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大統領が引き受けたこと

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この作品は、『日本語の外へ』「第1部 アメリカ──遠近法のなかへ」
に収録されたものです。

 一九九五年二月の教書演説でクリントン大統領は、中間層を広げ貧困層を小さくしていくことを、国内における最大の課題として力説した。すでに成功している中間層を守っていくには、分厚く広い底辺を構成している貧困層を狭めることによって、中間層をあらたに広げていくほかない、と大統領は言った。貧困層とは、夫と妻がともにいる家庭がその層にあると仮定して、彼らに子供がふたりいて年収が一万四千ドル以下の層を、正式な用語として貧困層と呼んだものだ。数にすると三千万人であり、総人口に対する比率は十四パーセントほどになる。

 なるほど、アメリカはふたつに引き裂かれつつあるのか、とその演説を聞いてたいていの人は思うだろう。アメリカが二極分化を始めて久しいということは、日本でも多くの人が知っている。救済策のないままに取り残されて貧困層へと落下していく人たちの層が、底辺およびそれに近いところから不気味に上昇を続け、いまでは中間層のまさに中間に、二極に大きく分化していく裂け目がある。一九七〇年代に始まったアメリカのいわゆる国力の低下の、もっとも目につきやすい部分だ。

 しばしば言われているとおり、二極分化のその二極とは、ひとつは高度な頭脳労働をする人たちであり、もうひとつはマニュアルどおりにこなせばそれでいい単純なサーヴィス労働に従事する人たちを意味する。このふたとおりの人たちの中間に位置していた人々が、大量に抜け落ちていきつつある。中間に位置していた人たちとは、僕の言いかたでは、これまで長くやってきたことをこれまでどおりにやっていた人たちだ。かつてのアメリカがそのままいつまでも続いていくと思って、かつてとおなじようにしてきた人たちだ。

 かつてのアメリカとは、たとえば一九五〇年代のアメリカだ。資本主義がアメリカふうの個人主義および自由と民主で営まれることによって可能となった、大衆における大量生産と大量消費というデモクラシーの一種のなかで、その頃のアメリカは盛大に物を作った。工場労働者の国は、世界のGNPの半分を自分のところで持つという、もっとも豊かな国となった。最強の軍事力と政治力は最強の経済力を生み出し、それはそのままアメリカが言うところのデモクラシーになり得た。そしてそのデモクラシーの全体は、素朴な時代のなかでは能率良く機能した。

 夫は工場でマニュアルどおりの仕事をし、けっして高くはないけれども安定した給料を取る。広い庭のある広い家に彼の家族は住み、自動車は二台、そして湖の近くには小さいけれどもサマー・ハウス。妻は主婦で、子供たちは大学までいく。こういう生活がそのままいつまでも続くのだと、豊かだった国の人たちは信じた。

 続かないことはすでにはっきりしている。この十年以上にわたって、自分たちの生活程度が目に見えて低下していくのを体験しつつ、中間的な層の人たちはさらにその下の層に向けて、大量に落下していった。落下はいまも続いている。これまでのアメリカは、もうない。しかし、これからのアメリカがないわけでは、けっしてない。

 自由競争というシステムは、その結果をくっきりと見せてくれる。成功と失敗の差は、アメリカでは劇的だ。圧倒的に市場を埋めている普通の普及品とは別の世界には、いったい誰がどこで買うのだろうかと不思議に思うほどに、美しく手のかかった素晴らしい高級品が存在する。いわゆる金持ちたちの豪邸がならぶ地域とインナー・シティとの対比は、まさに二極分化の現物による図解だ。インナー・シティの荒廃ぶりは、怖さや不気味さをすでにとおり越し、その次の次元に到達している。アメリカの基本的な性格のひとつである二極分化は、次の時代に向けての構造変化という局面のなかで、中間層が打撃を受けることによってその際立ちかたが増幅されている。

 資本主義は、起こってくる状況をすべて呑み込みながら、突進していく性格を持っている。アメリカでは、その突進は、これまでを完全に過去として、次の段階に入ろうとしている。これまでのアメリカふうな資本主義の限界の上に立って、アメリカふうな次の展開である、根本的と言っていい変質の過程のなかにアメリカはある。

 建国から百年間、アメリカは成長を続けた。六〇年代にはヨーロッパや日本の成長率がアメリカを越えるほどになり、それと比較するとアメリカの力は縮小したと言っていい状況が生まれた。七〇年代に入ると、七一年にアメリカの貿易収支は戦後初の赤字を出したし、七四年と七五年には、おなじく初のマイナス成長を記録した。アメリカの力の低下のスタートだ。

