東京箱入り娘(その3)|2台の自動車篇

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北條一浩@編集部

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この連載では、片岡義男作品の核心を「閉鎖系」と捉え、その閉ざされた空間の具体的な現れとして「箱」に着目し、「電話ボックス」と「エレヴェーター」を取り上げました。第3回目の今回は「クルマ」です。いや、片岡義男はカタカナで「クルマ」なんて書くことはなく、多くの場合はステーション・ワゴン、セダン、などと書いていて、あるいは総称として律儀なほど「自動車」と表記されることが多いので、今回は「自動車」の話です。

同一線上の2台の自動車

 自動車。小説の舞台となる「箱」を想像してみた場合に、ホテルなり自宅なり、部屋が箱であり密室であるのはあたりまえだから、それに次いで物語の舞台になりそうな「箱」型装置というとなんだろう…… と考えると、おそらく真っ先に考えつきそうなのが自動車じゃないでしょうか。移動の道具だし、居住性の高い空間であり、1人でいることも、2人、あるいはもっと大勢でいることもできる。時の変化や天候の移ろいも伝えられる。
 しかし、それだけならあまりにありきたりです。
 そこで、片岡作品の大きな特徴として「2台の自動車」を読んでみたいと思います。別々の場面にあらわれる自動車ではありません。あくまで同じ時間に、同一の道路の上を、1台が前、もう1台が後ろというかたちで走っている2台の自動車です。同一線上の2台の自動車というと、映像的にはカーチェイスのようなアクションか、あるいは追跡のようなサスペンスフルなイメージがあると思いますが、どうもそれとも違うようです。
 閉ざされた箱が2つあって、それが同じ時間、同じ道を共有しながら、同時に別々の箱の時間も生きているということ。そこには交渉と没交渉の両方があり、2台の自動車が前後して走る場面が片岡作品に頻出するのはなぜなのか、考えてみたいと思います。

 高速道路を、北にむけて二台の自動車が走っていた。先頭を走っているのは、フル・サイズのステーション・ワゴンだった。二〇〇メートルほど間隔をとって、そのステーション・ワゴンを、フル・タイム4WDのセダンが追っていた。 ステーション・ワゴンにも、そしてセダンにも、男性と女性がひと組ずつ乗っていた。

「秋時雨」より

 「秋時雨」という短篇の冒頭近くの部分です。前と後ろと、男女のカップルがわずか200メートルの感覚で同じ方向に走っていく。何か関係のありそうな2台ですが、ここではまだわかりません。やがてそれぞれの車中での会話が現れ、例えば前の1台のこんなやりとりから、4人の状況が一気に見えてきます。

 「たとえばあなたが相手だと、私は女性で、あなたは男性で、ふたりは夢中でひとつになってはいても、別々のものなのね。私は、男性のあなたとひとつになって夢中なの」
 「相手が純子だと、どうなんだ」
 「そんなにぶっきらぼうに質問するものではないわ」

「秋時雨」より

 純子と呼ばれているのは、後ろの自動車を運転している女性。つまりここでは、男女、男女の組み合わせのほかに、女女の組み合わせが横たわっており、それがまた2つの男女に影響を及ぼすであろうことが予想されます。ヘテロ・セクシュアルとバイ・セクシュアルが交錯することで事態が複雑になっていると言ってしまえばそれまでだけれど、ここはやはり、2台のクルマが、わずか200メートルしか離れていない密室の中で、それぞれの会話が行なわれていることの面白さがあります。読者は容易に、この後、後ろの自動車の中の会話も描写されるはずだと期待しながら読み進めることができます。
 ちなみに前の自動車ではサリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』のある場面が話題になり、後ろの自動車では、サイモン&ガーファンクルの「アメリカ」という曲に出てくる2人はどのような関係だろう? という話題が展開されており、共にアメリカン・カルチャーのメジャーな固有名詞を引いている対照の妙も味わいどころになっています。

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『撮って、と被写体が囁く』より(写真:片岡義男)

 

 次はもっと複雑な人間関係を2台の中に見てみましょう。

 この席にすわったのはまちがいだ、と二十歳の神崎彩子は思っていた。国産のごく普通のセダンの、うしろの席の右側だった。自分の全身に散っている感受性を総動員した上での判断、というかたちで、この席はまちがいだったと、いま彩子は思っていた。
 自分はこの席に閉じこめられている、と彩子は確実に感じていた。おなじうしろの席のすぐ左側には、彩子の父親である島田五郎がすわっていた。彩子がいま使っている神崎という姓は、十年前に離婚した母親の性だった。彩子の両親は十年まえ、彼女が十歳のときに離婚した。だから彩子は、父親を十歳のときまでしか知らなかった。

