東京箱入り娘(その2)|エレヴェーター篇

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北條一浩@編集部

Hojo_Blog_Midashi

 前回、片岡作品に登場する多くの女性たちが、「閉ざされた箱の中」にいると書きました。そしてそれらの「箱」の中で、特に「電話ボックス」が描かれた場面を読んでみました。今回は「エレヴェーター」です。密室度においては電話ボックスの比ではない、あの箱について。

エレヴェーター作家、片岡義男

 前回の「電話ボックス」と今回の「エレヴェーター」。共に「箱」であり「密室」であるという共通項がありますが、さしあたってひとつ、大きな相違点があります。頻度です。片岡作品においては、比較にならないほど、電話ボックスをはるかに上回る回数、エレヴェーターが現れます。確かめたことはないし、また確かめようもないのですが、小説家・片岡義男は、「エレヴェーター」という単語を、世界中のあらゆる小説家の中で最も多く書き込んだ人ではないかと私は睨んでいます。
 もともと好きで読んでいた片岡作品ですが、この度、この片岡義男.comのプロジェクトに携わるようになって短期集中で読んでいくと、そのことがよくわかります。ある時からふと気になり、100、200、300と読む作品が増えていくなかで、それは確信に変わりました。

 この季節なら一週間分の着替えその他のものがちょうどよく収まるソフト・ケースを持って、彼女はエレヴェーターに乗った。いつ、どんな時間に乗っても、このエレヴェーターのなかでは、BGMをかすかに聞くことができた。いまは、ストリングスを不必要に多用した演奏による、ビートルズの曲が、かすかに聞こえていた。五階で彼女はエレヴェーターを降りた。

「深夜の青い色」より

 まずは軽いジャブという感じで、ひとつ引用してみました。出発のシーンのようにも見えますが、「五階で彼女はエレヴェーターを降りた」とあるので、これは到着です。ホテル? いいえ、自宅です。彼女は今、1週間の出張から帰って来たところです。
 エレヴェーターの中のBGM。よくありますね。ボリュームはとても控えめ。ジャマにならない音楽ですが、ビートルズだし、「あ、あの曲だ」と思っているかもしれません。「ストリングスを不必要に多用した演奏」と意識するあたり、気持ちに余裕があります。久々に自宅に戻った安堵感でしょうか。

 ふたりは、エレヴェーター・ホールにむけて歩いた。エレヴェーターのドアのまえで立ちどまってから、
「奇しくも同じフロアですよ」
 と、彼は言った。スーツのポケットから、彼は部屋の鍵をとり出してみせた。
「お仕事で?」
「そう。月に一度は、ここへ来てます」
 エレヴェーターが降りてきて、ドアが開いた。ふたりだけで、彼らはエレヴェーターに乗った。ドアが閉じて、彼女が自分たちのフロアのボタンを押した。
 エレヴェーターを降りて、ふたりはホールから廊下に出た。壁にある部屋の案内番号を、彼は見た。
「ぼくの部屋は、むこうのほうです」
「私は、こちら」
 ふたりの部屋は、それぞれ反対の方向だった。
 さきほど彼女から受けとったメモ用紙を、彼は見た。
「ここには、電話番号が書いてありますけれど」
と、彼女を見て彼は言った。
「たまには電話してもいいのですか」
彼の質問に、彼女は微笑した。その微笑は大きく広がっていき、彼女は彼に手を振った。
「おやすみなさい」
と、彼女は言い、廊下の角を曲がって見えなくなった。

「灰皿から始まる」より

 この作品は少し長く引いてみました。微妙な場面です。少ない言葉数で会話があるからこそ、最後の「微笑」が生きていると思います。声を発するような笑みでは快諾になってしまいます。微笑はしかし、そうではない。さりとて拒否ではまったくない。というより「野暮を言うな」ということでしょうか。大きな笑みの後に言葉が出てくることはあるのでしょうが、微笑とはすなわち、言葉を飲み込むことであり、消音装置でもあります。 
 エレヴェーターは誰のものでもない公共装置です。しかし、2人以外に誰も乗っていない。長いと言えば長い、しかし何事かを説明したり、交渉したりしようとすれば、それは時間がとても足りない。そういう時間がエレヴェーターには流れています。自分たちのものではないが、同じひとつのエレヴェーター。そして同じフロア。「自分たちのフロアのボタンを押した」というさりげない一文が読者の意識を波立たせます。
 そのフロアに行くためには誰もが利用する箱なのに、そこで生活する人、長く滞在する人は誰もいない箱。それがエレヴェーターです。上階へ行くにしろ、下へ降りるにしろ、階段であれば、歩く(あるいは走る)速度を自分でコントロールできます。止まることも、引き返すこともできる。踊り場、なんて中間地点もあります。しかしエレヴェーターは、むろん、止めること、引き返すこと、時に非常ボタンを押すこともできますが、それ以外にほとんどできることはありません。乗ったら、あとはただ、立ったまま目的階に到着するのを待つだけです。

