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あなたの家の赤い屋根

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 一般常識のテストで正解を取るのは、ひとつに固定された理解のしかたを、自分もまたなぞることだ。ほんとうはなにも知らない人にとっての、そう教えられたからそう答えておくという種類の、まったく形式上の出来事だ。そしてその形式の背後では、じつはなんの理解もなされてはいない。

 そのような一般常識のテストとその解答例では、「戦後」と結び合わされるのは「リンゴの唄」だ。誰もがなぞる固定されたそのような形式のすぐかたわらに、たとえば「愛のスウィング」という「戦後」がある。この歌も、「リンゴの唄」に負けるとも劣らずに、「戦後」だ。「リンゴの唄」よりもはるかに、そうであるかもしれない。たとえば僕の感受性においては、「リンゴの唄」の戦後的雰囲気は、「愛のスウィング」の戦後的雰囲気に、遠くおよばない。

 スウィングは、いま普通に書くなら、スイングだ。英語の綴りのなかにあるWの文字の音を、片仮名によって少なくとも視覚的に表現しようとすると、スイングはスウィングとなる。「屋根が見えます赤い屋根が。あなたのお家は川上よ」という出だしのこの歌を、知っているだろうか。あなたの家が川上なら、私の家は川下だ。「窓を開けましょう白い窓を。私のお家は川下よ」という「愛のスウィング」を、僕は知らなかった。

〈SP復刻盤による懐かしのメロディ〉というCDのシリーズがある。二十一人の歌手それぞれにCDが一枚ずつあり、さらに二枚、オムニバスがある。なんの予備知識もなしに、ある日のこと、僕は池真理子のCDを買い、聴いてみた。池真理子という歌手は、僕が生まれた頃には、すでにスターとして活躍していた人だ。

 アメリカとの戦争に日本が無条件降伏をした年、昭和二十年の十二月に、「愛のスウィング」は録音された。そして次の年の三月に発売された。CDについている解説書によれば、「日本の大衆は老いも若きもこのSP盤を双手をあげて歓迎。大ヒットとなりました」ということだ。たとえば有楽町の人通りの多いところに広告塔というものがあり、その塔の上のスピーカーから、この歌は町をいく人たちに向けて、繰り返し何度も放たれたようだ。その様子は、まさに戦後の東京だったはずだ。

「愛のスウィング」は本当にスイングだ。しかもそれはきちんと日本のものになりきっている。アメリカのものであるはずのスイングを、敗戦のその年に、早くも自分たちのものとしてここまで使うことのできた能力というものに、僕は小さくない驚嘆を覚える。物を作り出すにあたっての、その現場における日本人たちの臨機応変の才能、というものの戦後における文字どおり最初の一例が、この歌のスイングだったのではないか。

 日本の歌謡曲や流行歌への、ジャズからの影響は戦前からある。たとえば伴奏のなかにふと出てくるジャズ的な部分を、これまで日本で作られ歌われた流行歌のなかから拾い出すなら、ほとんど際限なくそれはあるはずだ。日本の都会における、そのときどきの最先端の風俗的な情緒をかもし出す手段として、ジャズは多用された。そしてそのような範囲内で、ジャズは流行歌に影響をあたえた。

 太平洋戦争がおこなわれているあいだ、ジャズは敵性音楽として、日本では厳しく禁止された。ダンス・ホールも閉鎖された。人々が歌うのは軍歌、そしてそれをさまざまに支える国民歌謡であるべし、という試みが国家によって推進された。そして敗戦となり、そのおなじ年に、「愛のスウィング」のような流行歌が作られた。

 過ぎ去った時間のつらなりの底から、ひとつにつながった流れのようなものがおぼろげにせよ立ち上がってくるのを感じ、そのことに感銘を受けつつ、僕は池真理子のCDを聴いた。「愛の散歩」という歌は、たいへんいい。「港は雨」もじつに好ましい。服部良一の曲だ。「星ふる汀」は、ハパ・ハオレのハワイアン・ソングだと言っても通用するだろう。これも良く出来ている。ファルセットとスティール・ギターの、心得たほどの良さは、粋の次元に達している。「春の便り」もいい。「いとし我が子」は『長崎の鐘』という映画のテーマだ。これもすごい。こういう世界を、いまの日本の人たちは完全に忘れている。

「ボタンとリボン」は、戦後に公開されたアメリカの西部劇コメディの主題歌だ。「リンゴの唄」が日本側での戦後の出来事なら、この「ボタンとリボン」はアメリカ側から日本に入ってきた出来事として、対等に対置されて理解されている。池真理子は英語と日本語の両方で歌っている。日本語の歌詞はかなり忠実な翻訳だ。「行きましょあの町、田舎はごめん」というような部分が、すんなりと英語の部分と両立している。

 この歌に続くのは「センチメンタル・ジャーニー」だ。これも敗戦直後の日本にアメリカから入ってきた、忘れることのできない出来事のひとつだ。日本語の歌詞でこの歌が歌われるのを、僕はこのCDで初めて聴いた。その歌詞によるなら、センチメンタル・ジャーニーという言いかたは、日本語では、思い出の旅、涙の旅、涙の旅路、などとなる。ピアノのソロが素晴らしい。

「池のほとりの散歩道」もいい歌だ。そして、これまで僕が挙げてきた良さのすべてをひとつにまとめ上げるのは、「丘の小さな青い屋根」という歌だ。この歌は昭和二十七年、一九五二年の歌であり、解説書によるならこの時期は、敗戦直後に建てられた急造の粗末な家が、次の段階のものへと建て替えられた時期だということだ。

 これまで僕が挙げてきた良さのすべてをひとつにまとめ上げる、とたったいま僕は書いた。まとめ上げられたそのひとつのものとは、なんという純情さであることか、という強い感銘だ。たいへんな純情さが、これらの歌のなかにある。純情さもこれほどまでに度合いが高いと、現在がいかに純情ではないかを示す証拠として、それは機能しえると僕は思う。

 純情さとは、なにか。前方に託した希望を信じて、前進のための積み重ねをすること、というような言いかたを仮にしてみよう。もっと日常的な言いかたをするなら、毎日の生活と仕事を、なんとかまっとうに、堅気にこなしていくことだ。そのことのなかに当時の人たちが見ていた価値の、曇りのほとんどなかった輝かしさ、それが純情さとなって歌に出ている。

 池真理子の歌に則してさらに言い換えるなら、前方に託した希望を信じている状態は、たとえばひとりの若い女性にとっては、恋愛のなかに身を置いている状態でもありえる。希望という価値は、女性の側からの恋愛感情として、いくつものすぐれた歌のなかに歌われている。恋愛とはなにかと言うと、たとえば「池のほとりの散歩道」から例を引くなら、「君を呼び君をしのべば、ああ、ただひとり心は晴れて、夢のような夢のような、若き日のよろこびよ」という価値の共有だ。

 自分が選んだひとりの男と、おなじ方向を見て、対等に前進していくこと。ともに信じて前進していくプロセスのなかに、対等に分かち合う夢を見る。それが恋愛だ。そしてそのような夢とは、丘の上にある青い屋根の小さな家だ。戦後五十数年とは、その夢がいかに無残に裏切られたかの、動かない証拠だ。

 裏切ったのは、絶対会社主義と、それを支え保護した政治だ。会社で働いた五十数年という月日の果てに、大衆は国家によって裏切られた。これからの日々は、その事実が誰の目にもますますはっきり見えていく日々でしかない。これからの日本の大衆の身の上には、ろくなことがないだろう。

底本:『音楽を聴く』東京書籍 一九九八年

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2017年8月23日 00:00
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