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「思いやり」予算の英訳

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ー2004年2月7日ー *ページ末「まえがき」参照

 思いやり予算、という言葉がある。日本国内に米軍基地を大規模に維持することにかかわる多額な経費を負担するため、日本政府がさまざまに供出する膨大な額の予算のことだ。この言葉は英語になっているのだろうか。日米関係のなかの軍事に関する重要な部分にある言葉だから、正式に英語になっているはずだ、と僕は思う。もし英語になっていなければ、思いやり予算という言葉は、アメリカではなく日本だけに向けた言葉である、ということになる。

 思いやりとは、なにか。相手から自分がなにを期待されているのかを、当の相手の胸のうちをのぞき込んで察知・確認し、自分の言動をその期待どおりのものにする、ということだ。これを米軍基地に当てはめると、どうなるか。基地を維持するために日本政府は潤沢な予算をつけてほしいな、と思っているアメリカの胸のうちを的確に察して、この予算もあの予算もと、日本政府が自分のほうから先まわりして、多額な予算を供出すること。思いやり予算とは、理論的にはこういう性質のものだ。これを知ったら、アメリカは不快の念をあらわにするのではないか。怒るかもしれない。日本をよく知っている人なら、あきれたりもするだろう。

 安保をここまで支えてきた大きな柱のひとつは、米軍が日本から撤退することの恐怖だった。米軍が引き揚げてしまうと、日本は波高いアジアの海にひとりでほうり出される。危険だ、安全保障がなくなる、敵が攻撃してくる、大挙して上陸してくる、日本は占領される、というような恐怖が、戦後日本の親米保守政治を一貫してつらぬいてきた。米軍がヴェトナムから撤退したあとの、日本の基地の縮小や人員の削減、部隊の再編や移動などを目の当たりにしたとき、米軍が日本からいなくなる恐怖は、頂点に達した。基地機能の拡張、予算の増額、自衛隊の戦力増強など、米軍を日本に引き止める方針が確定され、現在にいたっている。

 思いやり予算という言葉を、思いやりという言葉が用いられる通常の文脈に則して解釈すると、そちらさまも軍事ではなにかと物入りでしょうから、どうぞこれをご用立てなさってください、と日本政府が差し出す厚い二重底の菓子折、とでもなろうか。思いやりという言葉の、本来の文脈をもっとも大きく逸脱した使用例が、日米同盟をめぐる思いやり予算という用例だ。日本から引き揚げないで、私を捨てないで、どこへもいかないで、というかなりせっぱ詰まった気持ちを、思いやりという余裕のある言葉に置き換えたのは、戦後日本政府に独特の、米軍に対する捩れた性根の、ふとこぼれ落ちたようなあらわれだろうか。思いやられる側よりも、思いやるほうが明らかな優位にあることくらい、日本語を母国語とする人なら誰でも知っている。

 以上のような次第だから、思いやり予算は、いかないで予算、と言い換えるともっとも正しくなる。英語にするならこれを英訳すべきだ。ここはひとつ直訳でいくとして、プリーズ・ドント・ゴー予算というのはどうか。ジャック・ブレルの歌に、『イフ・ユー・ゴー・アウェイ』というのがある。日本語題名は『いかないで』という。そしてこの歌の中に、英語訳ではプリーズ・ドント・ゴー・アウェイというリフレインがある。直訳そのもののように見えるプリーズ・ドント・ゴーという言いかたにも、英語世界のなかできちんと成立する文脈は、あるようだ。調べてみると、『ドント・ゴー・アウェイ』というタイトルの歌も、アメリカにあることがわかった。

「思いやり予算」という言いかたは日本国内向けであり、正式な英語としては「施設改善プログラム」という言いかたになっている。思いやり、と言っておけば国内では文句は出ない、とでも思ったのだろうか。基地内の施設改善とは、映画館を改築したりプールをもうひとつ作ったり、というようなことを意味する。ブッシュ大統領が言った「思いやりのある保守」に知恵を借りて、コンパッショネット・バジェットとしてみるのも、一興ではないか。

