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一九六二年、古き佳きアメリカが『サタデー・イヴニング・ポスト』誌の表紙に描かれていた頃

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 子供の頃、気がついたらすでに、身辺にいつも『サタデー・イヴニング・ポスト』があった。誰かが定期購読していたのだ。毎週、それはアメリカから届いていたらしい。丸めて茶色の紙でくるみ、筒のようになっていたのを、僕は淡く記憶している。記憶ちがいでそれは他の雑誌かもしれない。表紙の隅に宛先のカードを貼りつけただけで郵送されて来るのは、確かな記憶として残っている。大きなサイズの一冊の雑誌が、包装されることなくアメリカから日本まで郵送されて来るのだから、ときとしてその表紙はぼろぼろだった。

 ごく幼い子供の頃から終刊まで、『サタデー・イヴニング・ポスト』の少なくとも表紙だけは、僕は見続けた。あやふやな記憶を主観的な断定に置き換えて言うなら、表紙はケネディの暗殺以後、写真になった。絵ではとうてい時代をつかまえることは出来ない、という判断が編集部にあったからだろう。しかし写真にすればそれでいいというものではなく、『サタデー・イヴニング・ポスト』の表紙に魅力的な写真を見た記憶が、僕にはまったくない。その当時すでに、この雑誌は役目を終えていたのだと、僕は思う。

 写真に替わるまで、この雑誌の表紙は創刊から一貫して絵だった。題字のスペースは別にして、あるいはそのスペースも取り込んで、表紙は毎号、一枚の絵だった。絵は主題の誇張も美化も、思いのままだ。描こうと思うなら、どんなふうにでも描くことが可能だ。そしてなによりも有利なのは、ユーモアを巧みに織り込むことが出来るという事実だ。毎号の表紙を何年にもわたって見た僕の記憶のなかに、ひとつ確かに残っているのは、ユーモアの感覚だ。絵のうまさとそのなかにあるユーモアが楽しみであったことは、まちがいない。

 絵の主題は、ごくおおまかに言うなら、写実を旨として活写した、アメリカの人たちの日常生活の、さまざまな場面だ。ノーマン・ロックウェルを筆頭にジョン・フォルターやスティーバン・ドハノス等いろんなアーティストが活躍したが、どの人も絵はものすごくうまかった。現実のなかに創作のきっかけがあってもなくても、とにかくひとつの日常的な場面をひとつの世界へと構築しなおす、その構成の力量はなみたいていのものではなかった。そしてそのなかに、かならずユーモアがある。

 ごく最近、一九五〇年代から六〇年代なかばあたりまで、十五年分ほどの『サタデー・イヴニング・ポスト』を、僕は他に必要があって一冊ずつ見なおす機会を持った。

 三十年という時間をへだてていまあらためてながめなおすと、これがじつに古き佳きアメリカの数々という雰囲気で、しみじみながめては、良くできてるなあ、と感心したりしてしまう。

 季節感をてきとうにとりこみながら、毎号、非常に腕の立つ、それぞれにタッチや世界のちがうアーティストたちに、いい絵を描かせていたようだ。切り抜いてきちんと額に入れ、壁にかけたら、それだけで完璧にアメリカン・クラシックスだ。

 一月から順番にながめてみた。

〔➡︎1962年の表紙

 アメリカでも、一月は雪が季節感として全国のほぼ半分くらいまで共通するのだろうか。一九六二年一月二十七日号の『サタデー・イヴニング・ポスト』誌の表紙には、雪が描いてある。とてもアメリカ的な雪だ。

 これから夜のパーティーにでかけようとしている、まだ若いと言っていいカップルが、雪に難儀するの図だ。玄関の前で、ご主人が雪をどけている。雪をどかさないと、車で出ていけないからだ。あかあかと明かりのついた、あたたかそうなリビング・ルームのガラス越しに、奥さまが心配そうに見ている。この奥さまが、アメリカ的でいい。いまこんな絵を雑誌の表紙に使ったなら、ひょっとして女性差別反対の団体から、抗議の声があがるかもしれない。