 七〇年代の終わりには、所得配分の不平等が盛んに言われるようになった。実質賃金は低下した。労働生産性も落ちた。労働生産性とは、労働時間のなかでどれだけの価値を生むことが出来るかだが、これのもっともわかりやすい理解のしかたは、労働生産性が一パーセント落ちると少なくとも自分の代では給料はもう上がらない、という理解のしかただろう。労働人口の増加によって補われたにせよ、労働生産性は全体として低下した。

 普通の人の身の上で、あるいはその周辺で、多くのことの水準が低下する現象の中心にあってもっともわかりやすく目立ったのは、製造業の減少していく速度だった。これは速かった。減少すれば当然のこととして雇用が減る。大量の解雇やレイオフが次々に衝撃的なニュースとなった。

 製造業の減少にはいくつかの局面があった。どうでもいいようなごく普通の消費財はもはや永久に製造しない、という意味での製造業の消滅があった。そのような製造業は安い労働力を求めて海外へ出ていってしまう、という意味での消滅もあった。高度で独特な技術による、付加価値の高い物を作る製造業への移行、そしてそこでの生産性の向上は、従来型の普通の雇用を減少させた。どの局面を見ても、失われた職はもう二度と戻っては来ない性質のものであった、と言うことが出来そうだ。

 国外で生産される比率が二十パーセントを越えると、つまりそれまでは国内にあった製造業のうち二十パーセントが海外へ消えると、アメリカの国内ではジャンク・ジョッブの比率が飛躍的に増えたという。ジャンク・ジョッブとは、向上や上昇の展望のいっさいない、安い時給のつまらない仕事の総称だ。

 長年勤めてきた工場があるとき突然消えたアメリカの小さな町というものを、八〇年代からいくつ見ただろう。食肉の加工工場が閉鎖される。大衆的な普及品として名のとおっていたブーツのメーカーが、アジアへ工場を移転する。それらの町に住む多くの人たちが、ずっとその工場で働いてきた。町はその工場によって支えられてきた。父母はその工場で勤め上げて定年となり、いまは自分がそこで働き、子供たちもそこに職を得る予定でいた。そういった生活のすべてを支える中心的な柱である工場が、突然消えてしまう。

 途方に暮れ、神に見捨てられたという深刻な心理状態におちいりつつ、ほかに仕事を捜してみる。時給七ドルのジャンク・ジョッブしかない。その時給が次に紹介所へいったときには、六ドルにそして五ドルに、落ちている。時給五ドルの仕事で暮らすには、いっさいのプライドを捨てなくてはいけない。部屋も家も借りることは出来ない。なんとか走ることは走るという中古の自動車に寝泊まりし、もし白人ならばホワイト・トラッシュというカテゴリーに属して、地を這う日々を送るほかない。

 とある町に住むある夫婦の夫が、青年の頃から勤めてきた工場がアジアへ移ることになった。すっかり年配の人となったその主人は、ディスエイブルド(身体障害者)でもある。仕事は失われたまま、次の仕事は見つからない。というよりも、そんなものは身辺のどこにもない、という状況だ。奥さんがパートに出る。時給は四ドル五十セントだ。家はあるけれど、その収入では生活の全体を支えていくことは不可能だ。だから彼女は地元のフード・バンクへいき、食品メーカーその他から寄贈された食糧品をもらって来る。

 居間のソファにその夫婦がならんですわり、TVニュースの取材を受ける。「一生ずっと真面目に暮らして一生懸命に働いてきて、これまで他人の世話になったことは一度もなかったのに、この年齢になって自分が夕食に食べるものをほどこし物としてもらって来なくてはいけないなんて」と語って奥さんは泣き出す。かたわらの主人が彼女の肩に腕をまわし、「泣くなよ」と言う。

 従来型の製造業を中心に、ブルー・カラーそしてその単なる延長でしかなかったホワイト・カラーの仕事が、数千、数万の単位で、次々に大量に失われていった。「この三か月で二十万の人が職を失い、失職者の累計は八百万に達しました。夏までにさらに百万の人が失業する見通しです」などとTVニュースのアンカーが語る。大量のレイオフや解雇のニュースのなかに、有名な大企業の名がいくつもあがっていく。これはすさまじい、と誰もが思う。恐怖が背中を走る。

