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ヴァーガス・ガールという、架空の女性たち

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 ヴァーガス・ガールという、架空の美しい女性について書くことにしよう。

 ヴァーガスは、VARGASとつづる。ヴァーガス・ガールとして広く知られている一連の美人画を描いた画家の名前だ。フル・ネームは、アルベルト・ヴァーガスという。ペルーで生まれて少年時代はそこで育ったというから、スペイン系の人なのだろう。

 いろんなところで、ヴァーガス・ガールを見ているはずだ。数年まえまでは、本国版の月刊『プレイボーイ』誌にアルベルト・ヴァーガスは自分だけの一ページのスペースを持っていて、毎月そのページにヴァーガス・ガールを登場させていた。アルベルトご本人はまだ健在らしいが、ぼくの手もとに何冊かある最近の『プレイボーイ』誌のどれを見ても、ヴァーガス・ガールはのっていない。

 プレイング・カードの裏に描いてあるスーパー・リアリズムふうのヌードないしはセミ・ヌードの美人画として、ヴァーガス・ガールに接したことのある人たちもきっと多いだろう。ヴァーガス・プレイング・カードとして、いまでもアメリカで市場に出ていると思う。ぼくもかつて持っていた。グリーティング・カードにもなっているかもしれない。アメリカのいろんな雑誌で、あるいは古いポスターのリプロダクションで、ヴァーガスの美人画をかならず一度や二度は見てるはずだし、一九四〇年代の『エスクワイア』誌には、ヴァーガスの描いたグラマラスな美人たちが、フォールド・アウトでのっていた。

 アルベルト・ヴァーガスの描く美人画は、新しいものではヌードも多いが、主としていわゆる薄物をまとったセミ・ヌードの美人画だ。脚といい腰といい胸といい、男の夢のそのまた夢のように申し分なく成熟したグラマラスな女性の、明るくて健康的で力の強そうな色気ある肢体を、きわめてセクシーなタッチとポーズで、入念をきわめたディテイリングの水彩エアブラシで描ききっている。

 ぼんやりとした視線でちらっと見ただけでは、パターンにはまったセクシーなヌードの美人画だと思ってしまうが、じつはアルベルト・ヴァーガスは、たいへんな力量を持った画家だ。あんまり出来のよくない作品もあるようだが、傑作はほんとうに素晴らしい。ぼくの知るかぎりでは、一九七〇年代のなかばあたりでもまだ彼の絵はそれを見る人に強力な衝撃をあたえていた。アルベルト・ヴァーガスは一八九六年生まれだから、たいへんながい期間にわたって現役でありつづけたのだ。

 グラマラスな女性の肢体を、若く張りつめたすべすべの肌に力点を置いたウォーター・カラーのエアブラシで描く人はたくさんいるし、アルベルト・ヴァーガスのあからさまな亜流も数多い。しかしセクシーな美人画でアルベルトの右に出る人は、まだいない。

 じつはぼくは、幼少のころから、身近な、あるいは遠くの、さまざまな美人から、主として形而上の影響を強く受けてきた。ヴァーガス・ガールは架空の存在だが、アメリカ軍がらみのポスターやカレンダーあるいは映画雑誌の表紙や広告アートなど、身近なもののなかにヴァーガス・ガールはたくさんいた。アルベルト・ヴァーガスの、なん種類かある独特なサインとともに、彼女たちが一様に持っている不思議なセクシーさは、おそらく意識の深いところでぼくに影響をあたえているはずだ。

 アルベルトの描く美人たちは、たしかにセクシーでありエロチックであるけれど、若く美しい女性の色気を、この世ならざるほどに甘く美しく、デリケートで明るく軽やかな高みへと昇華しているようなところが、彼の絵には確実にある。才能のある画家のみが創り出しうる、絵画ならではの世界だろう。

 自分の美人画の片隅に、赤い独特な文字でVARGASと小さくサインするこの画家はいったいどんな人なのだろうかと思いつつも、ながいあいだぼくはアルベルト・ヴァーガスについてなにも知らないままだった。ヒュー・ヘフナーの『プレイボーイ』誌でかつてアート・ディレクターをつとめたリード・オースティンがアルベルト本人の協力を得てつくった『ヴァーガス』という一冊の本を手に入れてはじめて、アルベルト・ヴァーガスという画家が実在すること、そしてその彼についてのあらましを、ぼくは知った。

『ヴァーガス』という本には、アルベルトの美人画が、年代順に百六十点、収録されている。そして、アルベルトの、起伏の多い半生記も、読むことができる。

 アルベルトの父親は、ペルーで写真家として成功をおさめている人だった。ポートレートと風景写真の両方がうまく、たいへんに才能のあった人だったという。幼いアルベルトは父親の写真スタジオで遊び、ネガのリタッチングなどを子供のころから立派にこなしていたという。後年、彼を有名にする水彩エアブラシのルートは、ここにあるわけだ。

 十五歳のとき、アルベルトは、勉強のためにスイスに渡った。スイスにいくまえに立ちよったパリでは、美術館や画廊に日参し、数多くの美しい絵からいろんな衝撃をうけた。『ラ・ヴィ・パリジェンヌ』という大衆雑誌にのっていた美人画から受けた影響は、数多くの衝撃のうちでも最大のものだった。

 スイスで数年すごし、パリ経由でイギリスに渡ろうとしたのだが、第一次大戦下で渡航に制限があり、イギリスへいくことはできなかった。だから、アルベルトは、ペルーへ帰る途中の中継地のつもりで、ニューヨークへいった。

 ニューヨークへ着いた日の、ブロードウェイの正午、十二時に、その後のアルベルトの運命はきまった。お昼の十二時になると、あちこちのオフィスから、若い女性のオフィス・ワーカーたちが続々と外に出てきた。ニューヨークの女性たちは、パリやスイスの女性たちとは、まるっきりちがっていた。ヨーロッパの女性たちは、おとなしくてどことなく抑圧された印象があった。色にたとえれば、くすんだ色だった。若さがなく、明るい華やかさにもとぼしかった。

 ニューヨークの若い女性たちは、ヨーロッパとはまるで反対だった。若く明るく華やかで、自分のぜんたいを抑制なしに外へむけて全面的に主張していた。健康的な躍動感に満ちていた。

 若いアルベルトは、「これだ!」と思った。ヨーロッパで自分の感覚のなかに叩きこんできた美人画の技法で、この素晴らしいアメリカ女性たちの美しさを描こう、と彼は決意したのだ。なんだかとてもよくできた話だが、本当なのだ。

 一九二〇年代のジーグフィルド・フォリーズのポスターやポートレートの仕事をへて、一九四〇年には『エスクワイア』誌と契約を結び、フォールド・アウトのスペースに美人画を毎月のせた。『エスクワイア』は愛国心に満ちた雑誌だったから、第二次大戦にアルベルトの美人画は大きくくいこみ、ヴァーガス・ガールはグレン・ミラーの空軍バンドとならんで、GIたちの最高のお気に入りとなった。

 ハリウッドや広告界を中心に仕事をした一九五〇年代をへて、一九六〇年代には、ヒュー・ヘフナーの『プレイボーイ』に、『エスクワイア』のときとおなじように、セクシーな美人画を提供した。アメリカのウォーターカラリストとして、アルベルトは他の人に真似のできない独特な位置を獲得したとヘフナーは言っているが、そのとおりだとぼくも思う。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『なぜ写真集が好きか』太田出版 1995年

今日の一冊|Alberto Vargas, Reid Austin, Vargas, 1984

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2017年9月18日 00:00
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