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モノクロームはニューヨークの実力

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 アンドリアス・フェイニンガーが自ら編集した写真集『一九四〇年代のニューヨーク』は、ぼくにとっては一機の非常にすぐれた出来ばえのタイム・マシーンだ。一九四〇年代という時間はとっくに過ぎ去ってもうないし、現在のニューヨークには主として建物の片隅や一部分に一九四〇年代がすこし残っているだけであり、どこをさがしても一九四〇年代のニューヨークはすでにない。

 しかし、写真は、二次元ながら昔をそのままいつでも目の前に見せてくれる。フェイニンガーのような写真家のモノクロームの写真は、それを見る人の気持ちのなかではもののみごとに三次元になりうるものであり、彼の写真集『一九四〇年代のニューヨーク』は、このような意味で、一九四〇年代のニューヨークへいつでも帰っていけるタイム・マシーンなのだ。

 雑誌『ライフ』のスタッフ・フォトグラファーであったアンドリアス・フェイニンガーが自ら一冊にまとめたこの写真集には、一九四〇年代のニューヨークをとらえた百六十二点のモノクロームの写真が収録してある。ニューヨークを被写体にした写真集は無数にちかくあるが、フェイニンガーのこの作品集は、その無数にある写真集のなかでも頂点に立つ数冊のうちの一冊であることはまちがいなく、写真によるニューヨークのお勉強にはぜったいに欠かすことのできない名作だ。この一冊をタイム・マシーンにして一九四〇年代のニューヨークへ帰り、そこをとっかかりにしてニューヨークを知っていくのは、ニューヨークを知る方法としてたいへんに正解だとぼくは思う。

 昔からのニューヨークを自ら体験して知っている本当のニューヨーカーたちは、一九四〇年代を「ザ・グッド・オールド・デイズ」と呼んでいる。過ぎ去った日々はどの部分をつまみ出して回想しても古き佳き日々となりがちなのだが、ニューヨークにとっての一九四〇年代は、本当に、佳き日々だった。当時のニューヨーク、つまりマンハッタンの内部にいて、毎日そのマンハッタンを体験して生きていた人たちにとって、一九四〇年代のニューヨークは、たいへんいいニューヨークだったのだ。

 アメリカ史的に見ると、一九四〇年代のニューヨークが「ザ・グッド・オールド・デイズ」であったとは、信じがたい。一九三〇年代の経済大混乱はまだはっきりと尾を引いていたし、第二次大戦への参戦によって新たな混乱や悲しみが大きくひきおこされた。戦争が終わると、戦後の新しい大変動に対する適応をニューヨーカーたちは強いられた。一九四〇年代はじつにたいへんな十年間だったのだが、たとえばニューヨークの内部からその十年間をながめると、きわめてノーマルな表面におおわれた内部において、次の輝かしい時代への推移が、社会的な混乱なしに静かに進展していた時代として、とらえなおすことができるようだ。したがって、一九四〇年代の十年間は、ニューヨーカーたちにとっては、「ザ・グッド・オールド・デイズ」なのだ。

 当時のニューヨークは、ようするに、あらゆることの中心だった。ビジネス、そしてそのビジネスを支える働き手たちはニューヨークに集中し、全長七百七十一マイルにわたる良港としてのウォーター・フロントを持ったポート・タウン(港の町)でもあるニューヨークは、海を介したあらゆる商業活動の中心地点であった。そして当時のニューヨークは、周辺に向かって広がっていく時代ではなく、マンハッタンの岩盤の上にスカイ・スクレイパーを次々に建て、上へ上へとのびていく時代だった。このスカイ・スクレイパーがシンボリックな存在となっていたように、自分の才能に自信を持っている人や人生に野心を抱いているあらゆる人たちにとって、ニューヨークは、強大な吸引力を発揮していた。ニューヨークで成功をおさめることは、世界を自分の両腕に抱くことだった。ニューヨークは、ありとあらゆる意味で、ありとあらゆることの、中心だった。

