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去りにし夢、しのぶ面影

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〈江利チエミのメモリアル・シリーズ〉というCDが、僕の知るかぎりでは九枚ある。そのなかの『艶歌を歌う』と、ついでに『ラテン、ポップスを歌う』の二枚を、ある日の午後、銀座で僕は買ってみた。江利チエミという名前は、僕だってよく知っている。僕が小学校の高学年だったか、あるいは中学生になったばかりの頃、彼女の名は勢いよく急速に、日本全国に広がった。

 しかし彼女の歌をきちんと聴いたことは、一度もなかった。聴いておくといい、と僕はいま頃になって思った。「テネシー・ワルツ」を日本で歌ってヒットさせた歌手、というしばしばなされる言いかたのとおりに、僕は彼女の「テネシー・ワルツ」をまず最初に聴いてみた。聴きながら、そして聴いたあと、感慨的な思索、あるいは思索的な感慨のなかを、僕は歩んだ。

「テネシー・ワルツ」は恋人を友人に取られた女性の歌だ。恋人とテネシー・ワルツを踊っていて、友人に恋人を紹介したらたちまち友人に恋人を取られてしまい、そのふたりがおなじワルツを踊る様子を、自分はひとりで見なくてはならなかった、という過去の出来事が歌われている。

 ともにワルツを踊っていたときの自分が感じていた、恋人という存在の実感や体感というものが、「テネシー・ワルツ」という物語の前提となっている。その恋人を友人に取られた自分はいまも自分であり、おなじワルツが聞こえてはいるが、恋人はもういない。ぽっかりと空いた大きな欠落感が、自分の気持ちのなかに、そして肉体のなかに、生まれている。その欠落感の歌が、「テネシー・ワルツ」だ。

 江利チエミはこの歌を英語と日本語で歌っている。聴いていてまず僕が受けとめる感慨は、過ぎ去って二度と戻らない時代というもの、そしてその時代のなかで江利チエミのような歌手が必要とされた、その必要度の強さや高さをめぐってのものだ。

 アメリカのポピュラー・ソングを、おなじ一曲のなかで英語と日本語で歌う試みは、敗戦直後にすでになされていた。池真理子の「ボタンとリボン」や「センチメンタル・ジャーニー」は、その一例だ。おなじ試みは戦前にもあった。だからそれはけっして珍しいことではなかった。

 江利チエミが「テネシー・ワルツ」を歌ったとき、日本では高度経済成長はすでに始まっていた。グラフに描かれる上昇カーヴは、かなり高いところまで上昇していた。戦後という時代は敗戦直後の時期を抜け出し、確実に次の時代に入っていた。物質的には格段に豊かになり、そのことの招いた事態のひとつとして、アメリカは日本にとって近い存在となった。経済の間口は広がっていくいっぽうだった。

 そのようなときそこにいた日本の若い人たちは、敗戦直後の日本で若い人たちであった層よりも、十数歳は年下の人たちだった。経済は成長していく。身のまわりは豊かになり、社会の質は変化していく。自分たちのなかから出てきた、等身大のスターを、彼ら若い人たちは要求した。等身大とは、自分たちが安心できる日本人でありつつ、気取ったり日本から距離を取ろうとはしない、それでいてほどよくポップスもこなすことのできる、明るくて若い才能ということだ。そしてその才能は江利チエミだった。

 自分たちが完全に安心できるほどにその才能は日本人でなくてはいけないし、同時に、ほどよく洋もののセンスも発揮する能力がなくてはいけない。このふたつの要素のさじ加減が難しい。難しさをうまく超えた一例が、日本版の「テネシー・ワルツ」だ。英語の部分に続いて、突然に日本語となる。異なったふたつの世界が接する面の、その時代における成立の様子、それが日本での「テネシー・ワルツ」だろう。「去りにし夢、あのテネシー・ワルツ、懐かし愛の歌」という日本語の部分は、チエミと同世代の人たちならおそらくいまも口をついて出てくるはずの、「アイ・ワズ・ワルツィング・ウィズ・マイ・ダーリン」という英語の部分と、対等に対をなしている。

「カモナ・マイ・ハウス」、「私のママが言いました、男はみんな狼よ」という「ガイ・イズ・ア・ガイ」、「ウスクダラ」、「ウェディング・ベルが盗まれた」などを歌ったチエミに、彼女の時代が要求した日本とポップスの同居にかかわる微妙なバランスは、絶対条件だった。しかし、そのような時代は急速に過ぎ去った。チエミという才能は、少なくともその領域では、必要とされなくなった。

