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金曜日の午後の飛行機だった

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 二階にあるコーヒー・ショップの、奥の窓ぎわの席で、ふたりは小さなテーブルをはさんでさしむかいにすわっている。「コ」の字型の建物が内側へかこいこんでいる内庭のようなスペースを、ふたりは窓ごしに見おろすことができる。内庭には、樹がたくさん植えてある。濃い緑の葉が無数にかさなりあう何本もの枝が、窓ガラスごしにふたりのすぐ目の下に見える。

「きれいだね」

 と、彼が彼女に言った。

 彼女は、彼を見た。整いきってどこにも欠点のない美しい顔に淡く微笑をうかべ、

「なにがきれいなの?」

 と、彼女はききかえした。

「きみだよ」

 彼が言った。彼の言葉に、彼女の微笑は、すこしだけ深まった。

「久しぶりに会うからでしょう」

「三か月ぶりだ」

「そうね」

「ただ単に顔や姿かたちが美しいというだけではなく、自分のエネルギーが自分の意志によってはっきりとコントロールされていて、そのコントロールがとてもうまくいっているときにその人ぜんたいに感じる美しさのようなものを、ぼくはいつもきみに感じる」

 いつもの彼としてはかなり長めの台詞を、彼は彼女の顔を見ながらおだやかに喋った。

「私はいま、ほめられてるのかしら」

 彼女が、きいた。彼は、うなずいた。そして、

「ほめている」

 と、言った。

「ほめられると、やはり、いい気分だわ」

「きみは、ほめるに値する」

「あなたの思いちがいかもしれないわ」

 彼女の言葉に、彼は首を左右に振った。

「きみに会うたびに、ぼくは感じる」

「なにを感じるの?」

「エネルギーが、きっちりとコントロールされて、動いてるんだ。停滞とか横ばいを、ぼくはきみに感じたことがない。いつ会っても、このまえよりもいちだんと素敵になってる」

 彼の言葉に、彼女は上品に、朗らかに、笑った。

「いい気分だわ。もうすこし、つづけて」

「きみに会うのは、楽しみだ」

「うれしいわ」

「たとえば、服装が、うれしい」

「服が?」

 と、彼女は、自分がいま身につけている服を片手で示した。彼は、うなずいた。

「そう。服が」

「着こなしが、気に入ってもらえてるのかしら」

「気に入っている。なぜかというと、選ぶ目はたしかだし、趣味はいいし、よく似合っている。しかもそれだけではなく、いつも季節感を絶妙に反映させているから」

「季節感を」

「そう」

 彼女は、窓の外を見た。中庭の樹々の枝を見渡し、空を見あげた。

「今日は、六月の曇り日だわ。いまにも雨が降りそうで」

 彼も窓の外を見た。そして、

「こうしてふたりで話をしていて、ふと気がつくとすでに雨が降っていて、樹が雨に濡れている、というようなことがもしあったら、そのときには今日のきみの服装は最高にひき立つ」

