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あのトースターの謎を解く

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 一九五十年代のなかばに自宅で使っていたトースターを、解けないままに残ったひとつの小さな謎として、いま僕は思い出している。アメリカ製であったことは間違いない。確かサンビームという会社のものだったと思う。本体の両端に底と一体となってついていた黒い持ち手に、ひと目でそれとわかる書体で、Sunbeamと書いてあったような気がする。

 ステインレスだっただろうか、それとも鉄にメッキだろうか。無塗装の光った本体は、計算のいき届いた、きれいな立方体だった。その立方体ぶりを、おなじくきれいな曲線と曲面が、ほどよく中和していた。底や持ち手はボディとよく調和した黒で、当時のことだから材質はベークライトだったかもしれない。あるいは、かなりの熱に耐えることの出来る、当時としては新しいプラスティックだったか。

 ボディの上部に、パンを差し込む細長い長方形の穴が、ふたつあった。両端にある黒い持ち手から判断すると、ふたつの持ち手を結ぶ線が、ボディにとっての横のラインとなる。パンを差し込む穴は、この横のラインと平行に位置されがちかと思うが、自宅にあったあのトースターでは、ボディを横につらぬくラインに対して直角に、パンの差し込み口がふたつあった。トースターを見るたびに、そして使うたびに、このことを僕はほんのりと不思議な光景として、受けとめていた。

 このトースターに二枚のパンを差し込んで手を放すと、一拍の間を置いて、二枚のパンは静かにまったくの無音のままに、本体の内部へ入っていった。そのような作動が無音でおこなわれる様子に調和した言いかたをするなら、入っていった、という言いかたよりも、沈んでいった、と言いたいような気がする。パンを差し入れ、しかるのち、ボディ側面に突き出ているレヴァーを押し下げる、という方式のトースターを、それ以前に使っていた。しかしこのトースターには、そのようなレヴァーはなかった。パンを差し入れると、あ、パンが入って来たぞ、それではこれをボディの内部に引き受けなければならないな、という判断がトースターの意思となり、意思は作動へと転換されて、二枚のパンは音もなくトースターの内部へと沈んでいった。マイクロ・コンピューターが家電に応用される時代はもっとあとのことだから、パンが音もなく沈んでいくこのしかけは、どのようなものだったのか。なんらかのセンサーがあり、それに反応してメカニズムが作動したのだろうけれど、どんなメカニズムだか僕は知らないままだ。このトースターが僕にとってはいまも謎である理由のひとつは、ここにある。

 パンが焼き上がってトーストになってから、さらにふたつ、謎があらわになった。二枚のトーストが、静かに、まったくの無音で、差し入れ口から顔を出し、そこで静止したのだ。パンを本体内部に引き込む、あるいは焼き上がったあとで差し入れ口から数センチだけ出す、という動きを引き受けるために本体の底にモーターがあった、というようなことは考えにくい。しかしなにかのメカニズムが働くことによって、トーストされたパンは本体から顔を出し、そこで止まったのだ。どんなメカニズムだったのか。これ以前に使っていたトースターは、パンが焼き上がるとサーモスタットが作動してストッパーがはずれ、おそらく同時に電源がオフになり、パンの載っている部分がバネの力で跳ね上がり、本体内部のストッパーを兼ねた部分に「ガチャン」と当たって止まっていた。そしてその位置は、トーストがなかから数センチだけ顔を出す、つまりポップ・アップする位置だった。これはたいそうわかりやすく、謎でもなんでもない。

