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評論・エッセイ

身についた言語は常に肉体性を持つ

英語を勉強することは、自分の肉体に何事かを覚え込ませることなのだ。例えば、アメリカ人に睨みつけられて「この馬鹿野郎!」と言われたとき、「馬鹿野郎とはなんだ、この野郎」と、必要最小限の言い返しがアタマの作業ではなく自分の肉体の反応としてとっさに出てこないかぎり、言語が肉体の問題になっているとは言いがたい。

底本:『町からはじめて、旅へ』晶文社 二〇一五年改版(一九七六年初版)
初出:『宝島』一九七五年八月号

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