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昭和二十一年、津々浦々の民主主義

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 昭和二十一年九月号の『映画の友』の表紙は、バーバラ・スタンウィックだった。彼女の顔の部分だけを僕が複写したのが、次の写真だ。バーバラ・スタンウィックのポートレートが、日本の雑誌のページにカラー印刷されるのは、久しぶりのことだろう。十年ぶり、二十年ぶりは言うにおよばず、ひょっとしたら、四十年ぶりくらいにはなるかもしれない。

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 当時の日本全国、津々浦々の書店の店頭に、この表紙の『映画の友』が最新号の雑誌としてならんだ光景を、僕はなんとか思い描こうとする。僕はその頃すでにいたが、書店のある街角の光景を記憶するには、まだ幼すぎた。したがってなにも記憶のなかにはない。

 太平洋でアメリカを相手にした戦争で、日本が大敗北を喫した次の年が昭和二十一年だ。焼け跡からの立ち上がりを始めたばかりの日本の、平凡な日常の光景のなかで、このバーバラ・スタンウィックを表紙にした雑誌が異常に浮き立つことはなく、すっかり溶け込んでいた様子が、想像のなかに見えるような見えないような。

 往年のアメリカの美人女優ぶりのなかに、単なる美人女優だけではないなにかを感じさせるバーバラ・スタンウィックの顔を観察しながら、いまさらのようにつくづくと思うのは、敗戦後の日本に得意の二分法を持ち込んで仕切ったアメリカの、現在までを含めたうえでの、見事と言うほかない成功ぶりだ。

 敗戦までの日本は封建的で野蛮な未開社会、そして戦後はアメリカの統治による民主主義に立つ、進歩と発展の文化的社会。眩くも豊かな極彩色のアメリカ文化を、戦後を生きる日本の人たちに布教した最前線は、続々と公開されたアメリカ映画だった。映画館への入場料として支払う現金は、おそらくなけなしの心もとないものであったはずだが、じつに多くの人たちが先を争ってアメリカ映画を見た。

 なんとも言えずつまらない西部劇をかける二番館、三番館が、平日の昼日中、超満員で驚いたことなら、いまでも僕は記憶している。ぎっしり詰まった大人たちの頭ごしに、インディアンと白人たちとの戦闘とおぼしき場面のスクリーンの上部に写る青い空だけを見ながら、銃声と雄叫びの音声を聴いたっけ。

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出典:『Free&Easy』2002年3月号


2018年1月12日 00:00