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片岡義男.com 全著作電子化計画

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お知らせ

小説『と、彼女は言った』より4作品公開!

毎週月曜日に、これまで片岡義男.comでは未公開だった小説作品を公開していきます。

(底本:『と、彼女は言った』2016年、講談社)

『おでんの卵を半分こ』という短編小説で、自らの裸身を撮影することに熱中している立花香代子は、ウェンガーのポケットナイフを持ち歩いてます。銃刀法違反にはならない小さなナイフですが、場合によっては軽犯罪法に抵触する場合もあるため、持ち歩くことが問題視される場合もあるかもしれません。しかし、この小説のように、例えばおでんの卵を半分にしたいといった場合など、日常生活に於いて、小さなナイフやハサミは持ち歩くととても助かることが多いツールでもあります。歯が悪く、食事用のハサミを持ち歩いている人も知っています。この方の場合は役に立つどころか、これが無いと外食ができないのですから必需品です。そして、香代子同様、他人とシェアしたい時や、食べにくいモノを食べる時、よく切れるハサミやナイフは、本当に重宝するのです。それはこの物語の主人公である友納も真似するよなあと思うのです。

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この『だから靴は銀色だった』という短編小説は、小説の正体に迫った作品です。物語の中には、作家の森崎の知人であるという以外には接点のない二人の女性が、それぞれ別の場所で、同じ銀の靴を履いています。森崎は、その一方の女性の靴をバーで見て、その靴が雨上がりの濡れた道との対比を想像します。同じ頃、森崎の家で平野メイリーという女性と出会った、俳優の稲葉もまた、メイリーの銀色の靴を見て、雨上がりの黒い道に銀の靴が似合っている情景を想像しています。雨上がりの夜、作家である森崎と作家的想像力がある稲葉が、同じイメージを想起する、そのために二人の女性は銀の靴を履いてます。それが小説的必然であり、偶然ではないと、そのタイトルが言っています。

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インタビューや取材ものの文章の最後に、ちょっとしたフィクションを入れるのは、ライターの常套手段です。みんながそうとは限りませんが、この『バスの座席へのセレナーデ』に登場する稲葉や私にとっては、それはさほど珍しいことではなく、つまりそれは、ニュースや論文ではなく、読者に楽しんでもらうための読み物だということです。この短編小説の中で、ストリッパーの北原玲美がバスに乗るシーンが唐突に挿入され、後で、それが伊達の想像の中の出来事だということが明かされます。小説の中では、それが実際に起きたことでも、想像でも、どちらもフィクションであることに変わりはなく、その複雑なレイヤーの重なりが、読者の記憶を刺激します。片岡義男の小説には、いつも複数のレイヤーが仕掛けられていて、そこが面白さに大きく関わっています。

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物語には基本の形というのがいくつかあって、例えばジョイスの『ユリシーズ』や映画『マッドマックス怒りのデスロード』のような、行って帰ってくる物語が有名ですが、この小説のタイトルにもなっている『どこから来て、どこへ』行くのか、という形も、多くのビルドゥイングスロマンなどで使われる代表的な形のひとつです。そして、この形は、作中で作家の根岸忠幸が語るように、どこで終わるかが問題になります。「どこで」は場所でもあり、場面でもあります。そして、それが物語を成立させる形である以上、それを間違えると小説になりません。それを作中で見事に提示する片岡義男の手腕にゾクリとさせられました。余談ですが、アメンホテップは、あのツタンカーメンの義母であるネフェルティティ王女の配偶者です。

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2021年2月1日 00:00 | 電子化計画

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