュースとして放映するのだ。スティルのフォトグラファーとおなじく、かなりの数のムーヴィー・カラメマンが、空港からディーリー・プラザまでの大統領をフィルムに収めた。モーターケードがディーリー・プラザに入ったとたん、彼らムーヴィー・カメラマンの全員が、いっせいに撮影を中止したことは考えにくいし、現実にもそのようなことはまずあり得ない。ムーヴィー・カメラによる撮影は、たとえば最初の銃声がプラザに轟いたのちも続いた、と考えていい。

 彼らが撮影したフィルムは、ひとつに集めると膨大な量になるのではないか。スティル写真とおなじように、それらのフィルムは詳細に検討していく価値を充分すぎるほどに持っている。フィルムは四散したのだろうか。個々のTV局の映像資料保管室に眠っているのだろうか。発表される機会が多く、したがってしばしば目にすることになるあのモーターケードの写真とは別に、モーターケードを取材している人たちをとらえた写真をたまに見ると、何台ものムーヴィー・カメラがモーターケードを撮影していたことがわかる。

 円盤状のフィルム・マガジンが前後につき、レンズが前方へ突き出ている撮影機は、いまの業務用のヴィデオ・カメラよりもはるかに小さくすっきりとまとまった造形の機械だ。これを肩に乗せ、ファインダーに目をつけて撮影している数多くの中年の男性たちを、そのような写真のなかに見ることが出来る。モーターケードを中心に、彼らはさまざまな場面や人そして状況を撮影したはずだ。彼らが使用した撮影機のレンズの画角が、スティル写真の場合とおなじく、思いがけないものをとらえた可能性について僕は思い続けている。

 一九九六年の夏の初め、16ミリのムーヴィー・フィルムがひと缶、アメリカのある民間人の提供によって、ナショナル・アーカイヴという公的機関に渡った。缶とは、ムーヴィー・フィルムを入れておく、あの円形の平たい金属製の缶だ。ダラスでの暗殺の日から三十数年、民家の地下室でそれはがらくたに埋もれて眠っていた。幸運にもフィルムの保存状態はたいへんに良かった。

 暗殺のあった当時、TV局でニュース・カメラマンつまりムーヴィー・カメラで動く映像の撮影を仕事にしていたあるひとりの男性が、ほかの多くのカメラマンとおなじように、空港からディーリー・プラザまで、ムーヴィーで撮影した。現像された彼のフィルムはニュース番組用に編集され、大統領の暗殺という大事件を報道するために使用された。編集室のフロアには、編集の作業で切って捨てられ、したがって放映に使われる可能性のほとんどないフィルムの断片が、大量に散っていた。

 普段ならそのようなフィルムはなんのためらいもなしに捨てられてしまう。しかし、暗殺の現場を最後としている、空港からその現場までのモーターケードを撮影したフィルムだ。このフィルムだけは普段のNGフィルムとはまったく意味が異なるのだと認識したその男性は、フロアに散っているフィルムを集め、仮につなぎ合わせてスプールに巻き、缶に収めた。そしてそれを、これは貴重品だからと言って、友人に預けた。友人は缶を地下室に置いた。カメラマンはすでに死亡し、フィルムを預かった友人は、地下室にそのフィルムがあることを完全に忘れたまま、三十数年が経過した。

 このフィルムのごく一部分が、アメリカ国内のTVニュースで放映された。オズワルドを射殺したジャック・ルビーが、さまざまな場所でフィルムにとらえられている事実を、放映された部分的なフィルムは伝えていた。この事実がなにを意味するのか、そしてほかにどのような人や状況が、なにも知らずに撮影したニュース・カメラマンのフィルムにはからずもとらえられているのか、これからなされるはずの分析を待たなくてはいけない。

6

 遺体というものは、きわめて雄弁な証拠だ。豊富な経験を積んだ、冷静で正しい判断力を持った何人かの専門家が、大統領の頭とその内部を子細に観察したなら、致命傷をあたえた銃弾が何発だったのか、そしてそれがどの方向から来たかなど、比較的簡単に、しかも確実に、判明するはずだ。

