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眠れる東京の坂や谷が目覚める

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 僕は東京の人だが、これまで生活してきたのは、坂も階段もないところばかりだった。東京が持ついくつかの特異性のうち、最大のものはその地形であると気づいたのは、四十代になってからだ。

 東京らしい小説を書こうとしてあれこれ考えたあげく、東京は地形だと閃き、等高線地図を手に入れ、おなじ標高のところをいくつか、それぞれ色の異なるマーカーでたどってみた。おなじ標高のところで展開するいくつかの短編、というアイディアを僕は得た。急坂の下の低いところばかりを縫うように展開する短編もあり得る、とも思った。地形の特異さを基本に据えた、東京物語の短編集だ。

 この小説は挫折したまま現在にいたっている。だから『日和下駄とスニーカー』のような、東京の地形の高低差を主題にした本には、ことさらに惹かれるものがある。東京の坂とその谷間を気持ちのまんなかに置いて散策して手にした東京が、この本のなかにある。

 題名のなかにある日和下駄という言葉は、街歩きの先達である永井荷風が三十代に書いた『日和下駄』というエッセイ本によっている。荷風は確かに下駄だった、だからこの本の著者の大竹昭子さんは、スニーカーで歩いた、というわけだ。

 永井荷風は東京の坂道を、「平地に生じた波瀾」と言いあらわしたという。さすがではないか、と僕は思うが、と同時に、波瀾という言葉は、『日和下駄』を書いていた当時の、荷風当人の身辺のけっしておだやかではなかった様子と、まっすぐにつながる。

 坂道とは、大竹昭子さんによれば、「尾根道と谷道をむすぶもの」だ。

「尾根と谷が複雑に行き交うゆえに、東京にはたくさんの坂がある。そしてその坂の多さが、驚くべき面的な広がりをもった大都市を単調さから救っている」と大竹さんは言う。

 しかしいまの東京は大小雑多な建物群によってその地表はびっしりと覆われている。地形そのものが持つはずの息吹のようなものを五感で受けとめることは、至難の業に近い。地表が建物で覆われつくすだけではなく、削られ埋め立てられて地形は強引に変形させられもする。このような東京で、たとえば江戸時代にあったはずの東京を、いまも残る地形のなかに感じ取ろうとする試みは、東京という化け物の本来の正体に向けて少しずつ接近していくという、スリリングで報われるところの大きい知的な遊びでもある。

「まず大事なのは坂であることが目で感じられることである」「くねっと曲がりながら切り通しのあいだを抜けていくさま」「上にどんな風景が待ちかまえているのだろうと期待させるに充分な謎めいた気配」「曲がり具合が心地よく、標高が下がるごとに視界が広がっていくのも好ましい」「切り通しの坂で、崖の切断面があらわになっていることも、坂らしさを盛りあげる大きな要因」といった坂に対する感覚のありかたは、東京の地形を自分の問題とするとき、もっとも重要なものだ。

 いまある東京から時間を下って深くもぐり込んだ、どことも知れない遠いところに眠る昔の地形を相手にするのだから、柔軟な想像力がさまざまな方向に延びていかないことには話にならないことを、全編にわたって著者は鋭く優しく教えてくれる。

 大胆に単純化するなら、東京の地形は、のびていく尾根とその下を流れる川、という一単位の繰り返しだ。坂を下ると川があり、川には橋がかかり、橋を渡ると坂を上がる。川とその橋を中心にして向き合うふたつの坂が、東京の地形の基本となる単位だ。

 渋谷を例にとるなら、宮益坂と道玄坂が渋谷川で向き合うのだが、渋谷川は都市の暗渠と化して久しい。「東急百貨店東横店の東館に地下の売り場がないのは」そこにいまも渋谷川があるからだ。これは都市の下に眠る東京の地形の典型だ。

出典:『週刊朝日』2012年11月16日号


2018年4月13日 00:00