 アメリカの労働者は怠け者だから品質は悪く、したがって競争力もない、というような次元の出来事ではない。もちろんそのようなことも含めて、出来事はまったく違う次元の出来事だ。レイオフ。ストリームライニング。リストラクチャリング。リエンジニアリング。といった言葉の流れの内容をよく考えるなら、売れない、だから作らない、したがって余った人を解雇する、という単純な段階ではなく、産業全体そして社会全体を根本から別のものに作りなおしていく流れが、もはや動かしがたい底流として存在している事実が見えてくるはずだ。

 大量のレイオフや解雇という現実の問題を、たとえばTVニュースの画面で見せようとするとき、もっとも取材しやすかったのは、そして居間のTVで見る人たちにとってもっともわかりやすかったのは、自動車工場のそれだったはずだ。Don’t drive jobs away, drive GM.などと標語を掲げた出入り口から、明日からは仕事がないという労働者たちが出てくる。その様子を見ているだけで、いまの社会のなかでなにがどうなっているのか、基本的な概略はわかった。

 労働者自身たちは、流れ作業のなかで領域別に単純な仕事を繰り返す人だ。生産性は低い。作っているもの自体が、もはやすぐれているとは言いがたい。したがって競争相手から受ける打撃が深刻だ。より安い労働力へと、彼らはあっさり交換されてしまう。そしてそのあと、売るべき製品としての能力を、彼らは持っていない。

 一九五〇年代、そして一九六〇年代は、あまりにも豊かだった。その豊かさのなかで、アメリカの自動車は、消費者の好みを常にリードしつつ、ひとまずアメリカ的な頂点をきわめた。そしてそこで進化を停止した。大量生産システムのなかで、いま作っているこれはいったいなになのか、という根本的な問いなおしがまず最初に放棄された。ボトムからトップまで、巨大なピラミッド型の組織は深く官僚化していき、労使の関係は悪化し続けた。

 品質の低下は競争力を海外から招き寄せた。品質の低下とは、設計や開発における二流以下の技術とか、現場の生産性の低さ、労働者の扱いの悪さ、企業組織の肥大した官僚化など良くないことすべてが、自動車という工業製品のなかに実った結果だ。アメリカの自動車はこれでいい、ここから先はこのままでいい、と勝手にきめてそのまま進化を停止してしばらくたつと、たとえば海を越えて日本から、強力な競争相手としての日本製の自動車が、ある日、彼らの目の前に現れた。日本車はけしからん、という意味のない批判や攻撃の時代は、遠い過去のものだ。日本製の自動車をハンマーで叩いてみせるというような議員の演出など、気恥ずかしさをともなった懐かしい思い出だ。

 アメリカの製造業の減少や力の低下、そしてそこからの作りなおしという根本的な改革を、アメリカ文化の強力な象徴のひとつであった自動車において、アメリカ自身が、そして世界が、見ることになった。そこに出てくるもっとも基本的な問題は、人の能力とはなにか、ということだ。

 能力という製品をフルに開発して機能させるにはどうすればいいかを考えていくと、たとえば組織の平坦化は最初に出てくる課題だ。平坦化された組織のなかでは、これまでにくらべると格段に高い能力が要求される。これでいいと思って開発を停止してきた大量の人たちの、再教育による能力の開発や育成は至難事だ。しかし、これまでどおりのやりかた、というものはすべて失敗したかあるいは消えていくしかないことがはっきりしたのだから、根本的な作りなおしは避けてとおることが出来ない。

 大企業による大量の解雇は、これまでどおり、というものがいっさい崩れ去っていくプロセスが生んだものだ。IBMが発表した一万人の人員削減、アップルが宣告した創業以来のレイオフなど、すべての勤労者にとってたいへんなショックであったはずだ。IBMに職を得て一生を保障されたつもりでいながらその職を失った人たちどうしが、持ちまわりで仲間の家に集まり、それぞれに問題や気持ちを語り合い、そのことをとおして自己カウンセリングをおたがいにほどこす。そして最後には全員で手をつないで頭を垂れ、失った職が戻って来ることを神に祈る。