 大統領の遺体に関して、どのような記録が残っているのだろうか。最初に運び込まれたパークランド病院から、検死のおこなわれたメリーランド州のベセスダ海軍病院にいたるまで、遺体に関する記録は、陰謀説と単独説とでは、完全にふたつに分かれる。両者はおたがいに完全に対立する。どちらが本当なのか、もはや誰にもわからない、両者対等の謎の関係がそこにあるだけという、恐るべき状況だけが残っている、と僕は理解せざるを得ない。

 パークランド病院で医師たちが大統領に対しておこなったのは、オズワルド単独説の側の説明によるなら、死にかけている大統領をなんとか救い生かすための、応急ではあるけれどしかし普通の処置だった。傷の点検やその手当てではなく、なんとか生かし続けておきたいという一点にすべてを集中させた作業が、そこではおこなわれたという。

 大統領の体はずっとあお向けに保たれたままだった。彼の頭の頂上側には、応急の処置をおこなった医師たちの中心的なひとりの医師が、ずっと立っていた。だから大統領の頭は、特に頭頂側からは、誰も詳しく見ることが出来なかった。大統領の頭は血まみれであり、濃い髪は血と脳でべっとりと貼りつき、あるいは逆立ち、なにがどうなっているのか、ちょっと見ただけではとうていわかりかねる状態だったという。

 大統領の頭の傷を、医師たちは見なかった。あるいは、気づかなかった。見なければならないという必要、そして見ようという意志がなかったから、大統領の頭は誰も見なかった。大統領の死亡が確定されてからは、遺体とともに過ごす時間は夫人のものであり、遺体を観察し続けることはルールとして避けるべきだから、医師たちはそうした。だから彼らはその部屋を出た。そして遺体は、ありあわせのビニールのシートやシーツなどでくるまれ、棺に収められたという。単独犯行説の側からなされた、パークランド病院での状況の説明は、要点だけを書くと以上のようだ。

 陰謀説では、致命傷をあたえた銃弾は前方から来たことになっている。貫通したその銃弾は、大統領の後頭部に大きな穴を開けたはずだ。単独説との最大の争点は、後頭部にそのような穴があったかなかったかに、絞ることが出来る。大統領の後頭部に巨大な穴があるのを、何人もの医師や看護婦たちがはっきり見た、と陰謀説は言う。クレランドという医師が描いたその穴の図面は、すさまじいものだ。穴はほぼ四角であり、四辺の骨と頭皮は外に向けてめくれ上がり、ぽっかりとした虚空がその穴のなかにある。単独説の側から言うなら、このような穴についての証言は、当然のことながらまったくのでたらめだということになる。

 大統領の遺体の検死は、ベセスダ海軍病院に移されてから、おこなわれた。この検死に関する評価も、単独説と陰謀説とでは、まっぷたつに分かれて正面から対立する。陰謀説によるなら、検死は話にならないでたらめなものだった。人選もプロセスも、意図的に杜撰でいい加減なものであり、軍隊組織のなかでの上からの命令により、正しい証言はすべて隠蔽されたか噓の証言にすり換えられた。記録は噓で固めた作り換えでしかなく、写真もエックス線写真も贋物であり、大統領の脳はナショナル・アーカイヴから紛失したままであるという。

 単独説によれば、検死は過不足のどこにもない、絵に描いたようなまともな検死だったという。まさに適任の検死官たちは、なにひとつ見逃すことなく、見るべきところはすべて見て、正しい記録を残している。記録も証言も彼らが残したそのままであり、写真やエックス線写真も本物以外ではあり得ないという。最大の争点は、ここでも、大統領の後頭部に巨大な射出口があったかなかったか、ということだ。あったと言う側と、それはなかったと主張する側とは、まったく対等に均衡している。

 教科書倉庫の六階の窓から射たれた三発の銃弾とその銃声は、ザプルーダー・フィルムから逆に読み取ることが出来る。だからその三発は、否定出来ない。単独説にとってその三発は中心的な土台であり、陰謀説にとってもその三発はたいそう重要だ。後方からの三発だけなら、オズワルドひとりに充分に射てる、と単独説は主張する。狙撃者がオズワルドひとりなら、六階の窓以外の場所からは絶対に射てないのであり、この三発のほかに銃声と銃弾を認めたなら、単独説はあっさりくつがえり、暗殺は陰謀であったことになる。

