アイキャッチ画像

僕がデソートを停めた場所

縦書きで読む

Share on LinkedIn
LINEで送る
Pocket

 デソートという名の自動車が、かつてアメリカにあった。ここにあるのはそのデソートのおそらくは一九三九年あるいは一九四十年の雑誌に掲載された広告の、アートワークの部分だけだ。

desoto_01

 どれもみな絵だから、誇張も美化も思いのままだ。しかし、この頃のアメリカにこのような自動車が存在していた事実は、変えようがない。こういうかたちをした、このとおりの雰囲気を持ったデソートの乗用車は、この時代のアメリカのごく一般的な現実だった。

 その現実を雑誌のページで広告するために、絵が用いられた。広告ページにカラー写真が普通のこととして使用されたのは、戦後になってからだった。広告の主題であるデソートは現実なのだから、こんなふうに描かれているデソートのある光景も、現実をほんの少しだけ絵画的に演出すれば、それでよかった。広告の絵のなかにある光景は、すべてが現実だった。すべてリアルだった。

 当時の日本はアメリカとイギリスとの戦争のために、国内の生活のあらゆる局面に、限度いっぱいの統制をかけていた。「贅沢は敵だ」というコピーが日本国のテーマだった。砂糖やマッチが日本全国で切符制による配給になった。それでいて、紀元二千六百年の祝賀大会が盛んにおこなわれていた。その日本の庶民がこのデソートの広告を見たら、これはなんという夢物語であることか、と思ったはずだ。これを見ても、なんのことだか理解できなかった、という可能性も大きい。

desoto_02

 デソートの新型乗用車をめぐるこのような広告が、夢ではなく単なる現実だったという事実は、すさまじいまでの徹底した科学的なリアリズムが、アメリカの底力として存分に成長していた事実を、悠々と語っている。

 そのアメリカに対して日本は、なにするものぞ、撃ちてし止まむ、などと主観のかぎりをつくしていた。主観とはもっとも儚い種類の夢だ、いちばん脆弱な希望的願望だ。

 知らない人がたくさんいるはずだからついでに書いておくと、次の年、一九四一年には、日本はアメリカとイギリスに宣戦布告をし、戦争を始めた。そしてその年のうちに、グアム島や香港のぜんたいを、日本は占領した。夢はこの頃もっとも深かった。その夢がどう終わったかについても、知らない人は多い。知らないとは、いまも夢のなかにいるということだ。

出典:『Free&Easy』2000年6月


2017年12月4日 00:00