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人生を自分で考えるための材料集

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〈書評〉竹信三恵子著正社員消滅

 当時の私は「正社員」ではなく、ただの会社員だった。と、この本の著者は、はじめに、と題した短い文章のなかで書いている。当時とは、著者が新聞社に入社した、1970年代の後半だ。

 もっと前、僕が子供だった頃、会社に雇用されて仕事をし給料をもらい、それで生活を支える人たち全般を、会社員と呼んでいた。会社勤め、勤め人、という言葉もあったし、給与所得者もおなじ意味だ。

 会社員はいつから、正社員になったのか。対立する概念が具体的にあらわれたからだ。それはフリーターだったか。雇われて拘束されるのではなく、好きなときに好きなように働く、という新しさが煽られた。働きかたの新しさとは、じつは、会社員の消滅につながっていたとは。正社員はいまや正規となり、それにあらざる人たちはひとからげに非正規であり、対立の構造を作っている。

 この本を読んでよくわかるのは、日本の会社がいかに自己中心的であるか、ということだ。もはや非社会的な存在だ、と言っていいほどに自分勝手だ。日本全国に林立した会社が自己中心的になっていくのと、そこでの働き手であった人々が自己中心的になっていくのとが、経済の上昇と拡大のなかで一致したのが、高度経済成長という、日本の成功モデルだ。日本はこのモデルにいまもまだしたがっている。

 正社員の正の字には、正しい働きかたの基準、という意味もこめられていたという。無期限の雇用というかたちのなかで過酷な労働条件に耐えるのが正社員だ、という現実があるなどと聞かされると、日本という国の基本的な質が見えてくる。

 この本に書いてあることは、自分で考えるための、材料だ。自分で考えると、それまでは見えていなかったものが、少しずつにせよ、見えてくるようになる。

 林立する会社群がそのまま日本国家だ、という意味で外国から、日本株式会社と呼ばれたその日本は、政府が自在に統制する会社群が、厳しい序列のなかでそれぞれ国家の下請けとして機能している。会社の方針は国家の方針であり、労働力の自由な調整を可能にする道を会社群から求められた国家は、その道をいろんなふうに用意していく。本書の題名である『正社員消滅』という現実は、そこに生まれていく。

 会社に雇用されて安心するとは、どういうことなのか。守られた労働時間と契約のなかで失業がなく、生活賃金が妥当な額と方法によって支払われつつ定期的に昇給もしていく、というようなことか。なにをするどのような会社の、どんな部署でいかなる能力を発揮すれば、このような安心が手に入るのか。

 会社に雇われて働くとは、どういうことなのか。会社の仕事とは、いったいなになのか。それと等記号で対応する自分の能力は、どこにあるのか。どんなふうに作っていけるものなのか。しかもこういったことぜんたいが、自分の人生の日々に直接に重なってくる。片仮名で書くなら、ライフスタイルとワークだ。

 ライフスタイルとは、結局のところ、自分自身のことだろう。ワークとは、その自分が発揮し続ける能力を意味する。本書の最後の一ページに、ライフスタイルを点検する、という項目がある。変動する労働条件のなかで、会社との交渉力を、働き手の側から作っていき、それによって自分が楽になれる働きかたの状況を作っていく、というようなことが語ってある。

 ふむふむ、と読みとばしたりせず、ここで踏みとどまろう。本書は自分で考えるための材料集だ、とさきほど書いた。この最後の一ページに、すべてがある、と僕は考える。自分とはなにか。その自分が会社に雇用されて発揮する能力とは、どういうことなのか。自分の一生、という種類の大問題がここにある。

出典:『週刊朝日』2017年6月9日号


2018年6月8日 00:00