 大統領を狙って発射されたのは、本当に三発だけだったのか。陰謀説を採らなくとも、自分が聞いた銃声は六発から七発あるいはそれ以上だったと証言した人は、かなりの数になった。ディーリー・プラザの道路や周辺の建物に反響し合ったとはいえ、たて続けと言っていい短い間隔のなかでの三発を、その倍の六発そしてそれ以上として受けとめる人が、どのくらいいるだろう。

 三発だったにしろ六発あるいはそれ以上だったにしろ、その音はすでにとっくに消えてしまった。正確に記憶している人は、いまとなってはもうひとりもいないと言っていい。全部の銃声が、当日の誰かが持っていたテープ・レコーダーに録音されていた、というような可能性はないのだろうか。録音されたものがひとつだけ残っている。ダラス警察のいわゆる本署とモーターサイクルの警官たちとを結ぶ、交信用のシステムによる録音だ。モトローラが製作したこの通信システムには、一チャンネルと二チャンネルの、ふたつのチャンネルがあった。

 暗殺が始まる少し前から、一チャンネルのマイクがオープンになったままだった。「誰か一チャンネルをオープンにしたままの奴がいる。閉じるように言ってくれ」という本署のディスパッチャー(配車係)の声が、録音されて残っている。一チャンネルのマイクはオープンになったまま、暗殺が経過していった。射たれた大統領を乗せたモーターケードが発進して速度を上げていき、ステモンズ・フリーウエイに上がる前でいったん停止するまで、そのマイクはオープンになったままだった。

 そのマイクが拾った音は、本署にあったディクタベルトという録音システムに、すべて録音された。聞こえたはずのすべての銃声は、その録音のなかに記録されている。ベルトとはつまり長いテープであり、消しながら何度も繰り返して使用するのだが、少なくとも一日分くらいは、常に録音されたものが残っているという状態だった。録音するにあたっては、レコード・プレーヤーにあるような針が使用されていたようだ。

 オープンになっていたマイクの拾った音が録音されたディクタベルトの、コピーが残っている。なぜそれがコピーだとわかるかというと、おなじ周期のハム音がふたつ、録音されているからだ。オリジナルにあったハム音が、おなじハム音を発生させてコピーしつつあるテープに、コピーされた。オリジナルは暗殺の直後にFBIが持ち去ったということだ。オープンになっていたマイクは、H・B・マクレインという警官が乗っていたモーターサイクルの、車体の左側にあったマイクだ。「そのマイクをしばしばオープンにしておく癖が自分にはあった」と、彼はのちに証言した。

 ディクタベルトに録音されたものは、録音した機械にとっても、あるいは録音されたものを再生したりさまざまに分析したりする機械にとっても、電気的な信号に過ぎない。人の耳はたとえばモーターサイクルのバックファイアを銃声と間違えることがあり得るが、録音された電気的な信号としての銃声はきわめて特徴的であり、他のどの音からも、それははっきりと区別することが可能だ。ディクタベルトのなかから銃声を拾い出すと、これは銃声だと完全に言いきることの出来るものが、四発あった。そして、断定は出来ないものの、限りなく銃声に近いものがさらに二発、録音されていることがわかった。

 それぞれの銃声がどの方向からマイクに届いたかも、正確に判明した。そしてディーリー・プラザにマイクをいくつも配置し、教科書倉庫のあの窓も含めて、何か所かからライフルを発射して録音し、その音響特性とディクタベルトの内容を綿密につき合わせていくと、ある特定の時間に警官マクレインのオートバイがどこにいたか、その位置を正確に確定することが出来た。分析の結果では、マクレインのオートバイの位置は、大統領のリムジーンの後方百五十四フィートという数字が出た。マクレイン自身の証言では百五十フィートだった。モーターケードをとらえた何点もの写真に、マクレインは映っていた。それらの写真からも、分析によって割り出したマクレインの位置は、正しいことがわかった。