 おなじ一九六二年の二月の号が三冊あるが、そのうち二冊が、雪をとりあげている。

 二月三日号の、子供たちのそり遊びを描いた構図は、これもまさにふた昔まえのアメリカ的に、洒落ている。ジョン・フォルターという画家の作品だ。写実的な技法を土台にしつつ、現実からすこしだけ浮きあがったロマンチックな世界を白人共通的に描きだすという、まさにアメリカ的な絵だ。

 二月二十四日号の表紙も、洒落ている。おそらく東部のどこかだろう。雪がつもっている。自宅の前では奥さんが小型のブルドーザーを使って、雪かきをしている。ご主人が、自動車で勤めに出ていこうとしている。窓から体を出して、ブルドーザーの奥さんと、いってらっしゃい、の口づけだ。柵のうえに野生のリスが一匹いる。

 道路のむこう、下り坂になっているところを走っていくのは、スクール・バスだ。おそらく、いま口づけしているこのご夫婦の子供が、そのスクール・バスに乗っているのだろう。

 二月十七日号の表紙は、六コマの漫画になっている。テーマは結婚だが、これもいまなら女性差別反対の団体から抗議をうけそうだ。

 恋人とレストランで食事をしている男性が、彼女と結婚して仲むつまじく手料理を楽しむ自分を空想している。ふたりはやがて結婚するのだが、奥さんの手料理はオーヴンから立ちのぼる黒い煙になってしまった。しかたなくふたりはレストランで外食する。奥さんはなにごともなかったかのように、すましている。ご主人は、しょげている。よくあるアイディアのアメリカ的な漫画だが、『サタデー・イヴニング・ポスト』誌の表紙としてながめなおすと、あの頃はいい時代だったのかなあと、ふと思ってしまう。アメリカが、アメリカ的な世界のなかにどっぷりとつかっていられた最後の時代だったにちがいない。

 二月が終わって、三月だ。若い夫婦が、自分たちの幼い子供をお医者のところへ連れていき、おそらく予防注射だろう、その子供にとって最初の注射を受けさせようとしている。ディック・サージェントという画家による、ちょっとノーマン・ロックウェルふうの絵だ。

 『サタデー・イヴニング・ポスト』誌の表紙に作品が使ってもらえるような画家のところには、多くの読者たちから、表紙用の絵のアイディアが提供される。この三月三日号の表紙絵のアイディアも、読者からサージェントのところに届いたものだ。アイディアの提供はたくさんあるけれども、実際に使えるものはなかなかすくなく、読者からのアイディアを絵にしたのはサージェントにとってこれがはじめてだったということだ。

 三月十七日号は、デラウェア州のニュー・キャッスルという町の、デラウェア・ストリートを描いたものだ。背景に、デラウェア・リヴァーをいく貨物船が見える。人口が五千人にみたないこういう町を、たとえば丁寧に取材して歩いたりすると面白そうだ。

 三月二十四日号の表紙は、小学校の先生が生徒たちをバード・ウォッチングに連れていったところを描いている。

 左上の枝にとまっている赤い鳥は、カーディナルだ。見ればすぐわかるのに、鳥の本と照合しつつ驚いている眼鏡の女の先生も、古き佳きアメリカだ。子供たちの服の着こなしが、遠い夢のように思える。

 池のむこうの橋を、一台の配達トラックが渡ろうとしている。そのトラックを、子供たちのうちのひとりが、双眼鏡で見ている。このトラックは、アイスクリーム会社の配達トラックだ。なんでもない情景を描いているようでも、こんなふうにディテールに凝ってあるのが、昔ふうに律義な感じで、うれしい。

 いろんなアーティストがそれぞれに趣向を凝らした絵が、ほかにもたくさんある。

 五月十九日号の、ハイスクールの生徒たちのシニア・プロムの絵はべン・プリンスという画家のものだ。いくら日本にアメリカのものや情報があふれようとも、日本のいまの高校がこんな感じになることは、まずありえない。実在するハイスクールをモデルにして描いたものだ。