底本:『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHKブックス 2004年

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*「まえがき」より

影の外に出る

 二〇〇三年の夏が終わろうとする頃から、主として報道をとおして、次のような言葉がこの僕の目や耳にも、しきりに届くようになった。日本の主体的な判断。国益。対米協力。国際社会への貢献。イラク復興の人道的支援。非戦闘地帯。アメリカ追従。状況を見きわめる。隊員の安全には配慮する。テロとの戦い。秋が来てそれが深まっていくにつれて、これらの言葉が飛び交う密度はいちだんと濃くなっていった。印象としては、いわく言いがたい奇妙な違和感のある言葉ばかりだった。このような言葉によって、いったいどんな内容のことが、どのような人たちによって、どんなふうに語られ論じられているのか、僕が興味を抱くにいたった最初のきっかけは、僕がどの言葉に対しても感じた、たったいま書いたとおりの、いわく言いがたい種類の奇妙な違和感だった。

 考え抜かれた末のものであれ、ろくになにも考えてはいない結果のものであれ、人の口から他の人たちに向けて出て来る言葉というものは、その人がその問題に関して考えをめぐらせた証拠のようなものだ。こういう言葉で言いあらわされる思考とは、いったいどのようなものなのかという淡い興味を持った僕は、おなじような問題をめぐって自分でも考えてみることにした。考えた結果として、自分にはどのような言葉が可能になるのか。自分でも言葉を使ってみることによって、自分が感じている違和感の内側へ、多少とも入ってみることが出来るかどうか。

 この本に収録してあるいくつかの文章の最初のものには、二〇〇三年十月二十日の日付がある。文字どおりこの日に書いた、というわけではないが、この日付の近辺でまず僕はこれを書いた。誰に依頼されたわけでもなく、どこに対して責任があるわけでもない、自分ひとりだけのために書いてみるという、きわめて個人的な営みとしての文章だ。軽く読めるタイプのほんのちょっとした時評のような文章だ。そのように書きたいと思ったからではなく、こんなふうにしか書けないからという理由で、こうなっている。

 書き始めて僕は面白いことをひとつ発見した。気楽な文章であるとは言え、相手にする領域はたいへんに広い。日本国内だけではなく世界のいたるところで、時々刻々と発生してはただちにさまざまに変化しながら複雑に重なり合う事態、といったものぜんたいをカヴァーしなくてはいけない。ごく基本的な材料を手もとにためておくだけでも、作業としてはかなりの時間を必要とする。これはしかし当然のことだからそれでいいとして、問題はその奥にある。

 世界じゅうで時々刻々と発生しては変化していく事態がどこまでも続くのだから、そのなかに巻き込まれると、そこから出られなくなる。つきあいは際限なく続くから、たとえば文章を書く仕事をそこでするなら、どこまでも書き続けなくてはいけない。書くためには考えるのだから、こういう世界で仕事をする人たちはすべて、考え続けなくてはいけない。時々刻々に合わせて考えるだけでは足らない。そのずっと向こうを正確に見とおす視線で考える必要がある。

 考えることをどこかでやめると、考えを停止したことによってそこから先に発生するマイナスは、借金が雪だるま式に大きくなっていく、というようなことに例えることが出来る。思考を停止した人が最も陥りやすいのは、べきである、べきではないという、すでにその人のなかで出来上がって固定されている価値観によって、すべてを性急に裁断してしまうことだ。その人の価値観はその人の財産であり、少しだけおおげさに言うなら、それはその人の既得権益のようなものだ。これを守ろうとして活用される、べきである、べきではない、という価値観は、持続させることがもはや不可能なほどに効用のつきた制度であり、現在という現実に対して、これほど無力なものはない。


2004年 『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』 アメリカ 戦後 日本 日米同盟
2016年12月29日 05:30
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