アイキャッチ画像

トンカツと生卵の小説

縦書きで読む

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

 一九七五年あるいは七六年。場所は銀座の文壇バーのひとつ。そのバーの名前も場所も、僕は記憶していない。そこへはそのとき一度いったきりだろう。しかも雑誌の担当編集者に誘われ、連れていかれた店だから、よけいになにも覚えていない。なぜ僕が文壇バーへいったのか。吉行淳之介さんにうちの編集長が銀座で会うことになっていて、自分もこれからそこへいかなくてはいけない、よかったらカタオカさんも誘ってこいと言われてるので、どうですか、これからちょっと、という特別な機会だったからだ。銀座とは、吉行さんが常連だった何軒ものバーのうちのひとつ、という意味だった。

 店の奥の席、あるいは片隅にそこだけふと切り離されたような、ひとつのグループが落ち着けるような席だった。テーブルを囲んで半円に席があり、すでに到着していた吉行さんが奥のまんなか、そして雑誌の編集長が一方のかたわらに、副編集長が反対側のかたわらに、すわっていた。僕と担当者は、席の両端にそれぞれ腰を降ろした。

 編集長はその頃の吉行さんと、ほぼ同世代の人だったのではないか。年齢には差があったとしても、三年かせいぜい四年だろう。編集長からそんなことを聞かされた記憶が、うっすらとある。副編集長はいくつか年下で、当時は三十代のなかばだった僕から見ると、すぐ上の兄、というような年齢だった。そして僕の担当者は、僕より年下の二十代の青年だった。

 編集長の男性が一九七五年に五十歳だったとすると、彼は一九二五年生まれであり、太平洋戦争が日本の敗戦で終わった年には、ちょうど二十歳の青年だったことになる。吉行さんが彼と同世代なら、吉行さんもこういう時代背景を自分の体のなかに持った人だったと言っていい。そしてそこからかなりあとの世代として僕や副編集長がいて、そのさらに下に、担当の編集者がいた。僕は敗戦のときには五歳だった。

 こういった年齢分布は、これから書こうとしている話にとっては、特に重要だ。単に年齢が問題なのではなく、その人の生がいつから始まり、どのような時代のなかでどんなふうに育って感受性を形成したか、という問題にまで広がるからだ。いつ生まれ、どんな時代をどう育ったか。問題を核心まで削ぎ落とすと、ひとりの人とはこれにつきる。これこそその人であり、これのすべては体験つまり記憶として、その人の体のなかにある。記憶が充満している体を、その人はいまどのように使っているか。ひとりの人とは、つきつめれば、こういうことだ。僕は戦後しか知らないといつも言っているが、幼児がその身辺になんとなく感じ取る雰囲気のようなものとして、戦中の記憶をごく淡く、ほんの少しだけ持っている。

 文壇バーでの吉行さんの話は面白いものだった。僕たち四人を相手に、彼は面白い話をして、僕たちをひとりでもてなした。話とは、たったいま僕が書いた、その人の記憶として体のなかにあるものだ。それを四人の人を相手に面白く語って飽きさせない、という体の使いかたの出来る人なのだ、という思いをそのときの僕は持った。その思いは感銘と言ってもいいほどのものだった。

 どんなふうに展開してそうなったのかはまるっきり覚えていないけれど、いま考えなおすと、吉行さんは彼なりのきわめておだやかなやりかたで、そこへ話を誘導していったのではなかったか、と僕は思う。人がものを食べるとは、という話の入口のところで、空腹は最高のソースだと言われているけれど本当だと思うか、というようなことを彼は言った。ソースとは瓶に入っているあのソースだけではなく、それも含めて、フランス料理で言うところのソースまでの広がりを意味するのであり、意味だけをとるなら料理のしかた、料理の腕前、料理の出来ばえ、といったことだろう、というあたりで話はひとしきり盛り上がった。

 空腹ならたいていのものはおいしく食べることが出来る、というひとまずの結論が出て、腹がへってればなんでもうまいのか、と吉行さんは僕に言った。気の利いたことをとっさに答えなければならないと思った僕は、要するに記憶の問題でしょう、という理屈を答えた。人とはその人が持っている記憶の総体なのだから、あらゆる問題は記憶へと戻っていく。したがってどんなことでも記憶の問題だとしておけば、理屈としてはまっすぐにとおる。僕の返答を微笑で受けた吉行さんは、トンカツの話を始めた。トンカツを食べたくてたまらないけれども、おかねがなくて食べられないときのトンカツ、と言うべきか。

