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ドライ・マティニが口をきく

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 仕事をおえて、ビルから外へ出てくる。

 まだ、明るい。

 夏は、これだから、いい。

 仕事を終ってもまだ明るいという、夏の特性を、しっかり楽しまなくてはいけない、と自分自身に言って聞かせよう。

 夏の午後おそくから、夕方、暗くなるまでの、自分に許されている自由の量がすこしだけ増えたように思えるあの独特の時間に、不思議とよく似合う女性というものが、世の中には、いるのだ。

 笑うとき、あるいはしゃべるとき、左右がいびつにゆがんだりしない唇。

 きれいに乾いた笑い声。

 さらさらの髪。

 テンポをくずさない冗談のやりとり。

 これこそ、スカートという呼び名にふさわしい、と言っていいようなスカート。

 歩くときまっすぐにのびるひざ。

 全身にいきわたったカルシウムやレシチン。

 強靭きょうじんな求心性をそなえた自我。

 会社で仕事をしている彼女なら、社内で最高の肺活量。ほんのちょっとトレーニングするだけで、達成可能だ。

 きわめて柔軟な股関節こかんせつ

 眼鏡をかけると、すさまじい色気。

 うまくなくてもいいから、きちんとした字。

 自分に対して有効に作用している向上心。

 ハートブレイクなんて、へっちゃら。

 煙草を吸わない。

 というふうに、そんな女性の条件をこまかくあげていくと、女々めめしい完全主義者のようになるからこのへんでやめておくとして、ようするに、ぼくがふと夢に見る夢として、こんな女性はたしかに存在するわけであり、彼女は夏の午後おそくから夕方の暗くなるまでの時間に、きっと似合う。

 彼女とともに楽しむことがらにはいろいろありうると思うが、

「明るいうちに、強い酒を一杯だけ、飲もう」

 と誘って、そのとおりにするというのは、どうだろう。

 自分ももちろん飲んでいいのだが、基本的な感じとしては、明るいうちの一杯だけの酒を飲む彼女を楽しむ、というふうでありたい。

 彼女は、きっと、よろこんでつきあってくれると思う。

 どんな酒がいいだろうか。

 水割り?

 まさか。

 結局は管理社会の底辺ちかくをいずる人たちが夜ふけてもしがみつくまぼろしのスタミナ・ドリンクだ、これは。

 ビール?

 歩きながら缶ビール一本、というのはいいかもしれないが、彼女が手に持ち唇にはこぶその缶ビールが完全にさまになるためには、たとえば東京なら東京を、根底から造りなおさなくてはいけない。

 ワイン?

 やめとこう。

 なにか強い酒を、小さな小さなグラスに、ほんとに一杯だけ。

 たとえば、ウオッカかな。

 いいかもしれない。

 ウオッカを、ドル・ハウス(人形の家)のダイニング・テーブルに置いてあるウォーター・ゴブレットのようなグラスに注ぎ、かすかに渋めにつくったアイス・ティをチェイサーにして、飲む。アイス・ティに砂糖なんか入れないのは、言うまでもないと思う。

 ウオッカ独特の甘さに、アイス・ティの味がよく釣り合う。

 ウオッカが出たついでに、わきのほうからせめていくと、色のついていない、見ただけでは水と区別のつかない酒、あるいはそのような酒をベースにしたものがいい。

 というふうに考えてくると、どうしてもカクテルが登場してくる。コクテイル、だ。

「ドライ・マティニが口をきく」

 という文句が、ぼくは好きだ。

 かつてかなり長い期間にわたって、ひとりのアメリカ女性といっしょに仕事をしたことがある。仕事が午後おそく終ると、よく酒を飲んだ。いまにして思えば、この酒が、いつも一杯だけの素晴らしい酒だった。

 カクテル・ラウンジで彼女とさしむかいとなり、ぼくは彼女のまるでほんとに噓のようなスカイ・ブルーの瞳を見ながら、言葉をつくして彼女の魅力をたたえ、その魅力にいかにぼくが抽象的に心酔しているかなどを、よく語った。

 五〇パーセントを言葉どおりの額面でうけとめて素直によろこび、残りの五〇パーセントを冗談として楽しみつつ、彼女は、

「ドライ・マティニが口をきいてるわ」

 などと、ぼくをからかったりした。

 エクストラ・ドライのマティニの似合う女性が、身辺にいるだろうか。いねえんだよなあ、これが。

 たいていの場合、

「あたし、おビール」

 さもなくば、ボトル買いおきスコッチの相もかわらずの水割り。

 夏の夕方、まだ明るいうちに、一杯ずつのドライ・マティニを前に置き、才気と余裕とユーモアに満ちた会話のやりとりをする。

 一杯ずつのドライ・マティニが生み出してくれる時間が制限いっぱいになったら、そこでカクテル・ラウンジを出て「ハヴ・ア・ナイス・イヴニング」、次のチャンスまでしばしのお別れだ。

 なんだか自分がひとまわり向上したような気持になるところが、こういう飲み方をしたときのドライ・マティニのいいところだ。

 カクテルに特別の思い入れを持つわけでもなく、ことさらに賞賛するわけでもないのだが、透明酒をベースにしたいろんなカクテルのそれぞれに応じた、一杯だけの、いい女性をともなった、気持のいい飲み方を考え、実行するといい。酒は、いい女とふたりで一杯ずつ飲めば、それで充分ではないか。いい女性といっしょに、いい状況のなかで、一杯ずつ。貴重な時間をいつまでもだらだらと酒のなかに流しこんでいる人は、いい女性がいないか、いい状況のなかにいないかのいずれか、あるいはその両方だ。

 一杯ずつの透明な強いカクテルを飲みおえ、ビルの外へ出てくる。

 まだ、明るい。夏は、これだから、いい。

 酒はまだ明るいうちの一杯だけでやめておけ、と酒じたいが教えてくれている。そして、一杯だからこそ、素敵な女性を痛切に必要とする。

(底本:『ターザンが教えてくれた』角川文庫 一九八二年)

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