 六月二日号には、ディック・サージェントが再び登場している。往年の傑作、という感じの絵ではないだろうか。

 夏の休暇で一家をあげて行楽にでかけたら、バンパー・トゥ・バンパーの渋滞にまきこまれた。二百馬力ものパワーのある車が一寸きざみをやっているわきを、五馬力くらいの芝刈り機が、軽快に走っていく。ハイウエイの分離帯の芝を刈っているのだ。

 八月二十五日・九月一日合併号の表紙は、少年の夢をそのまま絵にしたようだと言っていいだろう。

 夏の休暇ないしはウィークエンドに、父親と少年はウィークエンド・ハウスにやってきた。釣り日和の日がはじまろうとしている。少年はとっくに目をさまし、用意をととのえ、まだ眠っている父親が起きてくるのを待っている。この絵も、ディテールが素晴らしい。夏の朝、胸ときめく五時二十分だ。

 絵の出来栄えの見事さを確認した僕は、さらにもうひとつ、絵のうまさや面白さは、アーティストひとりひとりの才能を超えて、その当時のアメリカ社会の広がりと奥行きによってアーティストとその絵が支えられていたという、社会の大きな部分に共通して作用する価値観が、そのような表紙絵を可能にしていた事実も、確認することが出来た。

『サタデー・イヴニング・ポスト』の表紙に絵が採用される、あるいは絵を描く依頼を受けるということは、そのアーティストひとりにとっての個人的な出来事であるよりは、当時のアメリカがもっとも大事にしていた価値観を一点の絵に体現し、それを雑誌の表紙にすることをとおして、その価値観をさらにいっそうプロモートしていくという、きわめてアメリカ的な、社会的な広がりと奥行きのある行為だった。昨日の自分よりも今日の自分のほうがより良くアメリカ的であることをめざすのがアメリカ人の宿命だとするなら、自分たちのアメリカらしさを大衆雑誌の表紙で何度も繰り返し確認し増幅していくのは、たいへんにアメリカ的な営為だと言っていい。

 アメリカの価値観と言っても、アメリカのすべてがこの雑誌の表紙に登場したわけでは、けっしてない。繰り返しそこに描かれたのは、中心を形成していたある部分ないしは層であり、それ以外の部分はとうてい主題たり得なかった。それ以外の部分に関してことさらに排他的であったと言うよりも、中心的なひとつの価値観を、なんの遠慮もなしにくっきりと、表紙絵に描くことがまだ可能な時代だった、というような言いかたをしたほうが正解だろう。

 おそろしくやっかいな、と言うより解決のおそらく不可能な問題を、当時のアメリカはすでに充分かかえてはいたけれど、どれもみなそれほどまでには深刻な問題ではないと、人々が安心して思い込むことの出来た時代が、かつてアメリカにはあった。家庭に届いている『サタデー・イヴニング・ポスト』の最新号を、たとえば夫が見る。表紙絵に反応して彼は笑顔になる。あるいは、声を上げて笑う。今週の表紙を見たかい、と夫は妻に言い、ふたりは共有する価値観を確認し、なべてこの世はこともなし、というわけだ。

『サタデー・イヴニング・ポスト』の表紙絵も、そしてそのなかに描かれたアメリカもすでに過去のものだ。このような世界に懐かしさを覚える人は、アメリカにまだ多いだろう。自分たちの世界がいまもこうだったらいいのに、と思う人も多いにちがいない。しかし、過去になってしまった部分は、もはやどうすることも出来ない過去であり、それはもうどこにもない。描かれたとき、そのような世界が現実にあったかどうかも、大いに疑わしい。フィクションと現実の、きわどいぎりぎりのところだったはずだ。

 しかし、すべてが過去になったわけではない。表紙絵に描かれた世界が体現していたものの核心である、あくまでも個人を土台とした自由と民主主義は、いまも変わることなくアメリカのものだ。自由と民主について言わなくなったら、そのときのアメリカはもはやアメリカではなくなるときだろう。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『自分を語るアメリカ』太田出版 1995年

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2017年2月5日 05:30
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