 彼の言葉に、彼女は笑った。

「コーヒーをもう一杯、飲もうかしら。そのうち雨が降ってくるかもしれないわ」

「ぜひとも、もう一杯飲もう」

 彼をまっすぐに見て、彼女はうなずいた。

「仕事は、忙しいのかい」

 と、彼がきいた。

「忙しいわ」

「その忙しさを、楽しんでるわけだ」

「そうね。好きな仕事に夢中になってると、忙しさというものは楽しいものなのよ」

「そうだろうね」

「あなたも、おなじでしょう」

 彼は、うなずいた。

「ほっとひと息つくための、自由な時間なんて、あるのか」

「あるわ」

「どんなふうにそのような時間をすごすのだい」

「たとえば、いまがそうよ」

「自分ひとりだけのとき」

「そうねえ」

 彼女は、窓の外に視線を向けた。彼女の視線は、何本もある樹の頂上を、近くから遠くへ、順にたどっていった。視線をやがて彼にもどし、微笑した。そして、

「先々週の週末、ひとりで島へいったわ」

 と、言った。

「島へ」

「東京から飛行機で一時間ほど南へいったところにある島なの」

「仕事でいったのかい」

 彼の問いに、彼女は首を振った。

「いいえ。私だけの、自由時間」

「きっかけは?」

「ふと、思いついたの。近くの島でいいからひとりで出かけて週末をすごそう、と思ったの」

「なるほど」

「予定をたてて、島をきめ、そこのホテルに部屋をとり、飛行機の切符を買ったの」

「うん」

「週末、金曜日の午後の飛行機だったので、その時間にあわせて、当面の仕事をぜんぶかたづけたの」

 彼女の説明に、彼はうなずいた。

「仕事を終えてモノレールで空港へいって、飛行機に乗ったの」

「うん」

「離陸して東京が目の下に斜めに横たわっているのを見て、素敵な解放感があったわ」

「気持ちは、よくわかるよ」

「島へつくと、きれいな快晴で、風の香りが東京とはまるっきりちがうの。思っていたよりもはるかに南の香りなのよ」

「ホテルへいき、部屋に入って、シャワーを浴びて」

「そうね」

「ひとりで海を見ながら、夕食か」

「そのつもりで、ホテルのレストランへいったの。髪はスタイルを変え、服も雰囲気にあわせて」

 そう言って、彼女は笑った。

「そしたら、ばったり、夫に会ったのよ」

 彼も笑った。

「ご主人もその島へ来てたのか」

「そうなの。まったくの偶然ですって。友人とふたりで露天風呂に入りに来たというの。前の日に雑誌でその島の露天風呂の記事を見て急に思い立ち、友だちを誘って来たのですって。海の波をかぶって夕陽を見ながら温泉に入ることのできる露天風呂があるの」

「自分ひとりの時間をつくりにいったら、そこに夫も来ていたわけだ」

「私たち、ほとんどいつもすれちがいなの。たまに部屋でいっしょにいたりすると、珍しくて楽しくなってしまうくらい、すれちがいが多いのよ。それに、私は、結婚する以前に住んでいた自分の部屋がそのままあって、そこへ帰ることも多いし」

「ご主人は、びっくりしただろうね」

「おどろいてたわ。三人でいっしょに食事をして、私はひとりで部屋へひきあげたの。ひとりの時間のためにせっかく島へ来たのに、おなじ島に夫が来てるんですもの」

「ぶちこわしかい」

「それに近かったわ」

「気の毒だね」

 笑いながら、彼が言った。

「夫たちは、あくる日の土曜日に、船で東京へ帰るつもりでいたの。その船の切符を私がゆずりうけて、土曜日の午後おそく、その島を発ったの」

「ご主人は?」

「友だちといっしょに、最終便の飛行機で帰ったわ」

 苦笑しながら、彼はうなずいた。

「船が島を離れて、ようやく私ひとりの時間がはじまったのよ」

「なるほど」

「東京まで、船だと一昼夜ちかくかかるの。その時間が、自分をとりもどす時間だったわ」

「楽しめたかい」

 彼の問いに、彼女は華やいだ笑顔で、

「とっても」

 と、強調してこたえた。

「その日もよく晴れていて、出港してから三時間くらいで、夕陽の時間がはじまったの。太陽が海に沈んでいくの。ひとりで、じっくりと見たわ。ものすごくよかった」

「甲板で見たのかい」

「食堂へいって、ウオッカをレモン・ソーダで割ったものをつくってもらって、甲板で飲みながら見たわ。レモン・ソーダが、ウオッカにとてもよく合うの」

「きみが、船の甲板で夕陽を見ながら、スカートを風にはためかせ、ウオッカのレモン・ソーダ割りを飲んだのか」

「そうよ」

「自分をとりもどす時間というよりも、写真に撮ればそのままファッション写真だよ。自分をとりもどす時間、というキャプションをその写真につければいいんだ」

 彼が笑いながらそう言い、彼女もいっしょに笑った。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』太田出版 1996年

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