 世界の超優良企業と言われていたIBMが発表しなくてはいけなかった最初の苦境は、世界のとらえかたの失敗と直接につながっていた。世界はメインフレームでとらえられる、とそのときまでのIBMは思っていた。しかし世界におけるコンピューターの使われかたは、劇的に変化していった。ユーザーは自分の目的に合わせて自在に装置を組み合わせるというオープン・システムをプラットフォームにして、その上でソフトウエアを駆使していくこととなった。メインフレームとは反対のいきかたであるダウンサイジィングは必然であり、組み合わせるいくつもの装置は、誰が作ってもいい普通の電気製品の位置へと移っていた。メインフレームの解体は、それを使っておこなわれる、中央における集中管理の社会システムの崩壊だった。

 シェアスン・レーマンで副社長をしていた人が、その職を失った。次の職を求めて、彼は失職このかた五百通のレジュメを書き、ひょっとしてここならば、と思うところへかたっぱしから送った。職はまだ見つからないまま、彼はパートタイムでファクス・マシーンのセールスをしている。奥さんは学校の先生だ。なんとか食いつなぐ不安で空疎な日々のなかで、「私のどこが間違っているのだろうか」と、彼はTVニュースの取材記者に問いかける。彼に間違いを見つけるなら、それはレジュメを書き送り続けたことだ。つまり、既存の会社組織のなかに、それまでの経験や能力で、仕事を得ようとしたことだ。

 解雇やレイオフは単純なものではない。それによって失われた仕事は、二度と戻っては来ない。リエンジニアリングがおこなわれたなら、そこで必要とされる能力は、それまでとは一線を画した別物でなければならない。そうでなければ、リエンジニアリングは失職の絶好機だ。仕事を失ったその人の問題としてではなく、いまはまだ仕事を持っている人たち全体の問題、つまり社会全体の問題として、安定した仕事あるいはそのままずっと続く仕事などは、もはやあり得ない。

 仕事において人が発揮する能力は、情報やサーヴィスも含めて、なんらかの製品となって人の手に渡る。そしてこんどはその人がその物から、どれだけの価値を引き出すことが出来るかが、その物を作った人の真の能力であるという時代のなかに、全員がすでに入っている。引き出し得る価値の幅と奥行きとが、これまでとは比較にならないほどに広く深い製品を作る能力が、仕事をする人の標準的な能力となっている時代だ。ひとつあるかないかの能力で三十年にわたって給料をもらうという時代は、全員にとっての終わりではないが、どうやら終わったようだ。これからは、自分の能力という製品を、二年、五年という単位で、改変していかなければならない時代だ。

 アメリカの大企業がかつて盛んにおこない、現在も継続させている大量の解雇は、次の時代の要求に応えられない質の労働しか出来ない、しかし給料だけは世界一の社員という高コスト・システム、つまり旧時代そのものを、なしにしてしまおうという試みだと理解すればいい。生産性の質において時代に適合しない労働者たちは、解雇すれば彼らの人件費はいっきょに消える。必要ないもの、そこにあってはいけないものは、掃いて捨てるほかないではないか。掃いて捨てる大量解雇は、じつは時代の作りなおしなのだ。

 失職した従来型の労働者の再教育は、部分的には可能だろう。ふたたび職を手にすることの出来る人も、いるだろう。何年かごとに、計画的に自分を教育しなおしていく職業生活というものも、部分的には成立するはずだ。しかし、どのような内容を持った労働者であれ、彼らが安定して雇用されるかされないかは、雇用主の判断による。雇用主の判断とは、利益追求原理の私企業が、どのような労働者を必要とするか、あるいは、必要としないか、ということだ。私企業は自己のつごうでのみ雇用をおこなう。労働者たちが自らをどんなに再教育しても、私企業に彼らの必要がなければ雇用されない。

 私企業にとっての都合と、社会ぜんたいにとってなくてはならない仕事というものとのあいだには、巨大な乖離がすでに存在している。そのような乖離の存在は、社会ぜんたいにとって、マイナスとして作用し続けているはずだ。私企業による雇用の都合とは、私企業が雇用する労働者の潜在的な能力のほとんどが、私企業の利益とつごうだけに消費されているということにほかならない。こういうことが、その社会ぜんたいにとって、絶対と言っていいほどの中心軸となっている状態は、どんな視点から見てももはや異様としか言えないのではないか。

 社会ぜんたいの、複雑で多岐にわたる、そしてかならずしも直接的にはなんら利益にはつながらない要求は、これまではいわゆる進歩や発展、開発、拡大、繁栄、物量的な豊かさなどの内部へ吸収されたかたちで、なんとか応えられてきた。余剰としてまかなわれた福祉が、そのことの中心だった。企業の都合は社会ぜんたいの要求にはまったくと言っていいほど応えられないということが、先進文明国の先進性がある限度を越えると、その社会にとっての失点のようにして、あらわになってきた。