 さらにもうひとつの謎は、どのようなパンを差し入れても、常に最適にトーストされる事実だった。片側の持ち手の下に小さなつまみがあり、左へまわすほどに深くトーストされ、右へまわせばトースト加減は浅くなった。まんなかがその中間で、浅くも深くもする必要がないときには、つまみの位置はまんなかでよかった。白くてふわふわに柔らかいパンでも、あるいは固いライ麦パンでも、常に正しく最適な加減にトーストされた。電源のスイッチが入ってから四十秒で電源がオフになってトーストがポップ・アップするというような、最大公約数でどのパンも一律に処理する、という焼きかたではなかった。このパンなら焼く時間はこのくらい、という判断をトースターがパンごとにおこなっていたはずだが、そのメカニズムはどうなっていたのか。湿ったパンでも的確に焼けたし、冷凍庫から出したばかりのパンでも、美しいトーストになった。

 サンビームのトースターはいまでも市販されている。日本に輸入されてもいる。あちこちで見かけるし、通販のカタログにも出ていることが多い。いまの自宅から電車でひと駅だけいくと、そこには百貨店が三軒に量販店がひとつある。そのどこかでサンビームのトースターは手に入るだろう。いまのメカニズムはどうなっているのか。それを知れば、一九五十年代なかばに自宅にあったトースターの、謎を解く手がかりにはなるのではないか。

 この謎のトースターを自宅で使っていた時期を、一九五三年から五五年だと仮にきめて、この期間に製造販売されたサンビームのトースターを、いまのアメリカで手に入れることは可能だろうか。インタネットで検索すればたちまち見つかるような気もする。一九五四年製の、グッド・ワーキング・コンディションにあるサンビームのトースター。探してみようかと思ったときふと頭に浮かんだのは、雑誌の広告だ。当時のアメリカで刊行されていたごく一般的な家庭雑誌のページには、トースターの広告もきっと掲載されたはずだ。それをまず探してみるのはどうか。

 一九四七年あたりから一九六七年くらいまでの期間にかけて、アメリカの家庭雑誌に掲載された商品の広告ページだけを切り取ったものが、いまも僕のところに大量にある。自動車から腋臭止めにいたるまで、大衆社会のなかで一般的に広く使用されたさまざまな製品や商品の、雑誌広告のページだ。その量の多さを思うと、探してみようかというアイディアが浮かんだとたんにそれを消去したくなるが、自動車の広告は別になっていることを、僕は思い出した。家電の広告も、それだけがひとまとめとなっているはずだ、ということも思い出した。家電の広告だけを、一枚ずつ見ていけばいい。

 よし、探そう、と決意して、厚さにして二十センチはある家電の広告ページを、一枚ずつめくり始めたら、サンビームのトースターの広告がすぐに見つかった。掲載された号の年月日が書きとめられていないのは、例によってこの僕のしわざだ。裏面にもある広告など、いくつかの手がかりを便りに推測して、一九五五年以前のものだろう、という程度の見当はついた。この文章の冒頭から僕が記述したとおりのサンビームのトースターが、カラー写真で大きく、一ページ大の広告スペースのなかにあしらってある。

 僕が書いたトースター、つまり僕の記憶のなかにあるあのトースターと、寸分たがわないトースターだと言っていい。これだ、まさにこれではないか、などと思いながら広告コピーを読んでいく、まさにこれだ、という確信はさらに深まった。パンを差し込むと、完全な静粛さのうちに、そのパンはトースター本体の内部へと沈み込んでいくというではないか。そして焼き上がったトーストは、おなじく完全な静けさのなかで持ち上げられて来て、差し込み口から顔を出す、とうたってあるではないか。

 さらに決定的なのは、どんな種類のパンでも、いかなる状態のパンでも、つまみをまんなかの基準線に合わせておくかぎり、最適正の焼き加減になる、と述べているコピーだった。そのしかけを説明する透視図が、広告スペースの片隅にある。この図ではしかけが正確にはわからないが、トースターの内部でトーストへと焼かれつつあるパンの、表面から発せられる温度を感知し、それによって最適正な焼き加減をトースターじたいが決定する、というしかけであるようだ。トースターのなかには相当に熱い熱源もあるのだから、それの影響は受けることなく、トーストの表面から発せられる温度だけを、どのようにすれば正確に計ることが出来るのか。このしかけはレイディアント・コントロールといい、特許が取得してあるという。広告を見つけたおかげで、あのトースターの謎はさらに深まることとなった。