 ご飯はあるけれど、全身全霊で希求しているトンカツは、経済状態の問題として食べられないとき、しかたないからキャベツの細切りにソースをかけて食べる。口いっぱいに頰張ったご飯を嚙みながら、ソースをさっとかけたキャベツの細切りを箸にたくさんつまみ、それを口に押し込むように入れ、ご飯とともに勢いよく咀嚼していく。ご飯もキャベツも、なかばほど嚙んだところで、飲み下す。ご飯とからみ合った細切りのキャベツが食道を下っていくとき、ソースの匂いのかなたに、あるいはそのすぐ隣に、ほんの一瞬、トンカツの味と感触がある。吉行さんが語ったトンカツは、このようなトンカツだった。

 こんなおいしいものはない、と思いながら食べたトンカツの記憶をおかずにして、いまはご飯とソースをかけた細切りのキャベツだけを食べる、という話だ。僕が言ったような、要するに記憶の問題ではなく、まさに記憶の問題そのものではないか。かつておいしく食べたトンカツの記憶を強引に呼び戻す道具として、ソースをかけたキャベツの細切りが登場している。

 このトンカツの話は、その場に居合わせた人たちにたいそう受けた。話はつうじたのだ。僕にも原理はよくわかった。いちばん若い二十代の青年も、その気持ちは身にしみて理解出来ます、などと言っていた。二〇〇五年の二十代後半の青年にこの話をして、つうじるだろうか。トンカツそのものがわからない、ということはまだないと思うが、ソースをかけただけのキャベツの細切りをご飯とともに勢いよく嚙む途中で飲み下す、という一連の行為のなかに潜む原理は、ひょっとしたらつかめないかもしれない。二〇〇五年に二十五歳の青年はじつに一九八〇年の生まれなのだから。

 トンカツの話に続いて、吉行さんは生卵の話をした。ご飯しかないとき、生卵一個でいいからここに割ってかけたなら、どんなにおいしいだろうかと思念しつつ、ご飯に醬油を少しだけかけ、かき混ぜる勢いそのままに口いっぱいに頰張り、半分ほども嚙んで飲み下すなら、トンカツの場合とおなじく、食道を下っていくほんの一瞬、生卵をかけてかき混ぜたご飯の味や匂いがする、という話だった。明らかにトンカツの話のヴァリエーションだ。生卵の話がオリジナルで、ソースをかけた細切りのキャベツという道具立てのあるトンカツの話のほうが、ヴァリエーションか。優れた作家にはヴァリエーションを作り出す才能が、深く豊かに、まるで本能のようにそなわっている。これがないと作家としては前後左右あるいは上下のどちらへも、一歩以上には動きがとれずどうにもならない。

 このトンカツや生卵の話を、吉行さんは一杯のご飯から思いついたのではないか、と僕は想像を楽しむ。どちらの話にも共通して存在し、これなしではどらちも成立しない要素は、ご飯なのだ。このご飯にせめて一個の生卵をかけることが出来たなら、ああ、それはどんなにおいしいことだろう、というような体験が現実にあったかどうかは、本質にはまったく関係ない。ご飯だけではなく、おかずが豊かにある楽しい食事の席で、手に持った飯碗のご飯から思いついた話である可能性は、充分にある。吉行さんが僕たちに語ったトンカツや生卵の話は、記憶に支えられ助けられつつ、今日という日をなんとか生きていくという主題の、小説なのだ。

 この幻の生卵の話にも、文壇バーの席で僕たちは笑った。面白さの核心が、どの人にも伝わったからだ。「確かにそれはありますねえ。飯だけがあってほかにおかずがなく、醬油をちょっとかけて食った、という記憶は自分にもありますよ。しかも一度だけではなくて。久しぶりに今夜、帰ったらやってみようかなあ。いつもはお茶漬けだけど、今夜はそれはやめにして。飯はいつも炊飯ジャーにあることだし」と、編集長は乗り気だった。「いまから生卵、生卵と思ってると、飯をよそった勢いで、うっかり生卵を割ってかけてしまいそうだね」副編集長がささやかな杞憂の念を披露した。「そのときはそれを食えばいいんだよ」と吉行さんは言った。おだやかに楽しんでいるきれいな笑顔のなかで、おなじくきれいな目が、静かに醒めていたと僕は記憶している。

底本:『白いプラスティックのフォーク──食は自分を作ったか』NHK出版 2005年


2005年 NHK出版 『白いプラスティックのフォーク』 キャベツ ソース トンカツ バー 吉行淳之介 生卵 白いプラスティックのフォーク 銀座
2020年5月17日 07:00
サポータ募集中