 私企業のつごうが社会ぜんたいを圧倒的にリードしているという状態が、その社会自体に対して持たずにはおかない機能的な限界に気づくことは、先進文明国にとっては一種の特権のようなものだろう。私企業的な意味での利益は約束しないが、社会ぜんたいにとってはなくてはならない仕事、というものが無限に近く存在する。労働者という人的資源を、そのような仕事に配分しなおす作業を、私企業が引き受けるだろうか。もし引き受けないとしたら、それは政府の仕事だろうか。

 先進国に出現しつつある大量の失職者は、私企業が社会のなかで大きな位置を占めすぎてきたことの、裏返しのあらわれだ。私企業でもなければ政府でもない。その中間にある膨大な日常という世界を支えるシステムの不備が、日ごとに大きく露呈されていく。そしてそのただなかを、起こってくる状況のすべてを呑み込みながら、資本主義は突進を続けている。

 自分の能力によって作り出されるもっとも広い意味での製品を、短い期間を単位にして人は恒常的に改変し程度を高め、他に対してより素早く的確に適応出来るよう、作り換え続けていかなくてはいけない。付加価値の高い高度な頭脳労働とは、ひと言で言うなら、すぐれた独創のことだ。すぐれた独創によって、これまでどおりの世界というものは、次のものへとひっくり返る。このこと全体は、コンピューターの構成と機能によく似ている。そしてこれまでどおりの世界は、自動車に似ている。

 いまでも使われているかどうか不明だが、NIKESという言葉がかつて少しだけ流行した。ナイクスあるいはナイキーズと言う。ノー・インカム・キッズ・ウィズ・エデュケーション(大学は出たけれど)のことだ。子供のいない共働きの都会の夫婦を、ダブル・インカム・ノー・キッズと規定して頭文字を取り、ディンクスと呼んだのとおなじ発想の造語だ。

「この大学の今年の新卒は、五十パーセントが実家へ帰ります。仕事がないからです」というコメントを、二、三年前に僕はアメリカのTVニュースで聞いた記憶がある。僕の聞き違いであってほしいとも思うが、こんな単純なことは聞き違えるのも難しい。帰る先である実家のひとつが、続いて紹介された。「人がひとり増えるのですから、生活の予算を考えなおさなくてはねえ」と、そこに住む父親がまったく弱気で語っていた。母親は裏庭に畑を作っていた。裏庭といっても、固い地面のただの空き地だが、老境に入っている母親はその地面を何本か細く掘り返し、「ここには豆を植えたのよ。ここは馬鈴薯。好物だから出来るのが待ち遠しくて」と言っていた。趣味の園芸ではない。野菜を自分で作り、少しでも家計の足しにしようという、果敢な試みだ。

 ニューヨーク大学の九一年度卒業生には仕事がない、というニュースも僕は見た。毎日『ヴィレッジ・ヴォイス』を買い、求人欄を広げてかたっぱしから電話をかけて一日が暮れていくという日々を一年送って、まだ仕事が見つからない、とひとりの新卒は語っていた。生活のレヴェルをある程度のところに維持するためには、いったんは引退した年配の人たちも、仕事につく必要にせまられることとなった。職業紹介所には年配者の長い列が出来る。彼らが受ける仕事は時給が四ドルや五ドルといった仕事だ。質屋が盛業中であるという話はよく聞いた。Somebody else’s loss is your gain.とウインドーに金色で書いた店で品物を見たら、普通に買うよりもそこで買うほうがはるかに得であるような印象を僕は持った。グリーティング・カードには失業をテーマにしたものが増えていき、ローンが払えなくて家を手放す人とそれの競売が盛んだとも聞いた。

 貧困層は確かに厚くなりつつある。そのことをさまざまに証拠立てる数字が、捜せばたくさんありそうだ。フード・バンクやスープ・キチンは、どこでもすっかり社会に定着した感がある。しかし、寄贈は明らかに減っているという。低い仕切りのある四角い盆のような皿に盛る食事の量が、明らかに少なくなっている。そのような施設にかつてはおかねを寄付していた人たちが、いまでは一家で食べに来る。食べたりもらったりしている彼らの姿は、これは自分にとって当然のことだと言っているようであり、その人が身を置いている層の前途を、たいへん暗いものに感じさせる。あっと思ったら人は貧困層のなかにいて、そこから脱出する見通しはまったく立たない。