 一九四三年のサンビーム・オートマティック・トースターの広告も見つけた。一九四三年のアメリカは、ヨーロッパと太平洋で戦争をしていた。太平洋で日本がアメリカとどのように戦っていたかについては、この本の別のところで触れたから、ここでは繰り返さない。ヨーロッパでは七月にシシリーへ上陸した。十二月にはアイゼンハワーがヨーロッパ連合軍最高司令官に任命され、国内では戦時動員局が創設されたりしていた。

 一九五十年代のサンビームは、曲線と曲面とを巧みに使った下ぶくれの立方体だったが、一九四三年のは、半円に底となる土台をつけたようなかたちだ。無塗装の光ったボディに黒い底は、基本方針としてすでにこの頃からあったようだ。半円を横につらぬくラインと平行に、パンの差し込み口がふたつある。黒い把手がボディの両端に見える。どちらかが、差し込んだパンを本体のなかへと押し下げるレヴァーではないか。

 本体と底とのあいだにある小さなつまみを操作することによって、「ポップ・アップ」と「保温」のどちらかに切り換えることが出来た。「ポップ・アップ」とは、焼けたトーストがボディ上部の差し込み口まで持ち上げられて顔を出すことだ。「保温」は電源がオフになったあとの、余熱の使い道だろう。数分なら温かさが保てたのではないか。

 当社サンビームはすべての生産施設とその能力を軍需に切り換えたから、いまはこの素晴らしいトースターも生産していない、と広告のコピーは言っている。買おうと思っても店にないから、新しいトースターの分として戦時国債を買っておき、戦勝の暁に晴れて購入すればいい、とも言っている。ちょうどその頃日本では、英米語を雑誌の題名に使うことが禁止され、『サンデー毎日』は『週刊毎日』へ、『エコノミスト』は『経済毎日』へ、『キング』は『富士』、そして『オール読物』は『文芸読物』へ、といった変更が数多く見られた。

 戦後の日本はアメリカのトースターというものの謎を解くことから始まった、という説をかつて僕はどこかで読んだ。ある時期、いろんな論客によって、何度か繰り返し説かれた説だったと記憶している。戦後の日本ではアメリカ映画が大量に公開された。そのなかにごく普通の家庭をシチュエーションにしたホーム・コメディがあり、キチンの場面でテーブルの上のトースターが映り、そのトースターからトーストが二枚、ポンと飛び出て来るのを見た当時の日本の観客が、あれはいったいなにかという考証的な論争を始めた、この論争から戦後の日本がスタートした、とその説は主張していた。

 トースターというものを日本の人たちは知らず、トーストもまだ身近ではなく、したがってキチンのテーブルでトースターからトーストが飛び出して来ても、それがなんのことだかわからず、あれはいったいなにか、というきわめて基本的なところから、アメリカ映画を浴びるように見るという日本の戦後が始まった。

 焼ければポップ・アップするトースターは、さきほど書いたとおり、戦時中からあった。焼けたトースターを押し上げる金属部品が、本体内部のストッパーに当たって止められて発する、「ガシャン」という身も蓋もない音が現実だったとすると、その喜劇映画のなかでは、トーストが飛び出て来るときの映像に、「ポーン」という音が重ねてあったのではないか、と僕は推測する。これだけでギャグとなり、アメリカでの観客はその画面に笑ったはずだ。さらには、ポップ・アップしたトーストが、「ポーン」という音とともに高く飛び上がり、放物線を描いてテーブルに落ちたなら、それもまたギャグだ。

底本:『白いプラスティックのフォーク──食は自分を作ったか』NHK出版 二〇〇五年

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2005年 『白いプラスティックのフォーク──食は自分を作ったか』 アメリカ 戦争 戦後 日本
2017年3月27日 05:30
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