アイキャッチ画像

ヴァージル・ティブス・シリーズ

縦書きで読む

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

 ジョン・ボールというアメリカの作家の、カリフォルニア州パサディナの黒人刑事、ヴァージル・ティブスを主人公にしたミステリーの第一作、『夜の熱気のなかで』が刊行されたのは一九六五年のことだった。かなり評判となり、日本でも翻訳され高く評価されたと記憶している。二年後の一九六七年には映画になり、『夜の大捜査線』という題名で公開された。監督はノーマン・ジェイスンで、ティブスをシドニー・ポワティエが演じた。脚本にスターリング・シリファント、撮影監督にハスケル・ウェクスラー、音楽はクインシー・ジョーンズと、懐かしい名前がクレディットにならんでいる。主題歌をレイ・チャールズが歌ったという。しかしこれは僕の記憶にはとどまっていない。

『夜の熱気のなかで』がアメリカのいつ頃を時代背景にしているのか、はっきりした言及は作中にない。ひょっとしたら一九五八年あたりかとも思うが、一九六十年代に入ってすぐ、六一年あるいは六二年くらいだろうか、とも思う。カロライナ州に設定された、人口が一万二千人のウェルズという架空の市(シティ)が舞台になっている。

 アメリカ・ミステリー作家協会がこの作品に新人賞をあたえたし、イギリスでもイギリス以外でその年のもっとも優れたミステリーに、この作品は選出された。ミステリーとしての出来ばえが評価されてのことだろうと思うのだが、一九六七年にペイパーバックになってから四十年後に初めて読んだ読者である僕には、ミステリーとしては古典的でありすぎるような構成であり、当時はこれでよかったのだろうか、などとも思う。

 黒人刑事を主人公にした小説のなかに、小説の一部分として読むからこそ、当時のアメリカ南部で黒人がどのように扱われていたか、ごく一部分とはいえ、かなりの衝撃をともなって受けとめることが出来る。当時のアメリカでの黒人の位置について、ごく一般的な伝聞は当時の僕にもたくさん届いていたが、小説のなかで主人公にまつわる重要な要素のひとつとしていま読むと、そこには単なる伝聞をはるかに越えるリアリティがある。特に物語の前半に、そのような記述が多い。

 架空のウェルズ・シティには、グレート・スモーキーズの山なみをパノラミックに遠望することの出来る高台があり、そこには金持ちたちの住居があるという。そこにくらべると街の中心地は低いところにあり、鉄道の線路を越えるとそのとたんに歩道がなくなったり、道路の舗装が荒れたままになっている、黒人たちの住む区域がある、というようなことは知識としてはとっくに持っているが、小説のなかに読むと、すでに何度も体験したことだが、妙に具体的に迫ってくるものがある。

 鉄道の駅では白人の待合室と黒人のすわるベンチとは、厳しく区別されている。カラード(黒人)を客として受け入れてくれるレストランは、このウェルズ・シティにはない、という記述もある。ウェルズから北へ向かう長距離バスは黒人を乗せない、という白人の台詞がある。警察署のトイレットも白人用と黒人用が区別されていて、黒人用には石鹸もタオルもない。黒人を泊めるホテルはもちろんない。五マイル離れたところに黒人用のモーテルがあるだけだ。「アフター・ユー、サー」(お先にどうぞ)という台詞を僕は久しぶりに見た。活字を目で読んだのだから、見たとしか言いようはないのだが、音声として聞こえたかのような錯覚が、ほんの一瞬、あった。主人公のティブスが、夜中の道路で発見された死体を、警察署の死体置場へ署長とともに見にいく場面で、ティブスが署長にこう言っている。ドアを入るときや廊下を歩いていくときなどに、黒人が白人に向けて、「アフター・ユー、サー」と、かつてはきまり文句のように言っていた。

