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見よ、ポンティアックのGTO!

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 ここにあるのは、一九六七年モデルのポンティアックGTOの、当時の雑誌に掲載された広告だ。ポンティアックのGTOというシリーズは、この年に完成の域に到達した、と僕は思っている。完成したポンティアックGTOの面構えがこれだ。

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 この面を見るたびに、まあ、なんと攻撃的な顔つきであることよ、と僕はつくづく思う。見るたびに同じ感慨がある。なぜこれほどまでに攻撃的な造形の顔になったのか。

 ポンティアックのGTOは、一九六四年に、ポンティアック・ルマンのオプションとしてスタートした。スポーツ・クーペ、ハードトップ、そしてコンヴァーティブルの三種のボディに、オプションとして389のV8をマニュアルの3スピード変速と組み合わせて載せる、というしかけだ。当時としては小ぶりなほうだったボディに、強力なエンジンをオプションで載せた、ガソリン食いのハイ・パフォーマンス・カーだった。

 一九五十年代のなかばまで、ポンティアックは退屈な自動車だった。改革が始められ、まず最初にそれが結実したのは、一九六一年のテンペストだった。これは人気が出てよく売れた。ミッド・プライスのインタミーディエットの時代が来ていた。そしてそれより以前に、ポンティアックはストック・カー・レーシングで、高い実績をあげていた。

 一九六八年のGTOは、ボディの造形がまったく別の質になった。その方向でモデル・チェンジが続いていき、一九七四年でGTOは終わりになった。僕が好きだったGTOは、造形的にはもっともすっきりしている一九六四年の最初のモデルから、ここにある一九六七年のものまでだ。じつに四モデル・イアーズという短さだ。

 一九六七年といえば、アメリカの軍隊はヴェトナムで非武装地帯を爆撃していた。中国の国境から七マイルの、北部ヴェトナムへの爆撃もおこなっていた。戦争はたけなわだった。一九六七年のポンティアックGTOの攻撃的な顔は、単なるアメリカン・マチョをつきつめた造形なのではなく、じつは戦争の顔だったのだろうか。

 日本を相手にアメリカが太平洋で戦争をしていたとき、ポンティアックも軍事生産の一端を担っていた。そのことを人々に伝えて愛国心の発露としている、当時の雑誌広告をひとつ、僕は探し出した。ボディ・コピーの文章の調子が、GTOの広告とまったくおなじである事実に、僕はあらたな感慨を覚えている。

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出典:『Free&Easy』2001年12月号


2018年1月5日 00:00