 アメリカの内部にあるこのような経済的な苦境の話は、際限なく続く。これまでの社会が、質的に構造的に、おそらく根本から変化して次の時代になろうとしている過渡期に、いまはある。これまでどおりのものがそこで大量に脱落し、これからのものはまだはっきりとは見えていない、という状況だ。

 ニューヨークの財政は徹底的に破綻をきたしている。セントラル・パークの動物園は閉鎖されるかもしれない、という話があった。「経済的にいかに苦しいかを理解してもらうには、閉鎖するのがもっとも効果的です」というようなコメントを責任者が述べていた。かつてのアイ・ラヴ・ニューヨークのTシャツに代わって、いまのスタンダードはアイ・ヘイト・ニューヨークなのだと、ニューヨークに住む人が言っていた。そのTシャツを売っている店には、わざわざ店へ入って来てTシャツに強い共感を表明する人がたくさんいるにもかかわらず、Tシャツそのものを買っていく人は少ないという。それだけの余裕がないからだ。そのようなニューヨークでも、公共の乗り物としての路線バスは、高齢者やハンディキャップのある人たちが乗りやすいよう、歩道に向けてあの大きな車体が傾く。ニーリング・バスと呼ばれている、ひざまずくバスだ。

 カリフォルニアはかつては豊かなアメリカを象徴するような場所だった。そのカリフォルニアでももっとも豊かだったオレンジ・カウンティが、デリヴァティヴの運用の失敗で破産してしまった。これはそれほど珍しい話ではない。たとえばあるひとつの企業の内部で、企業年金がなくなってしまうということがしばしば起こっている。ある企業が買収される。買収したほうは企業内年金基金に手をつけ、たとえばジャンク・ボンドで失敗して基金が底をついてしまう。あるいは、基金を運用している会社がジャンク・ボンドに手を出し、失敗して巨額の損失を出す。その企業の年金をもらっていた定年引退者たちに、年金の小切手は届かなくなる。救済の手段はない。

 アメリカの勤労者の半数近くは、定年引退後の年金計画など持ってはいない。ソーシャル・セキュリティだけだ。自分のことは自分でしてください、と国家から宣告されているのとおなじだ。そのソーシャル・セキュリティは、四十年ほどあとには破綻すると予測されている。アメリカが豊かだった頃には、ひとりのソーシャル・セキュリティ受給者の背後に、百五十人ほどの現役の勤労者がいた。それがどんどん減少していき、二〇一〇年には四人になる。いやもっと少なくて二人だ、というような試算もある。二〇三〇年あたりで、受給と歳入は釣り合ってしまうことになっている。

 失職のショック、あるいは今日にも明日にも自分は職を失うのではないかという不安や恐怖、憂鬱感、強い苛立ちなどに対して、カウンセリング・サーヴィスがおこなわれている。どんなことに関してもたちどころにカウンセリング・サーヴィスがおこなわれるのがアメリカだが、解雇されることの不安や恐怖を、自分だけではとうていコントロール出来ない人たちが数多く存在していることは確かだ。殺人がもっとも多いのは職場である、という統計結果を僕は聞いたことがある。その殺人のなかでパーセンテージを拡大しつつあるのは、解雇されたことへの反射的な反応として、あるいは解雇されるかもしれないという恐怖感から、直属の上司や同僚を殺すという種類の殺人だ。

 コミュニティの経済、つまりその地域での大きな雇用主としての産業が消えることが、長期にわたってあたえるマイナスの影響への恐怖も、すでに覆い隠しがたいものとなっている。雇い主がなくなると、人々の収入がなくなる、あるいは減る。彼らは物を買わなくなる。売り上げが減る。売り上げ税が減る。その税で学校をまかなっている地域では、カリキュラムの削減、クラスの閉鎖、先生のレイオフなどが起こる。

 そしてもっと進展した段階になると、学校の学期が資金不足により途中で終わってしまう。「なんか変」「寂しい」「学校以外のことをするチャンスだから、それはそれでいいかも」などと言いながら、生徒たちは卒業のパーティを三月の初めにおこなったりする。北西部のその季節はまだ冬だ。肩や背中を大きく出したドレスに、空気は存分に冷たい。もっとひどい場合には、学校そのものが閉鎖される。早くて十年後くらいには社会を担う世代にとっての、能力の開発準備という重要な段階に、こうして大きな風穴があいていく。