 ディクタベルトの分析によると、確実に銃声である四発のうち、初めの二発はモーターケードの後方から来た。そして三発めは前方から来て、それにほとんど重なるようにして、後方から四発めが来たという。第三弾の音の瞬間を、ザプルーダー・フィルムのなかで大統領が第三弾を被弾した瞬間の齣と重ねると、他のすべてが全体にわたってきれいに一致するそうだ。六発のなかには、ひとりではとても射つことの不可能なたて続けの部分があり、銃声の方向も二か所以上であるというようなディクタベルトの分析結果を、単独説を採る『ケース・クローズド』では二ページほどの反論でごく簡単にしりぞけている。

7

 国のすべてが冷戦で支えられているという異常きわまりない状態が、アメリカにとっては第二次大戦が終わるとすでに始まっていた。冷戦のスケールとその意味は、一九六〇年代の初めにはひとつの頂点に達していた。ひとつの頂点に達していた、といま僕が書く理由は、キューバ危機の恐怖をいまもまだ記憶しているからだ。当時のアメリカの、軍も含めた報道機関からの報道が身近だった僕は、これはほぼかならず第三次世界大戦になる、とキューバ危機のとき思った。キューバの向こうにはソ連があった。アメリカにとって、冷戦を互角に戦っていた相手だ。

 どちらが先に相手を核で攻撃するにせよ、アメリカが核攻撃を受けたなら、自動的にモスクワが核で壊滅する。と同時にアメリカの主要都市も、それまでとは天地が逆にひっくり返り、被爆都市となる。悪夢が最初に現実となるのはいつだろうか、そしてその場所はどこだろうかと、刻一刻その時を待つというのが、僕の感じていた恐怖の中心だ。

 外交としての冷戦や平和としての冷戦などではなく、途方もなくビルド・アップされた武力のみを頼りに、本気で遂行する冷戦が、アメリカにとってのもっとも具体的な冷戦だった。それは、国家が持っているあらゆる機関を総動員して徹底的におこなう、究極の暴力行為だ。アメリカのトップからボトムまでを、そのようなシステムが強力に支配していた。

 暗殺がオズワルドひとりの行為なら、たまたまダラスでボトムにいた男の、それまでの人生が最終的には暗殺に注ぎ込まれたという、アメリカン・ドリームの絵に描いたようなすぐ外の景色のなかでの、どうしようもなく不幸で暴力的な出来事だ。暗殺が陰謀だったなら、トップからボトムまで全体が、冷戦を大義名分にして暴力行為を遂行した一例だ。あくまでも一例にしか過ぎず、したがってそれは希有でもなんでもない。

 当時のダラスには、いまここでこうして書くことがすさまじく馬鹿げたことのように思えるほどの、冷戦のボトムにおける暴力的で戦闘的な集団や組織が複雑怪奇に重層し、得体の知れない世界を作っていた。暗殺の実行、暗殺者のでっちあげ、その後の隠蔽工作など、すべてに関して、ダラスには条件がそろっていた。ケネディはそこへ引き出された、と僕は思っている。冷戦の遂行は国家の利益のためになされるのだが、ひとつ回路を間違えると、国家にとっての巨大な損失となることも、おなじように遂行される。

 ケネディはこの世から消すべきだと本気で思う力の重なり合いのなかで、彼の暗殺は可能になった。亡命キューバ人を中心とするキューバ侵攻作戦は、前の大統領のときからCIAが独自に進展させていた。ケネディはそれを引き継ぐかたちとなった。侵攻が始まってからアメリカの正規軍の投入を要請したCIAを、ケネディは断った。侵攻は失敗に終わり、多くの関係者たちにとってケネディは許しがたい裏切り者となった。

 マフィア、つまり非合法の犯罪組織とケネディ家のつながりは、驚くほど直接的で太い。マフィアに頼み込んで難題を解決してもらっては、そのつど報酬の約束を反故にするというパターンを、父のジョセフ・ケネディは繰り返し、そのパターンは息子のジョンの大統領選挙のときに最大に達した。ジョンが大統領になると、父ジョセフのマフィアに対する態度は、おまえらとはもうなんの関係もない、というものに変わった。そして大統領の弟は司法長官としてマフィア狩りを始めた。マフィアが報復を考えるなら、その標的が誰になるかは明らかだ。