 フェイニンガーがモノクロームの写真によってとらえたこの時代のニューヨークは、たとえば現在のニューヨークと見くらべると、タイム・マシーンでいってみたくなるまったく別の世界だ。一九四〇年代のニューヨークにフェイニンガーの写真によってしばし遊ぶとき、現在のニューヨークはいっさい思いうかべないほうがいいようだ。

 一九四〇年代のマンハッタンの街なみや道路は、たいへんにきれいで落ち着いている。常にほどよくゆとりを持っていることから来る品の良さというか、人前に出してなんら恥ずかしくないというような、そんな雰囲気が、たとえばフォーティ・セカンド・ストリートのバーレスク・ハウスや映画劇場にすら、はっきりと漂っている。ヴィッキー・ウェルズとかノエル・カーターとかの、いまとなってはどこへどう消えたのかもさだかではない、当時の脚線美や胸線美の美女たちが出演しているバーレスク・ハウスは、全席一律に三十五セントであり、「今日は皆様、いらっしゃいませ」と看板が出ているティケット・ウィンドーあたりは、抑制がきいてシックであるとさえ言っていいほどに落ち着いている。

 チャールズ・ロートン。ヴィヴィアン・リー。ベット・デイヴィス。レスリー・ハワード。ボリス・カーロフ。ジェイムズ・キャグニー。ミッキー・ルーニー。四〇年代の映画スターたちの映画が上映され、ステージ・ショーにはジミー・ランスフォードが出演していたタイムズ・スクエアの娯楽的な一角は、歩道にゴミがまったくと言っていいほど見あたらず、トラッシュ・バスケットは三分の一も埋まっていない。現在のコンパクト・カーほどのサイズの、見るからに四〇年代の造型を持った自動車は路面電車にライト・オブ・ウェイをゆずり、男たちはほとんど帽子をかむっている。大人の女性たちの足もとは、どの人もみな、ストッキングにつつまれた足がきっちりとパンプスにおさまっている。

 エル(高架鉄道)をとらえた写真が十四点ある。ぼくにとっていまはないけれどもぜひとも乗ってみたい鉄道の三位あるいは二位にくるこの鉄道は写真家にとっては絶好の被写体だろう。電車のなかからのショットがひとつでも加わっていれば申し分ないのだが、フェイニンガーのエルのとらえ方は、やはりみごとだ。一点ずつ、じっくりとディテールを見ていくと、半世紀前という時制においてこれこそまさにアメリカではないだろうかと、不覚にも匂いや音まで想像のなかで感じてしまうほどに、フェイニンガーの写真は想像力を刺激し、そそってくれる。見飽きることのないディテールのひとつひとつ、そしてその数多くのディテールの生きた統合体であるぜんたいは、どう考えなおしてもやはりタイム・マシーンの到着目的地だ。

 エルの写真が十四点つづくそのすぐ前が、コニー・アイランドの写真だ。写真は三点ある。一九四九年七月四日に俯瞰でとらえたコニー・アイランドのボード・ウォークと砂浜、そしてその上の数多くの人たちのショットに、内部では次の時代への大変動を体験しつつ、おもてむきはゆとりのある落ち着いたありさまを保っていた一九四〇年代を、はっきりと感じる。進展しつつあった大変動が、混乱した騒々しい軋轢となって表面に出て来ることがなかったのは、バランスのとれた実力のせいだったにちがいない。この実力ゆえに、四〇年代は佳き日々たりえたのだ。

 マンハッタンのスカイラインをとらえた数点のショットからはじまり、ポート・タウンとしてのニューヨークへつなぎ、やがてブルックリン橋が登場するというような正しい展開を持った『一九四〇年代のニューヨーク』は、くりかえし乗って飽きることのない優秀なタイム・マシーンだ。

▶︎New York in the Forties(1978), Andreas Feininger,Dover Publications, Inc.

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『なぜ写真集が好きか』太田出版 1995年

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2017年7月26日 00:00
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