 アメリカの州、そしてそのなかの自治体は、予算を均衡させることを法律できめられている。自治体の収入が減ってくると、増税と支出の削減が検討されていく。教育の現場では、レーガンとブッシュの時代に、大幅な予算の削減を体験した。すでに相当につらい状況の上にさらなる削減が重なると、たとえば小学校に鉛筆がない、という事態になる。子供たちは親に買ってもらえないから、鉛筆を持たずに学校へ来る。先生がポケットマネーで人数分の鉛筆を買い、一本ずつ貸しあたえる。クラスが終わるとそれを先生は回収する。敗戦直後の日本の小学校に僕はかよったことがある。そのときですら、鉛筆の貸与と回収ということは、なかった。

 固定資産税が払えなくなった親は、ほかへ引っ越していく。学童の数はそれだけ減る。減少がある程度までつのると、学校は閉鎖されたり合併されたりする。先生は失職する。次の仕事はもうない。このような状況は単なる経済的な苦境や貧困ではない。社会的な大混乱だ。現在の混乱は、次の世代のなかでさらに深く根をおろし、さらに大きく拡大されていく。ドント・ノー・イナフ、キャント・ドゥー・イナフ(知らない、出来ない)の子供たちがそのまま大人になっていく。

 ゴールズ二〇〇〇という計画のために、「二〇〇〇年にはアメリカにおける数学と科学の教育とその成果を世界で一番にしたい」と、かつてブッシュ大統領は語った。学校教育での数学や科学の程度が低いのは昔からのこととして、いまでは言葉の能力もオールタイム・ロウ(史上初の最低)であるという調査発表を、ほんの二、三年前に僕は聞いた。言葉の能力のそれだけの低下は、社会全体の質の低下であることに間違いはない。

 アメリカの初等、中等教育は、かつてのアメリカの自動車がたどったのと似た道を歩いている。豊かさの頂点に達したとき、これでいいんだ、あとはこのままいけばいいときめて、それ以後の進化を停止させてしまった。世界の質的な激変に気づかないまま、現在まで来た。これからの人が知っていなくてはならないこと、心の準備など、これから必要なことといま学校で教えられていることとのあいだに、落差があり過ぎる。資金の不平等がそこに重なる。高低の差は三倍から五倍はある。ブッシュ大統領が提案したゴールズ二〇〇〇は、教育の程度をある程度以上のレヴェルで全国的に統一出来ないものだろうか、ということへの提案でもあった。

 メリーランド州のプリンス・ジョージズ・カウンティのパブリック・スクール・システムだったと思うが、高校の卒業生に卒業証書とは別に、雇用適格者証明とも言うべきものを添える、という試みをかつておこなっていたが、その後どうなっただろう。必須教科を履修習得し、高卒者としての基本能力、そしてエントリー・レヴェルの仕事につくにあたっての基本的な能力を身につけていることを、その証明書で証明しようというのだ。雇用者からその卒業生が不適格だと言われたなら、呼び戻して再教育をするという。もっとも基本的なレヴェルでとにかくまず役に立つ人材を社会に送り出そうとする、二度手間のような試みだ。

 パブリック・スクールの荒廃がアメリカでは全土にわたってあまりにもひどく、いまではホーム・スクールが法律で許可されている。家庭で子供たちが親から教育を受けるのがホーム・スクールだ。かつては主として宗教上の理由からおこなわれていたことだが、現在では公的な教育システムの欠陥を埋める機能を、部分的に果たしている。初等、中等教育の根本的な改善は、アメリカにとって切迫した大問題だ。しかし、改革はやりやすいのではないか、と僕は思う。教育は地方自治体の自由だ。少しだけ極端に言うなら、教育は学校ごとに自由だ。文部省も文部官僚も、そこには存在しない。高等教育の水準は現在でも世界一だから、質的にあるいはシステム的に、そことつなげればいい。世界はひとつではなく、混沌として雑多で複雑だ。しかも状況は急速に変化を続けていく。予想もしなかった事態というものが、数限りなく連続する。可能なかぎり考え抜く人というものは、これまでの需要をはるかに越えて必要だ。