 ヴェトナムからの撤兵やソ連との政治的な話し合いの路線は、当時のアメリカの有力な一部では、ただそれだけで許しがたい容共だったし、軍事力や戦争といったものに存在のかかっていた人たちにとっては、最大の威嚇だった。公民権に関するケネディの前進的な考えかたや態度も、おなじ程度の憎悪や恐れの対象となった。ケネディをなきものにしたいと願う力のこのような重なり合いのなかから、暗殺を立案して実行したメカニズムを正確に摘出するのは至難の業だ。しかし、暗殺するだけなら、文字どおり手を染めるというかたちの参加者をごく少数に抑えたまま、思いのほかたやすく可能だったはずだ。

 ケネディが希望の星であった事実は、現実がすでに手のほどこしようがない事態におちいっていたことの、反対像だ。彼の就任演説は、まさに理想だった。そしてそれと対立する現実のほんの一例は、彼の頭を吹き飛ばした銃弾だ。あとに残ったケネディ神話は、なんの役にも立たない。神話をはるかに越える大きさと意味において、暴力行為のほうを、コンスタントなリマインダーとして、残しておかなくてはいけない。そこにこそ、アメリカがあるのだから。

 一九六九年の夏の初め、僕はダラスで一九六三年のあのプレジデンシャル・モーターケードとおなじルートを、自動車で走ってみた。せっかくだから車はオープンにしたいと思い、オールズモビールのコンヴァーティブルを調達した。現場から四ブロックほど南の、新聞社の建物の前でふたりの友人を拾い、それは悪い趣味だと言われながら、僕はうしろの席の右側に入った。ぐるっとまわってメイン・ストリートに出た僕たちの車は、ヒューストン・ストリートへ向かった。ヒューストン・ストリートに出てそれを右折し、ワン・ブロックだけ北のエルム・ストリートで、大きく百二十度、コンヴァーティブルは左折した。

 エルム・ストリートに接近していくときから、テキサス教科書倉庫の建物が左前方に見えていた。左折のさなか、その建物は正面にあった。左折を終えるにしたがって、建物は背後へとまわっていった。すぐうしろに見上げた六階の窓は、アメリカの地方都市にいまもたくさんある、なんの変哲もない、重そうな四角の、やや暗い印象のある、ただの建物の窓だった。この建物はいまでは歴史的建造物のようなものに指定されている。コナリー元知事夫人がデディケートする様子を、僕はTVニュースで見た。

 うしろのシートのなかで、僕は前に向きなおった。ディーリー・プラザは思っていたよりもはるかに狭い。その狭さは、後方にあるあの建物の六階の窓の、たいそう怖い近さでもある。芝生の生えた丘が右前方にあった。トリプル・アンダパスが正面に見えた。ザプルーダーが8ミリを撮影した場所を、コンヴァーティブルはゆっくりと通過していった。アンダパスをくぐるまでのあいだ、僕は自分の後頭部を狙撃者のスコープをとおして、想像のなかに見ていた。

 狙撃者が使用したとされている、しかし確かなことはなにひとつわからない、マンリカー・カルカノというイタリー製のライフルには、日本製の四倍のスコープがついていた。四倍とは、標的までの距離が四分の一になることだ。距離が四分の一に縮まると、六階の窓から、そしてそれ以外のどの場所からも、僕の頭まで驚くほどに近い。狙撃者の視界はスコープが丸く切り取る視界だ。クロス・ヘアが直角に交差する点を標的の後頭部に重ね、引き金を絞る。スコープの取り付けかたにもよるが、命中させることはけっして難しくはない。

 アンダパスをくぐってから、
「引き返そうか」
 と、運転していた友人が言った。
「なぜ?」
 と、僕は聞いた。
「きみの頭の骨のかけらを拾うために」
 彼の冗談に僕たちは笑った。

底本:『日本語の外へ』角川文庫 2003年


『日本語の外へ』 アメリカを知っているのか?
2018年7月27日 00:00
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