 人物の台詞ではもちろん、ティブスはニグロと呼ばれているし、地の文でも彼はニグロだ。警察署のトイレットにタオルはないから、「お前が着ているそのシャツの裾を引っぱり出して、それで拭いたらいい。シャツの裾というものはそのためにあるんだ」という台詞をティブスは受けとめる。ティブスにファースト・ネームで名を呼ばれると嫌な気持ちになる、という記述もあるし、このニガーが、と言いかけた人がジス・ニグ…と言って思いとどまり、ジス・パースンと言い直す。真夏の炎天下をスーツ・ケースを持って歩いていたティブスを自分の自動車に乗せるにあたって、きっと汗をかいていて臭いに違いないからと、乗せる前に運転席から後部座席の窓へ腕をのばし、ガラスを下げてから、さあ、乗れ、と言う場面がある。これには、彼には思いのほか臭みはなかった、という注釈がつく。

 主人公のヴァージル・ティブスは大学を出て高度なトレーニングをへた、優秀な刑事であるという設定だ。難しい事件の担当をへて、いまは殺人事件を専門に担当している。夜中のウェルズ・シティの駅で次の日の汽車を待っていた彼は、その夜に起きた殺人事件の容疑者として逮捕連行される。その疑いはすぐに晴れるが、差別意識の権化のような署長は、自らの経験不足を補う策略として、パサディナの警察からティブスを一時的に借り受け、殺人事件の捜査をまかせる。うまくいけばそれは自分の手柄、うまくいかなければすべては黒人刑事のせいに出来る。

 ティブスが刑事としてきわめて優秀であり、人種差別に関しては毅然とした態度を維持し続けるのを見て、助手役を務める警官は少しずつティブスに一目は置くようになる。白人の服を着てなにやってんだ、大学を出たって白にはなれないんだよ、などと言っていた警官は、お前は白人であるべきだった人だよ、とまで言うようになる。初対面のティブスから握手のために手を差しのべられると困る、と思う白人の気持ちの記述がある。その場には他に白人がいるから、自分と黒人が握手するところを見られるのは嫌だ、というわけだ。握手はしないことにきめるから、もしティブスが手を差し出したら、それには気づかないふり、あるいは見えないふりをしよう、などとその人は考えをめぐらせる。ティブスは手を差しのべないので、その人はほっとする。こういう居心地の悪い体験をしている白人を、そのかたわらで見ていて自分もうしろめたく居心地の悪い思いをすることが、セカンダリー・エンバラスメント、と表現されている。煙草を喫っている人の煙を近くにいて吸ってしまうのを、セカンダリー・スモーキングと言っているが、それによく似ていて面白い。

 一九六五年のミステリー小説をいま読んで痛感するのは、アメリカの人たちがいかに田舎者であるか、という事実だ。ここではこれはこうだからと、こうを頑にそして往々にして力づくで守りとおし、他のすべての人たちにもそうするように強制し圧力をかける、というアメリカの人たちの得意技は、いまでもまったく健在ではないか。

 映画は原作を離れてシリーズ化され、シドニー・ポワティエが主演して第三作まで作られた。『続・夜の大捜査線』そして『夜の大捜査線・霧のストレンジャー』だ。出来ばえがいいのは第一作だけで、あとはよろしくないということだ。『夜の大捜査線』はDVDになっているはずだから、手に入れてみよう。当時のアメリカがどのように描かれているか、小説の絵解きとしてぜひ点検しておきたい。写真のなかにヴァージル・ティブス・シリーズが時代順に六冊ある。時代が進むにつれて、ティブスの顔が逞しくハンサムになり、自己主張が強くあらわれているのを見るのは、ペイパーバックの表紙絵の楽しさのひとつだ。手前に横たわっている一冊は僕の勘違いで、ティブスを主人公にしたものではない。

002_32-283_32-img01 (2)

出典:『Free&Easy』2009年3月号


『Free&Easy』 本を読め
2018年3月28日 00:00
サポータ募集中