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競争の時代とはなにか

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 ある日いきなり、日本は競争の時代に入った。この数年という、ごく最近の出来事だ。厳しい競争そのものである市場原理のなかで鍛えられ、そこで常に競争にさらされ、生き残る人が残っていく、勝つ人が勝つ。競争は国内だけではない。国際競争力を身につけた企業が、そうではない企業とのあいだに格差をつけ続ける。これからは競争しかない。さあ、誰もが競争だ、ということになった。

 しかし、日本には長いあいだ、競争は存在しなかった。いまの日本で機能している産業や経済のシステムは、中国に軍隊を送って戦争を始めた時代に作り上げられたものだ。軍事国家を支え、その国家が目的とすることを遂行するためのものだから、国ぜんたいがひとつの組織になったのと等しい。そこには国家的な強制はいくらでもあったが、競争を真の意味で可能にするような自由な枠組みはどこにもなかった。戦争は太平洋そして東南アジアへと拡大され、大敗戦によって終わった。

 戦後という時代は戦前や戦中から断絶された、新しい時代として始まったと言われている。GHQの主導によって確かにさまざまな改革がなされた。農地改革はその最たるものだった。この改革がなければ戦後日本の中間層は生まれず、したがって経済復興を担った企業群の豊富な労働力へと、彼らが動員されることもなかったはずだから。大量に存在する優秀な労働力を、いかに安定した雇用のなかに吸収し、それを破綻させることなく維持し拡大させていくか、というところから日本の戦後は始まった。

 労働力を大量に吸収した官業は、なにはともあれ安定した雇用と定期的で一定した収入のある層という、社会の土台をかたち作った。林立していくいっぽうの民間の企業には、波瀾を可能なかぎり少なくする工夫としての、政府による管理網が手厚くかぶせられた。銀行の金利が貸し出しも預金もおなじだった事実が、銀行業界の問題として論じられたりしているけれど、目的は企業の保護にあった。終身雇用そして賃金や昇進の年功序列なども、企業の保護という、わかりやすさにおいてはおなじ次元にあったものだ。国家によってさまざまに保護され規制された経済システムは、政府による社会政策だったと言っていい。独占禁止法の適用をごく初期の段階で大幅に緩和したり、銀行には適用しなかったりという操作など、その典型だろう。

 このようにして既得権益を保護され、したがって競争にさらされることのないシステムが、日本ぜんたいを覆うまでになった。そしてそのシステムのなかでおこなわれた競争とは、同質な枠の内部での、過当的な競争だった。このような競争が生産力を拡大し経済力を高めていった時代が、つい昨日までは確かに日本のものだったのだが、そのような昨日はもはやどこにもなく、いまは競争の時代なのだという。戦前・戦中に作られたシステムに支えられ、戦後の半世紀以上をこんなふうに過ごして来た日本は、ついに限界に突き当たり、急速に破綻を迎えている。この事実がかたちを変えてあらわれたもののひとつが、競争の時代というものだ。

 競争してどうするのか。いったいなにをめぐって、どのように競争するのか。たくさん作る競争に明け、たくさん売る競争に暮れるだけなのか。そうであるなら、これまでとなにひとつ変わらないではないか。新しい時代を支える社会システムの、ぜんたいを作りなおすための競争でなければ意味はない。競争とは、会社組織をどうするこうするといった問題ではない。競争とは個人の能力をいかに開発し、それをいかに発揮させていくかという、これまでの枠を取り払ったあとにある自由の問題なのだが、会社主義にどっぷりとつかった半世紀のつけは、個人をどこまでも縛り続けるという意味において、重く大きい。

 たとえば規制緩和と言うけれど、規制を手にしたままその緩和を裁量したり調整したりするのは国家だから、緩和によって国家の介入はさらに強化される方向へと向かう場合が多い。自由の問題なのだから、規制の主体も緩和というさじ加減のようなものも、ともに必要ない。必要なのは規制やその緩和を仕事にしている人たちの組織の解体だけだ。個人の能力とその評価、売りものになる自分、自分の市場価値、といったことが競争の時代の始まりのなかでとりざたされ、それは短絡的に成果主義につながったりしているが、ここでもそれは採用や処遇、配置、賃金など、企業が組織の論理によって社員をどうにでも扱えるようにする方向へと、いまの日本では向かっている。人材が育っていくために欠かせない、開かれた自由というものが、そこにはまったくない。こうして閉ざされたまま、さらに十年、二十年と、日本は過去の残照という低迷の底にとどまるのか。

初出・底本:『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHK出版 二〇〇四年

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『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』 システム 戦後 競争 規制緩和
2017年8月3日 00:00
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