 英語の歌詞のなかにはさみこむ、かなり忠実に日本語訳された歌詞というものが、消えていった。世のなかはさらに豊かになり、アメリカはイメージとしてもっと近くなった。日本もアメリカもおなじだと錯覚するほどに豊かになった時代が来ると、日本における勘違いにもとづくアメリカごっこが流行した。英語の歌は英語のまま歌われた。日本語の歌のなかに、片言の英語が合いの手のように入るのが、通例となった。

 いまでも英語は遠いままだ。しかし、それは特別なものではない。アイ・キャッチャーとしての効果は失われていず、日本の歌のタイトルや歌詞のなかに、片言の英語は多用され続けている。そのような時代のなかで江利チエミの英語の歌を聴くと、このような歌いかたによる歌はとっくにその役目を終わったのだ、と僕は思う。

 鞍馬天狗のお兄ちゃんである佐藤八郎さんが、〈江利チエミのメモリアル・シリーズ〉のなかの一枚、一九六一年にサンケイ・ホールでデルタ・リズム・ボーイズと共演したライヴを、テープにダヴィングして僕に送ってくれた。チエミのうしろで揃いのはっぴを着たデルタ・リズム・ボーイズが、「ソーラン節」を歌っている。バスのリー・ゲインズの「ヤーレン、ソーラン、ソーラン」というような歌声に、いま意味を見つけるのは難しい。それとおなじように、チエミの英語の歌にも、意味はもはやほとんどない。

 日本語の音は、子音と母音の組み合わせがひとつの単位となっている。ひとつの子音には、かならずひとつの母音がつく。そのような単位で、言葉の音が、日本語では作られていく。言葉とは、思考であり感情だ。それは心だ。心とは、日本語では、子音と母音の離れることない結合の、つらなりだ。たとえばブルースは、日本語ではBU・RU・U・SUとなる。こういう音のつらなりのなかに、日本の思考も感情もすべてがある。

 英語における音のつらなりかたは、このような日本語とは大きく異なっている。まったく別ものと言っていい。そのまったく別世界の音のつらなりが、主体と直接にかかわる動詞によって、前へ前へと推進されていく。主体とはたとえば自分のことをIと呼ぶ人であり、その人が動詞を引き受けることによって行動し、行動はそのままその人の責任となっていく。アメリカにおける「テネシー・ワルツ」に則して言うなら、Iという女性主人公が歌詞のなかで使ういくつかの動詞が、「テネシー・ワルツ」という物語となっている。動詞による主体の前進が、音のつらなりとなって表現されている。

 英語の歌は、江利チエミにとっては、借りものだった。しかし彼女自身は借りものではない。借りものを取りはずすと、そこには彼女自身がいる。『艶歌を歌う』というCDを聴くといい。「ここに幸あり」「女の意地」「アカシアの雨が止む時」「思案橋ブルース」「女心の歌」「港町ブルース」「まつのき小唄」「旅姿三人男」など、良く出来た歌を彼女は魅力的に歌っている。このくらい歌えるなら、彼女が必要とされた時は過ぎ去った、とはとても言えない。彼女はこの世の人ではないが、残された歌声は立派な現役だ。

 メモリアル・シリーズのCDのなかには、『民謡・俗曲を歌う』というのもあることを、僕は思い出した。期待できるものを感じた僕は、それを買って聴いてみた。江利チエミの良さがもっとも出ているのはこの世界ではないか、と僕は思った。その思いはほぼ結論だ。演奏は伝統的なものではなく、ジャズ的な処理だ。だからどうというほどでもないが、そこで江利チエミは自分らしさをなんの無理もなく最高度に発揮し、幸せそうに歌っている。

 聴いていると、ひとりの日本女性が浮かんでくる。その女性は、体の容積というものを持っている。その容積の内部には骨格があり、内臓がぎっしりと詰まってそれぞれ複雑に機能し、血管には温度のある血液が流れ、張りめぐらされた神経の経路が情報を運んでいる。

 体つき、顔立ち、気質、もののとらえかた、反応のしかた、考える筋道、感情の出しかたなど、ありとあらゆる複雑なものが、ひとつにからみ合って、彼女というひとりの存在のなかにある。そしてそれらすべてのものを、彼女は歌手として、歌声に託さなくてはいけない。託したそれらのものと、それを引き受けた声の質、声の出しかた、言葉の音の作りかた、気持ちのこめかたなどが、おなじ次元でなんの無理もなく完全に溶け合ってひとつになるとき、彼女はもっとも彼女らしい彼女となるのではないか。いちばんいいチエミは、じつは「テネシー・ワルツ」などまったく必要としない世界のなかにあった。

底本:『音楽を聴く』東京書籍 一九九八年


『音楽を聴く』 彼女 戦後 音楽
2017年8月19日 00:00
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