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アメリカはここからがもっとも面白い

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 かつてのアメリカがいかに途方もなく桁はずれに豊かであったかを体感するひとつの有効な方法は、たとえば一九四〇年代、そして一九五〇年代のアメリカの、一般的な家庭雑誌に掲載されていた広告を観察することだ。

 第二次大戦に勝った生産力、革新された技術力、未来を信じきって前方にむけて進んでいくアメリカ人としての気持ちの統一感など、とにかく国というものが持ち得る力のすべてが、五〇年代後半から六〇年代にかけて、あらゆる領域で頂点に達していく様子が、古雑誌のなかの広告を見ていくと手に取るようにわかる。

 豊かさが頂点をきわめたのは、一九五〇年代の後半だろう。そしてそこから十年ほどにわたって、横ばいの現状維持となって、豊かさを提供し続けたようだ。五〇年代後半のアメリカが享受してきた豊かさは、当時はまだ広かった世界のなかでも、アメリカだけにあったものだ。イギリスは二歩も三歩も後退していた。ヨーロッパもおなじだ。日本には文字どおりなにもなかった。そしてそのアメリカだけに存在した豊かさは、いま当時の世界を逆もどり追体験的に想像のなかでふりかえって俯瞰してみると、世界のそのときの様子からは信じがたいほどにかけ離れた、超SF的な、ある意味では悪夢的と言ってもいいほどの、桁はずれの豊かさであったこともわかる。

 あの当時の世界のなかで、アメリカだけがこれほどまでに豊かであったのは、まちがいとか不幸とまでは言わないにしても、常軌を逸していびつな状態だったのだということを、 古い雑誌の広告ページは教えてくれる。アメリカという興味深い不思議な国は、このようなかたちでひとまず豊かさの頂点をこのごく早い時期に知った国なのだと、四十年、五十年まえの雑誌のページをくりながら、痛感してしまう。

 あれだけ早い時期にこれほどまでの豊かさを体験してしまったからには、その後いくら弱体化しようとも少しも不思議ではないのだということも、古い雑誌というアメリカの遠い分身は、それをいま見る人に論すがごとく教えてくれる。これをこのままいつまでも維持出来ると思ったなら、それはそう思ったほうがまちがいなのだよと、少なくともこの僕はそう思う。

 反面教師としてもっとも偉大な力をいまも保ち続けているのは、私見によれば自動車の広告だ。世界のとらえかた、ものの考えかた、生産や消費のシステムなど、すべてを根底から修正しなければならない事態にさしかかっても、そしてその時が遠く過ぎてもまだ、アメリカの自動車はこれでもかこれでもかと、巨大な浪費だけを無反省に続けていた。これでいつまでもいけると思ったまま、アメリカは世界や時代の質の変化に気がつかなかった。しかし、もう気づいている。気づいて、ではどうするか。ここからが、もっとも面白いアメリカだ。

(『ノートブックに誘惑された』1992年所収)

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1950年代 1992年 『ノートブックに誘惑された』 アメリカ 広告 自動車
2016年9月28日 05:30
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