「どこからでも手紙は届く」より

 「どこからでも手紙は届く」という作品ですが、これだけのセンテンスの中に、たいへんな情報量が宿っていることがわかります。彼女はいま、二十歳。姓が違い、十年会っていなくて、ほぼ他人といっていい男が隣に座っているけど、なんとそれは実の父親である。となると、では、運転しているのは誰なのか? という話になりますね。運転しているのは、どうやら自分の父親であるらしい男の「再婚した妻」です。つまり、あたらしいお母さん? やれやれ。居心地は絶対に悪いでしょう。

 すぐ前を走っているワイン・レッドのステーション・ワゴンを、彩子は見た。そのステーション・ワゴンも、交差点に接近しつつ速度を落としていた。ワゴンはやがて停止し、そのうしろに仁美はセダンを停めた。ステーション・ワゴンには、彩子の四十五歳になる母親、愛子と、七十五歳になるその父親、幸一郎の二人がのっていた。

「どこからでも手紙は届く」より

 ますます複雑。仁美、というのは再婚相手の女性の名前です。神崎彩子を「私」として事態を整理すると、前の自動車には「私」の母親と祖父。後ろの自動車には「私」の父親とその再婚相手と「私」。この5人が2台に分乗して、どうやら同じ場所をめざしています。明らかなのは、「私」にとって、前の自動車のほうがホームであり、いま座っている後ろの自動車は完全にアウェーだということ。「まちがいだ」「閉じこめられている」という意識はそこから来ています。
 彼女は、ある承諾を得るために仕方なく後ろの自動車に乗っていることがこのあと明らかになります。そして、しなければいけない話を終えた後、彼女は今度は前の車の後部座席に移ります。やっと緊張状態から解放されたわけですが、しかし「四十五歳になる母親、愛子」との関係が円満というわけでもないようで、緊張はなくなった代わりに、彼女は「目には見えない強力な囲い」がこっちの自動車には存在していることを思い知らされることになるのです。
 ようやく大人の入口に立った1人の女性の困惑と苛立ち、不安が、2台の自動車のそれぞれの閉じた時間の中に濃密に現れています。後ろから前に移動することの流れの中で、彼女はけっきょく、どちらにも安住することができません。そのことを際立たせるのが、2台の自動車という「箱」なのです。

 

信号待ち──並ぶ2台の自動車

 いささか気持ちの張りつめた2作品が続いたので、次は少年少女向け、集英社コバルトシリーズに収録した作品から、ファンタスティックな一篇を引いてみましょう。

  まもなく、午前一時になる。往復六車線の道路の、前方には自動車は一台も見えない。リア・ヴュー・ミラーをのぞくと、後方に一台だけ、自動車のヘッドライトが見える。乗用車だ。
 道路の両側には歩道がある。常緑樹の並木が静かにならんでいる。歩道には、この時間だから、人の影はない。歩道に面して建っているのは、どれもみな、ビジネスのための建物だ。ビジネス街の中心にあたるこの地区の建物は、それぞれに風格や威厳のようなものをかもし出そうとしている。どっしりと落ち着き、余裕を持った雰囲気の建物が、ならんでいる。

「無理をする楽しさ」より

 真夜中のビジネス街にポツンと自動車。前方に自動車は見えないと思ったら、どうやら後方から1台やってきます。小説の冒頭部分です。まるで映画のセットのような、書割のような雰囲気と静けさの中に、自動車のヘッドライトがあざやかに射し込んできます。
 このあと、2台は互いを認め合う展開になるわけですが、1台に1人ずつ、男の自動車と女の自動車です。「往復六車線の道路」とあるから広い道路で、もし対向車同士ですれ違っていたら、気が付かなかったでしょう。やはり、前と後ろ、でなければダメなのです。この広い午前1時の世界に、今は2人しか、2台しかそこにはいません。  ここから文庫本にしておよそ3ページほどあとに、赤信号で停まり、横の車線に並んだ2人はこんな会話を交わします。

 「ぼくの言葉が、聴こえているかい」
と、彼が言った。
「聴こえてるわ」
「いまのような夜更けの、静かな交差点で会えてよかった」

「無理をする楽しさ」より

 今回の「箱」の話はこれでおしまいです。

 

引用した本「秋時雨」「どこからでも手紙は届く無理をする楽しさ


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吹き付けるような秋時雨の中を2台のクルマが走っていく。夜もかなり深い時間だ。2台には男女が2組ずつ。合計4人。互いに恋人同士と呼んで差し支えない関係で、それは女と女においても変わりはない。


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後ろには、母親と離婚した父親と、その新しい結婚相手。前には、母親と、その年老いた父親。2台並んで走るクルマのあいだを行き来するのは、日本の大学に愛想を尽かし、外国に行こうとしている娘だ。


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これもまた「再会」の物語である。片岡義男の小説世界にあっては1台に2人が同乗することももちろんあるが、1台に女が、別の1台に男が乗り、前後して道を走るシーンの美しさが際立つ。

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2017年7月1日 00:00