 惨憺たる境遇のさなかにいるアメリカの子供たちに関して、さまざまな視点からの数字が、捜すならいくらでもある。妊娠中の母親がアルコールやドラッグスを常用したことによって、重い障害をもって生まれてくる子供たちが年間で三十七万五千人に達する、という数字がある。介護と治療という、膨大な負担がこの数字を中心にして広がる。日常的に世話をすべき人がドラッグスやアルコールでそれどころではなく、したがって放置されたも同然の子供たちが、少なく見積って七十万人いる。孤児院のような施設に入っている子供の数は三十五万人。これは一九八六年に比較すると三十パーセントの上昇だという。

 ナショナル・コミッション・オン・チルドレンという組織が二年六か月にわたって観察した結果をひと言で言うと、子供たちの置かれている状況は国家的な危機だという。四人にひとりは片親の家庭にいる。これは数になおすと千六百万人だ。五人にひとりが貧困層のなかにあり、黒人だとこれは二人にひとりという割合にまで高まる。未婚の十代の母親に生まれてくる子供の数は年間に五十万人だ。その母親たちの多くはアルコールやドラッグスの依存者だ。十八歳までの未婚女性の妊娠に対して、全員の健康保険を作ろうというような提案はあり続けるが、いまのアメリカにとってそのようなシステムはラディカル過ぎるし財源はどこにもない。

 現在の議会で多数党である共和党は、未婚の母親への援助の全体を削減しようと提案している。このようなきわめてわかりやすく、したがって支持も取りつけやすい政策に、子供を作るならちゃんと結婚して家庭を作ってからにしろ、という宗教的と言っていい信条を共和党はからめていく。子供たちの窮状に関して、なんらかの手を打とうと試みる統一された全国的な政策は、現在のところひとつもない。

 不健康である、字が読めない、書けない、仕事に雇おうにも使いものにならない、ちゃんとやっていこうという意欲もない、というような状況はすべて貧困から発生する。そしてそのまま貧困のなかで再生産されていく。当人のかかえ込んだストレスはすさまじいものがあり、そのストレスは怒りとなり失われた希望となり、暴力やアルコール、ドラッグスへと、かたちを変えていく。これらのことすべてを社会的なコストになおすと、それこそ天文学的な数字になるはずだ。ロスト・ジェネレーション(失われた世代)というものがかつて文芸的に存在したが、これ以上に現実ではあり得ないほどの現実のなかに、文字どおりの失われた世代が、年齢別に見たアメリカの人口構成のなかに、いくつも大きく横たわっている。

 このような状況は、ただ単に経済的に困っている人が底辺としてたくさんいる、という問題ではない。根は深い。根が深いとは、問題は基本とつながっているということだ。基本とは、いまのアメリカのシステムだ、としか言いようがない。子供たちを「救う」という発想にとどめるとしても、そのためのシステムはいまのアメリカのシステムと、おそらく正面から衝突する。ただ単に「あたえる」だけではなく、「支援」し「援助」していくというかたちの救済をするなら、苦境にある子供たちをなんらかのかたちで保護しなくてはならない。親とともに住む住居、学校、病院などが集まった施設が全国にいくつも必要だ。そこで親も教育や訓練を受け、仕事につき、保護されてきたことのコストを、少しずつでも支払っていく。ある程度以上の給料を安定して取ることの出来る仕事というものも、彼らに支給されなくてはいけないだろう。施設はしたがって特別区のようになっていく。

 刑務所が営利の民間事業へと移行するように、このような施設も民間で運営出来るのだろうか。インナー・シティの現状が、姿を変えただけのものに過ぎないのではないか。インナー・シティとは、都市の中心部に多い、もっとも荒廃した暴力と貧困の地帯を、現在は意味している。都市の中心部は、これまでは中産より上の階層の人たちの場所だった。財政赤字と増税、そしてそれでも追いつかない荒廃を捨てて、その階層の人たちは逃げていき、あとには貧困や暴力だけが残った。逃げた人たちは高度な頭脳労働の出来る人たちであり、彼らが集まって住む地帯は、インナーに対比してエッジ・シティと呼ばれている。

 インナー・シティに残っている人たちには、売るべき能力がなにもない。給料は低いけれども、それを足場にして社会の階段というやつを登っていくための、エントリー・レヴェルの仕事というものが、消えてしまっている。小さくあることを人々が理想としている政府に出来るのは、法律に抵触する部分に最小限の手当てをしながら、あとは個々人の自助努力にまかせることだけではないだろうか。

底本:『日本語の外へ』角川文庫 2003年


『日本語の外へ』 アメリカを知っているのか?
2018年7月25日 00:00
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