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ガーフィールドは、ただ単に猫であるだけでは、満足しない

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 壁にとりつけたドア・ストップのそばに所在なげにすわっている猫は、ドアがいきなり勢いよく開いたときには、ドア・ストップとともに自らもドア・ストップになってしまう可能性が大きい。

 ドアのうえに登ってそこにすわっている猫は、状況ぜんたいを広く見渡すことが可能であり、そのことによって、やや哲学的な思想にふけることも出来よう。

 ブラウン・ペイパー・バッグのなかに入りこんだ猫は、自分自身に関して、まったく新しいパースペクティヴを手に入れることが出来る。たとえば、ブラウン・ペイパー・バッグのなかに入りこんでいる猫は、自分がまるでダーティー・マガジンになったような気持ちになることが出来る。アダルト・ブックストアの棚にならんでいたダーティー・マガジンが一冊、人に買われてブラウン・ペイパー・バッグにおさめられたときの気持ちに、その猫は自らをなぞらえることが出来る。

 ブラウン・ペイパー・バッグをかぶって遊んでいた猫が、なにかにつまずいて転んだなら、その猫は、転ぶ自分の体を、手をついて支えることが出来ず、体をしたたかに打ちつけ、痛い思いをしなくてはならない。そして、その痛みのさなかに、猫は、両目のための穴だけではなく、両手を出すための穴も、その袋にあけておくべきだったと、思いいたるだろう。

 夜である。夏である。デスク・ランプが灯っている。外から、蛾が入ってきて、ランプのまわりを飛びまわっている。猫は、そのありさまを見ている。やがて哲学的になってきたその猫は、太陽系に思いをはせはじめる。ランプは太陽であり、そのまわりを飛んでいる蛾は、地球や土星や火星なのだ。

 ひとりの男性が、イージー・チェアにすわっている。膝のうえに、一匹の猫を乗せている。彼は、その猫の飼い主である。

「家のなかにあるいろんなものが、口をきいたら面白いだろうね」

と、彼は言う。

「たとえば、朝になって目が覚めて、ベッドから出たら、寝室の壁が、おはようございます、と挨拶してくれるのさ」

 彼は、自分のアイディアを楽しんでいる。楽しみながら、膝の上の猫に、彼はさらに次のように言う。

「顔を洗おうと思って浴室へいけば、洗面台も、おはようございます、と言ってくれるじゃないか」

 猫は、彼がうれしそうに喋るのを、じっと聴いている。そして、口には出さず、心のなかで次のように思う。

「電球が切れたらどうするんですか。切れた電球は、まるで死人みたいに、口をきいてくれませんよ。それでいいのですか」

 テーブルのうえに、ガラスの瓶が一本、立っている。そのそばに、コルクの栓がひとつ、転がっている。そこへ猫が来て、テーブルに飛び乗る。瓶をながめる。瓶は、からっぽである。

「おまえ、暇そうだね」

と、猫が瓶に言う。

「はい、暇です」

 瓶は、答える。

「からっぽだね」

 猫が言う。

「そのとおりです。私はからっぽです」

 瓶が、答える。

「よし。からっぽで暇なら、そのなかに俺の良心を預かっていてくれ」

 そう言うと、猫は、そのガラス瓶にコルクの栓をはめ、テーブルからフロアに飛び降り、どこかへいってしまう。

 チョコレートを食べたくなった彼は、板チョコを出してきた。あまり音がしないように、そっと、その板チョコを割った。そのかすかな音を聴きつけた猫が、どこからともなくすっ飛んで来て、

「俺にもチョコレートをよこせ!」

 と、彼に言った。

 猫は、都会で暮らしている。退屈である。たまには都会を離れて、たとえば田舎にでもいってみたいなと、猫は思う。田舎で退屈するのも、気分が変わっていいのではないか、とその猫は考えている。

 彼は、首を前に落として前かがみとなった姿勢のまま。首をまっすぐにすることが、出来なくなってしまった。

「困った、首がまっすぐにならなくなってしまった」

 と、彼は猫に言う。

 彼に一瞥をくれる。冷静な一瞥である。彼の首がなぜまっすぐにならなくなったのか、その原因が、猫にはたちまちわかった。彼は、ネクタイの先端を、スラックスのジパーにはさんでいるからだ。

 猫はバナナを食べようとする。片手に持ったバナナの根元まで、猫は皮をむいていく。そして、根元を持った手に、ぐい、と力をこめる。バナナはロケットのように飛び出し、大きく口をあけているその猫の口のなかに、すっぽりと入る。

 手のなかに残った皮を、猫は、自分の顔にべったりと張りつける。鼻を中心にして、何本かの皮が、いろんな方向にむかって手をのばし、猫の顔をおおっているように見える。

 猫はテーブルの上にあおむけにひっくりかえり、両手や両足をばたばたさせ、次のように言う。

「助けて、助けて! エイリアンがバナナの皮に姿を変えて、俺の脳みそを吸い出そうとしている!」

 そのありさまを見ながら、飼い主の彼は、次のように言う。

「この猫は、バナナを一本食べることすら、パフォーマンスにしてしまうんだから」

 猫は、窓から外を見ようと思う。窓枠に飛び乗らなくてはいけない。だから、窓から外を見ている飼い主のそばに彼とおなじように立っても、その猫には窓の下の腰板しか見えない。

 彼は夏の休暇をとって、海辺で何日か、過ごすことになった。猫も、彼といっしょにいくのだ。でかけるとき、猫はキチンの冷蔵庫に、しばしお別れの口づけをした。

 フロアを這っていたクモを叩きつぶした猫は、イージー・チェアにすわって新聞を読んでいる彼のところにやって来て、自分の手についているクモの残骸を、彼の肩になすりつけた。

 まだべッドのなかで眠っている飼い主を起こすとき、猫は、彼の足の裏を、自分のしっぽの先端でくすぐって、起こす。

 ガーフィールドの十冊目の本は、HIS 10 THE BOOKという。最初の本が出たのは一九八〇年だった。その十冊目のガーフィールド・ブックを手に入れてきた僕は、はじめからおしまいまでぜんぶ読み、気にいったエピソードを順番に書いてみたら以上のようになった。なかなか面白い。ガーフィールドはシュールな猫だということが、こうやってみると、よくわかる。

 一九七八年六月に生まれて以来、アメリカのいたるところの新聞に、ガーフィールドの漫画は連載されてきた。月曜日が大嫌いで、ラザニアに目がなく、ただ単に猫であるだけではけっして満足しないガーフィールドの内面は、相当にシュール・リアリスティックだ。

 ひとつの状況に対する人間の側からの働きかけを、通常とはまるでちがった方向から見ることによってユーモアというものは生まれてくる。だから、あらゆるユーモアは、多少ともシュールな傾きを必ず持つ。通常からどのくらい離れることが出来るかは、そのユーモアをつくり出す当人の才能にかかっている。ジム・デイヴィスは、才能があると言っていい。

『本についての、僕の本』新潮社 1988年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』太田出版 1995年

今日のリンク|Garfield公式サイト|毎日一編、3コマ漫画掲載。過去作品をランダムに読むこともできます。

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↓こちらは日本版サイト。今日(2月22日)は「猫の日」だそうで忙しそうです。

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タグで読む03▼|片岡義男の書いたアメリカ

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1988年 1995年 『本についての、僕の本』 アメリカ エッセイ・コレクション ガーフィールド 片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』
2017年2月22日 05:30
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