アイキャッチ画像

団塊の世代という戦後日本

縦書きで読む

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

「あと数年で団塊の世代が日本の会社世界の現場を去っていく。いまも企業に根強く残る男社会と、それにつきもののセクハラとが、団塊の世代とともに消えていく」という趣旨の文章を、二〇〇二年の確か後半、新聞の短い記事のなかで僕は読んだ。その記事をまとめる結論のようなひと言として、この文章が記事の最後に置かれていた。鋭い指摘ではないか。日本の企業世界から男社会とセクハラが消えるとは、戦後の日本を支えたサラリーマンという人たちとその生きかた、そしてそれに付帯するほとんどすべてのものが、終わりを迎えることを意味する。団塊の世代が定年で現役を退く頃に、サラリーマンの日本の終わりが本格的に始まるのだ。

 団塊の世代、というような言いかたのなかでの世代という言葉は、厳密にジェネレーションを意味するものではない。強い特徴を共通して持った、狭い年齢幅でひとつにくくることの可能な、目につきやすいひとかたまりの、しかも大量にいる人たち、というほどの意味だ。一九四七年、四八年、そして四九年の三年間に生まれた人たちが団塊の世代の中核を構成していて、その数は七百万に達するという数字がある。もっとも広くとらえた場合の団塊の世代は、一九三六年生まれから一九五五年生まれまでだという。

 一九四七年から四九年にかけての日本はまだ占領下にあった。戦後の混乱と低迷が続くなかを、次の時代である一九五〇年代に向けて、まだゆるやかなものではあったが、ぜんたいとして登り坂にさしかかってはいた。戦前・戦中の軍国国家とその戦争の暗雲が晴れて、さあこれからは民主主義だ復興だとなり、前方に向けて芽生えた希望の証として産み落とされたのが、団塊の世代だととらえればいい。戦前・戦中と表裏一体の関係のなかでの、戦後における最初の大量の出生者たちだ。

 一九六〇年代の前半を彼らは高校生として過ごしている。高度経済成長期の前半が思春期だ。そして大学へ進学した人たちにとっては、一九六〇年代の後半が青春期となった。数が多いから高校や大学に入るための受験勉強はたいへんだったろうと思われがちだが、これだけ数があると国家のほうでその受け入れ対策を講じてしまう。それにこの当時の日本では、大学への進学率は二十パーセントに達していなかった。過酷な受験戦争を体験したのは、団塊の世代の次の人たちからだ。

 高卒・大卒のいずれであっても、高度経済成長という時代背景のおかげで、企業への就職は容易であったろうと推測出来る。一九六〇年代が終わる頃から、彼らはサラリーマン生活を開始していった。人海戦術という戦後システムの最期の部分を引き受けた頭数であったから、たまたま入社して社員となった会社の内部でしか通用しない人材にとどまることを前提とした、典型的なサラリーマン生活だ。石油危機とそのあとに来た低成長の時代は、サラリーマンの歩む道をかならずしも平坦なものとはしなかったはずだが、このことは逆に、社内でのやりがいあるいは頑張ることへの動機づけとして、機能したのではなかったか。おたがいに小さな差をつけ合う過当競争の渦中にあることそのものが、こうして彼らの人生となった。

 戦後日本を総決算するかのように、急激なバブルが始まったのが一九八七年のことだった。一九四七年生まれという団塊の世代の先導グループは、このときじつに四十歳ちょうどだった。いま振り返るときまり悪さの極みであるような、ニュー・ファミリーという呼称で煽られたのが彼ら団塊の世代であり、きまり悪さとしてはさらにその上をいった一億総中流という人たちも、その中核を構成したのは団塊の世代だ。

 高度経済成長の時代に思春期と青春期を送り、企業に雇用される人となってそれなりに苦労するうちに、バブルが目の前に立ち上がった。そして彼らはそのなかにからめ取られ、すくい上げられた。これこそが俺たちの人生さ、と彼らはそのとき思ったのではなかったか。このままいけば一億総中流のなかから中の上へと上昇していけるのだと、彼らに確信させたはずのバブルは、しかし五年ほどでついえた。四十代の後半にバブルが崩壊し、そこからの十年は「失われた十年」であり、いま五十代なかばから後半の彼らは、その多くが単なる過剰雇用の高年齢ホワイトカラー層なのではないか。

 高度経済成長というメイン・テーマ、そしてその変奏としてのエンド・テーマであるバブル。このふたつに支えられた彼らは、見事に戦後日本を体現している。定年をまっとうして規定の退職金を手にしたとして、「失われた十年」はさらに十五年、二十年と延長されていく。年金が支給されるはずの六十五歳まで、どうやって生活を維持していくか。そして六十五歳の暁に、年金制度は破綻せずに存続しているかどうか。戦後日本の体現者としての彼らは、戦後日本のシステムの最後の部分である年金の、文字どおり最後の姿つまり崩壊を、ともに生きることになるのではないか。

 団塊の世代の大量出生が、戦前・戦中という過去と表裏一体のものであったのとおなじように、彼らが乗って運ばれていった戦後日本のシステムの重要な部分はすべて、戦前・戦中へとさかのぼることが出来る。経済のいっぽうの柱であった戦後の金融システムは、驚くべきことに戦前・戦中に採用されたシステムとおなじままだった。

 過去へとたどっていく作業は際限がないけれど、重要なものについては書いておかなくてはいけない。企業に雇用された彼らが受け取った賃金つまり給料は、戦時下の勤労者をひとくくりにした強力なシステムが、戦後になって作られたシステムによって、さらに補強されたものであった事実には興味深いものがある。社員の雇用の安定と、彼らの給料の定期的になされる一律の上昇、という戦後システムだ。これがあればこその、ニュー・ファミリー、そして一億総中流だった。

 給料の上昇は価格の上昇を充分にのみこんで埋め合わせた。次々に登場する数多くの新製品は、それまでどこにもなかった新しい生活のスタイルや内容を生み出した。それらをひとつひとつ自分の日常のなかに定着させては確認していく営みは、彼らの気持ちをずいぶんと高揚させたはずだ。そこにバブルが重なった。そしてそのバブルは一九九七年には崩壊していた。彼らにとってバブルの崩壊とは、雇用に関して長期にわたって続く不安が、人生の土台になったということを意味した。

 この団塊の世代が、サラリーマンとしての現役を退いたらそのとたんに、戦後日本というシステムのすべてが終わるわけではない。彼らが消えたあとも、一年ごとに人は入れ替わり続ける。それとともにシステムも、それまでとはまったく別なものへと少しずつ変わっていく。完全に入れ替わり、完全に別なものとなるまでに、ワン・ジェネレーションつまり三十年は必要だろう。三十年が経過してなお、戦後日本が清算されていないようであれば、終わるのは戦後日本ではなく日本そのものであるはずだ。

底本:『自分と自分以外──戦後60年と今』NHKブックス 二〇〇四年

タグで読む09▼|戦後

8月_タグで読む_バナー画像


『自分と自分以外ー戦後60年と今』 サラリーマン 会社 団塊の世代 戦後 高度経済成長
2017年8月2日 00:00
サポータ募集中