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書き順と習字(1)

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 僕が小学校に入る日が近づいてきていた頃について、いまの僕は思い出そうとしている。かなり昔のことだ。充分に遠い。忘れてしまったことが多い。忘れてはいないまでも、記憶は淡い。淡さは不正確さでもあるだろう。

 というようなことだけについて、落ち着いた状況のなかで冷静に客観的に考えをめぐらせていると、やがてわかってくることがひとつある。小学校の生徒としての自分、あるいはその日々を、いまの僕が美化することはあり得ない、ということがわかってくる。

 美化しなければならない理由がなにひとつない。美化に値するものでもない。美化を引き受けることの出来るほどのものでもない。美化は誇張の一種だとすると、いま思い出す小学生の日々について、誇張したくなるような部分が、ひとつもない。

 その昔、この僕が小学生であった頃は、要するにただ小学生であったという、ただそれだけのことだ。小学校に入学する日、つまり入学式の日が接近していた頃について思い出すと、それは小学校に関して僕が持っている最初の記憶であることに、僕自身が気づく。

 小学校のために用意するさまざまな物品が、どんどん増えていった様子を、ごく淡い不快感とともに、いまの僕は思い出す。もっとも強く記憶しているのは、習字という勉強科目の道具についてだ。硯。何本もの筆。墨。半紙の束。筆をまとめて巻いておく、小さなすだれのようなもの。水を入れる小さな壺。半紙を置くための、白い線で枠が印刷してある、妙なオレンジ色の台紙。洗った筆を拭くための、小さな雑巾のような布。おお、そうだ、それから文鎮。

 習字のために必要だという、こういったものをひとつにまとめると、それだけで立派な荷物なのだ。試しにランドセルに入れてみると、習字の道具だけでランドセルはほぼ一杯となった。そのランドセルのかたわらには、教科書とノートが積み上げられ、その数は日ごとに増えていった。

 荷物はほかにもたくさんあった。上履きという名のスニーカー。上履きとはなになのか、小学校の校舎の構造と具体的に接するまで、僕にはよく理解出来なかった。雨の日のための傘。長靴。筆箱。何本もの鉛筆。色鉛筆。鉛筆のキャップ。下敷き。消しゴム。鉛筆を削るための小さなナイフ。

 物差し、というものがあった。三角定規。分度器。コンパス。弁当箱。箸箱。箸。工作の糊。鋏。箸箱を入れておくための、細長く作った布製の袋があった。算盤。水彩絵の具のセット。パレット。水を入れる壺。何本かの絵筆。スケッチブック。画用紙。彫刻刀のセット。

 入学の日が近くなるのと比例して、こうしたいわゆる学用品と称する品物が、机の上にどんどん増えていった。初めのうちは珍しいから、手に取って観察したり少しだけ使ってみたりしていると、それだけでしばらくは遊べた。

 学用品はさらに増えていった。学校へは毎日これをみんな持っていくのだ、と僕は誰かに聞かされた。嫌だ、そんなこと、とんでもない、というような反応をしたことを、僕はいまも覚えている。僕は学用品の数をなんとか減らそうとした。しかし、減らなかった。それどころか、増えるいっぽうだった。

 学校へは毎日いくとは思っていなかったから、毎日いくのだと教えられた僕は、毎日とはいったいどういうことなのか、真剣に考えた。月曜日から土曜日まで、朝は九時から学校の教室で授業があり、雨の日も風の日も、そして快晴の日にも。それは嫌だ、そんなことは好きではない、と僕は思った。

 このあたりから、入学式の日の接近は、僕にとって圧迫感となった。入学式の日という圧迫感が接近してきて、僕を一方的に圧迫する。圧迫感をなんとか引き受けるためには、単なる圧迫感をなにか別のものに転換しなければならなかった。たとえば、義務感のようなものへ。子供には小学校へいく義務がある、というふうに。

 そしてその義務は、完全には回避出来ないまでも、多少は軽減が可能なのではないか、と僕は希望的に思った。入学式の当日は、子供は学校へいくという義務感が、具体的な重さとして、そしてどうしてもこなさなければならない行為として、幼い僕にもっとも大きくのしかかった日だった。

 小学生としての服を僕は着せられた。なにからなにまで新品で、しかも違和感の大きく強いものばかりだった。ランドセルは限度いっぱいに荷物を詰め込まれ、閉じた蓋のいっぽうの端から、布の袋に収まった算盤が突き出ていた様子を、いまも僕は思い出すことが出来る。ランドセルが前後に傾くと、そのたびに算盤の珠が小さな音を立てた。

 服は窮屈、ランドセルは重い、しかも両手に荷物。小学校まで子供が普通に歩いて十五分ほどの道は、いまもほとんど変わらずにそこにあるのではないか。ここから僕は歩き始め、このルートでこう歩き、ほら、あれがその小学校ですと、僕は指さすことが出来ると思う。地図で見るとその小学校はいまもおなじ場所にある。

 子供はなぜ小学校にいくのかと子供が訊くと、勉強するためだ、と大人たちは答える。確かに、勉強にはなる。入学式のあった日、自宅から小学校まで歩いていくあいだにも、僕はひとつ勉強した。こんなにも重いたくさんの荷物を、毎日、学校へ持っていかなくてはいけないということは、あり得ないはずだという確信を、僕は持った。

 これほどまでにたくさんの物品による、こんなに重い荷物を毎日持ってくることを要求するほどに、小学校は不合理なところではないはずだ、と僕は結論した。つまり、毎日なんらかの荷物は持っていくにしても、それは適当でいいのではないか、きっとそうだ、ということだ。

 小学校へいく義務が子供の僕にはあるに違いないが、僕でもさほど無理をせずにこなせる範囲で、その義務を果たせばそれでいいのではないか。そうでなければ、小学校は成立しない。いま僕が書いているこのとおりに、幼い僕が考えたわけではないけれど、重いランドセルと両手の荷物をとおして、僕は以上のようなことを感じ取り、以後の自分にとっての方針としたのは確かだ。

 小学校の校庭を僕が目の前にしたとき、その校庭ぜんたいに、全校の生徒が散らばっていた。広い校庭なのだが、小さな子供たちでびっしりと埋まっているように、僕には見えた。校庭は上下二段になっていて、上の校庭は下の半分以下のスペースだった。

 昔の国鉄の車両のあずき色をもっと濃くしたような色の、どっしりと頑丈そうな、重苦しいと言うならそうも言える、重厚さそのもののような、木造の校舎だった。校庭いっぱいに散らばって騒いでいる子供たち。黒く重厚でいかめしい校舎に規則的にならんでいる、数多くの窓。このふたつのものの対比は、小学校の全景を目にした瞬間、僕によってなされた小学校というものの本質の、認識だった。

 当時の僕のような子供にも、このくらいの認識は可能だ。なるほど、こういうものなのか、とその子供は思った。いま初めて見る小学校は好きではないし、許されるものなら一日も来たくはない。しかし、まったく来ないわけにはいかないようだし、来れば来たでなにかあるだろう。勉強とはなにだかわからないが、しなくてはいけないもののようだ。しかしこれだけたくさんの子供がいるのだから、僕としてはなにごとも適当でいいのではないか。入学式の日、まだ校庭に足を踏み入れる前に、僕はこんなふうに思った。

(2)[全2回]

底本:『坊やはこうして作家になる』水魚書房 2000年

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2000年 『坊やはこうして作家になる』 勉強 子供 学校 日本語
2017年4月1日 05:30
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