北條ブログ2_候補1『撮って、と被写体が囁く』より(写真:片岡義男)

 次はもっと無造作な、「え? この場面がどうかしたの?」と首を傾げたくなるような、ごく何でもない場面を短く引いてみます。

 ミヨコの目の前に、エレヴェーターがあった。ボタンを押した彼女は、三基あるエレヴェーターのうちどれが降りてくるのか、階数表示の明かりを見上げて待った。
フロアに先端を下ろしているこうもり傘から、雨水が流れ落ちて彼女の足もとに広がっていった。
 エレヴェーターにひとりで乗ったミヨコは、六階で降りた。傘の先端から水を垂らしながら、彼女はヒトミの部屋まで歩いた。通路の両側に、部屋のドアが規則的にならんでいた。

「真夏の夜の真実」より

 すべて14歳の少女ばかりが登場人物の短篇集『少女時代』に収録された一篇です。『少女時代』は、「死」というテーマや、「自分とは何か?」「存在とは何か?」といった問いを、むき出しの、ピュアなカタチで作中に放り込んだ危険な本で、私は個人的には片岡義男作品の最高峰のつではないかと考えています。
 この短篇は、ある事件が起きてしまったちょうど1年後の「その日」に少女たちが結集してある地点に向かうという、たいへん不穏な空気感を持った作品ですが、まだ小説が始まってまもない地点の、ややぼんやりとしたゆるさとけだるさがありながら、少しずつ緊張が迫っていることも、なんとなく感じさせる場面になっていると思います。
 エレヴェーター、という無名性。それが「三基ある」こと。降りた階には「部屋のドアが規則的に並んで」いること。傘。雨。階数表示を見て時間をやりすごすというのは、エレヴェーターに乗ったことのある、あるいは待ったことのある人なら、おそらくほとんどの人に憶えのある行為でしょう。
 ここには、天候もそうですが、晴れやかさはまったくありません。ワクワクもしていない。しかし少女は別の少女の所に行く必要があり、そこにはいくらかの焦燥感もあるかもしれません。タイトルにある「真夏の夜の真実」とはいったい何なのか、エレヴェーターとともにジリジリと宙吊りになりながら、読者はしばし待たされます。

エレヴェーター あたらしさに向かう箱

 今回、エレヴェーターをめぐる3つの短篇、3つの場面を読んでみました。どれもインパクトの強いシーンではなく、むしろ引っかからずに通り過ぎてしまう箇所かもしれません。しかしこれらに共通して私が認識するのは、あたりまえ過ぎてバカバカしいと思われるかもしれませんが

 ① エレヴェーターとは時間の経過である
 ② エレヴェーターは、上に行ったり下に行ったりする時に使うものである

という基本についてです。
 彼女たちは、ごく短い、けれども何もしない時間としては長く感じられもするこのエレヴェーターという密室の中で、あたらしい自分、あたらしい場面に向かう準備をします。気持ちを切り替えます。そして、上昇したり、下降したりすることは、いわば今まで自分が所属していた現実からしばし離れて、ある種の異次元に参入することでもあります。ヨコではなく上下、というのはそういうことです。
 あたかも瞬間移動のように、いきなり異次元に出てはたまらない。しかし、階段では、自分の意志が介在しすぎて、匿名の時間にアクセスしにくい。そこで、エレヴェーターという、無味無色無臭の装置が登場するのです。

 小説家・片岡義男は、その作品の中にエレヴェーターを頻繁に登場させることで、現実と異次元を自在にスイッチしている。それはもはや作家の生理のような、呼吸のような領域にまで達している。
 私はそんなふうに、片岡義男作品を読んでいます。

引用した本「深夜の青い色」&「灰皿から始まる


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妻の親友を口説く男。浅はかな企みの行くつく先は? 二人の女はかつてのように真夜中に語り合う。微笑と苦笑、夜のブルーが饒舌をさそう。


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目の前に灰皿があれば、あとはそこに人物を配し、場所を設定し、どんな季節か、どんな身分か、といった要素が加味され人物の過去なども語られると、なおも作品はおもしろくなる。

*表紙クリックで立ち読みページへ。


「真夏の夜の真実」は2017年6月23日発売予定です。


 

2017年6月1日 00:00