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カートゥーンという素晴らしいものが、アメリカから消えてゆく

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 カートゥーンという素晴らしいものが、ごくゆっくりではあるけれど、アメリカから消えていきつつあるようだ。カートゥーンという言葉を辞書で引くと、「マンガ」と出ている。一般にはひとコマのマンガのことだ。日本では、ワンカット・マンガと言っているようだが、アメリカの業界用語ではシングル・ボックスと呼んでいる。

 このカートゥーンが、アメリカから次第になくなっていきつつある。新聞の日曜版、マンガのセクションには『デニス・ザ・メナス』のような有名なカートゥーンがひとつやふたつはのっているようだが、雑誌でカートゥーンが楽しめるのは『ニューヨーカー』と『プレイボーイ』だけになってしまった。『ニューヨーカー』を買うと、ぼくはまずはじめに、カートゥーンをみんな読んでしまう。一冊につき平均して二十点くらいのカートゥーンがのっているから、一冊一ドルとして十円ちょっとでひとつ笑えるしかけだ。アメリカの笑いのなかでは、もっとも安く手に入る笑いではないだろうか。

『ニューヨーカー』のカートゥーンは、『ニューヨーカー』という個性ある雑誌の独特な雰囲気のなかにしっかりと固定されていて、笑いの質も『ニューヨーカー』好みで統一されている。高尚な笑い、と言ってもいいかもしれない。『ニューヨーカー』の編集方針とか、この雑誌を読む人たちの気質などが、カートゥーンにも明らかに影響をあたえている。

『ニューヨーカー』の創刊四十周年記念には、一九五五年から一九六五年までの『ニューヨーカー』誌上にのった数多くのカートゥーンからできのいいものばかりを厳選した『ザ・ニューヨーカー・アルバム』という、カートゥーンだけの豪華本がロンドンで刊行された。

 チャールズ・アダムズやピーター・アルノ、チョン・デイ、ソウル・スタインバーグなど、カートゥーンないしはイラストレーション・アーティストの一流どころが、ぎっしりときら星のようにならんでいる。『ニューヨーカー』的に洗練されたエスプリに満ちたユーモアの大全集だ。古き佳きアメリカ、という感じがする。

『プレイボーイ』も、まだがんばってカートゥーンをのせている。この雑誌のカートゥーンは、男性むけの往々にしてかなり品のないユーモアの世界を担っている。プレイボーイ・プレスからは、感心なことに、カートゥーン・アルバムが刊行されている。『プレイボーイ』にのったカートゥーンを再録したもので、一冊が四ドルくらいだと思う。カートゥーンのひとつひとつを笑いながら楽しむと、小一時間はいける。ビールでも飲みながらだったら、もうすこし長く楽しめるだろう。

 アメリカの男性雑誌は、かつてはどれもみな、カートゥーンをたくさんのせていた。『スポーツ・イラストレイテッド』『エスクワイア』『トゥルー』『アーゴシー』と、どれもみなカートゥーンには力を入れていたのだが、『アーゴシー』や『トゥルー』はとっくになくなり、『エスクワイア』は様変わりをして久しい。

 どの雑誌にも、カートゥーン・エディターというカートゥーン専門のエディターがいて、自分のとこの雑誌に適した作品を厳しく選んで読者に提供していた。

 カートゥーンは、カートゥーニストがギャグ・アイディアまで自分で考えるときもあるが、ギャグはギャグでそれ専門の人が知恵をしぼっている場合も多い。

 オフィスのデスクにすわり、タイプライターをまえにして、ギャグ・ライターはギャグを考える。面白いのがひらめいたらパタパタとギャグの文句をカードにタイプライターで打ちこみ、絵で描くべきシチュエーションを一行かせいぜい二行で説明文的に書きそえる。こうして考え出した数多くのギャグを、雑誌べつに選別し、各誌のカートゥーン・エディターのところに送り届ける。カートゥーン・エディターはそれを見て、これはと思うものを買いあげ、代金は小切手でギャグ・ライターに支払う。ギャグの書かれたカードを、カートゥーン・エディターは、向き不向きをよく考えたうえでカートゥーニストに送り、カートゥーンに仕上げてくれるように依頼する。シングル・ボックスのギャグ・カートゥーンは、こんなふうにしてできあがる。エディターに買ってもらえずに返却されてきたギャグは、こんなのいかがですかと、ほかの雑誌に送ってみる。

 こういった有名な男性雑誌にのったカートゥーンが、かつてはペーパーバックでしばしば一冊にまとまっていた。ぼくは愛読していたのだが、最近ではほとんど刊行されない。昔のが読みたければ、中古のペーパーバック専門の書店でさがさなければ手に入らないだろう。本年度のカートゥーン傑作集、というようなペーパーバックもよく出ていたし、孤島マンガとか刑務所マンガとか、テーマ別に編集したカートゥーンのアンソロジーもあった。ピーター・アルノやチャールズ・アダムズ、ゲイハン・ウィルスンなど、有名なカートゥーニストの作品がアーティスト別にアンソロジーになったりもしていた。カートゥーンによる笑いは、身近にいくらでもあった。

 かつての『サタデー・イヴニング・ポスト』という家庭雑誌も、カートゥーンが優秀だった。へイゼルという、中年女性のメイドを主人公にしたカートゥーンなど人気は非常に高く、テレビ・ドラマのシリーズになったりもした。もちろん、へイゼルのペーパーバックも、何冊か出ていた。

 ザラ紙を使った、見た目が煽情的ということだけが取り柄の三流のメンズ・マガジンが、一九六〇年代にはまだ何種類もあった。このメンズ・マガジンも、カートゥーンの宝庫だった。質は落ちるけれども、カートゥーンで使われるありとあらゆるパターンがそろっていて、カートゥーンのお勉強にはずいぶんと役に立ったものだ。

 アメリカのメディアのなかから、カートゥーンは明らかになくなりつつある。社会の変化に合わせてメディアも質が変わり、カートゥーンのユーモアはふり落とされている途中なのだろう。

『プレイボーイ』は社主のヒュー・へフナーが若いころマンガ家を志望していてなりそこなったという青春の挫折を負っているせいか、マンガに対して愛着があり、カートゥーンもその関係でつづいているのだろう。しかし、かつてのカートゥーンの面白さはなく、下品なくすぐりだけになっている場合が多い。カートゥーンではないが、一九六〇年代の『プレイボーイ』がつくりだした傑作であるティーヴー・ジービーズのような、一読ただちに爆笑、腹をかかえておかしい、という強烈なユーモアは、すでに失われている。雑誌としてはまだ新しいかたちであるシティ・マガジンには、カートゥーンのかけらもない。

『プレイボーイ』誌の弟分である『ウイ』がユーモア・コンテストをやっていた。全米から集まったジョークのなかからワン・ライナーの第一位が決定した。男どうしが語り合ってはおかしがるジョークとして、そんなに悪い出来ばえではなく、『ウイ』らしくていいと思う。その第一位のワン・ライナーは、

「その日はものすごく暑い日だったので、シャワーを浴びたくなった街角の消火栓が散歩中の犬を呼びとめた」

 というものだった。思わずハハハと声に出してぼくは笑ったが、さて、どんなものだろう。

『ブックストアで待ちあわせ』新潮文庫 1987年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』太田出版 1995年

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1987年 1995年 『ブックストアで待ちあわせ』 アメリカ エッセイ・コレクション カートゥーン 片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』 雑誌
2017年2月24日 05:30
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