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あの夏の女たち

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 まずはじめに、彼女の頭が見えた。海の水に濡れた髪が、うなじにはりついていた。すんなりとした首と、ひきしまって無駄のない肩が見えた。それから、胸の三角形の小さな布きれと細いひもの組み合わせでできているビキニ・トップの胸が見えた。両腕の大部分が、あらわれた。右腕にサーフボードをかかえていた。六フィート一インチほどの、スワロー・テイルだった。

 波打ちぎわから長い砂のスロープを歩いてきた彼女は、そのスロープの終わりにかなり急な傾斜とともに横たわっている砂丘をむこうがわからのぼってきて、頂上に出ようとしているところだった。

 のぼってくるにつれて、彼女の全身が、上から次第に明らかになっていった。くっきりと、なんのよどみもなくくびれた胴。そして、美しい曲線をかたちづくって張り出している腰。

 その骨盤に二本の大腿骨がしっくりとはまっている。丸く張った女らしい量感をすんなりとひきのばした太腿、そしてきわめて機能的な小型の両ひざ。それから、心地よく緊張したふくらはぎと、砂丘をしっかりと踏みしめる両足。

 彼女は、砂丘の頂上に出てきた。

 肩ごしにちょっと海をふりかえった彼女は、砂丘のてっぺんの、草が生えはじめているところにあるシャワー・ストールまで、歩いた。

 砂丘をのぼってきてシャワーまで歩くあいだ、そしてシャワーを浴びているあいだずっと、彼女の体は黒いシルエットだった。西の空では日没の時間がはじまっていて、彼女のむこう、ずっと遠くにある空は、いちめん、燃え立つようなオレンジ色だったからだ。

 砂丘のこちらがわはたいしたスロープではなく、ごくささやかな公園をはさんで、ハイウェイからひとつ裏に入った一車線一方通行の道路だった。

 シャワーを浴びている彼女が、ちょっと高い位置のちょうど正面に見えるところに、ぼくとサーファー・フレンドは、車をとめていた。一九五〇年代のものだということはわかるが、正確な年代は不明のシヴォレー・インパラの運転席のなかに、ぼくたちはいた。おんぼろな、ほんとうにおんぼろな自動車の運転席はなぜか気持ちが落ち着いて居心地が良く、なんとなく道ばたに車をとめ、運転席のなかでぼんやりしていることが、日没の時間にはよくある。このときも、そんな時間だったにちがいない。

 気持ちよさそうに、彼女はシャワーを浴び続けた。空をあおいで顔に水をうけ、ビキニ・トップをはずして胸に水を受けた。首を垂れて頭を水で叩かせ、背中に水をひとしきりあて、片脚ずつあげては太腿を水といっしょに両手でこすった。

 かなり長いあいだ続いたシャワーの仕上げというわけでもないのだが、ビキニ・ボトムの正面をひっぱると同時に腹をへこませ、腹とビキニ・ボトムとのあいだにすきまをつくり、そこにシャワーの水を落下させ、流入させた。

 これがじつに長く続いた。サーファーの友人はあからさまなことを言い、それにぼくたちは笑った。けっして下品な笑いではなく、なにか非常に適確に正しいものを見たときの、あまりにも心から納得でき、したがってうれしくなって思わず笑うといった、そのような笑いだった。

 サーフ・ボードといっしょに海ですごした時間のしめくくりとして、彼女が見せてくれたシャワーの浴びかたは、きわめて正しかった。

 シャワーをおえた彼女は水をとめ、小気味よく首を振って濡れた髪を顔からはねのけ、しゃがんでサーフ・ボードを持ちあげて右腕にかかえ、砂丘の頂上をシルエットのままむこうへ歩いていった。

 このときのオアフ島北海岸は冬のシーズンの終わりちかくだったが、ドン・ホーの『夏の女のこたちに乾杯』という歌がヒットしていて、カーラジオで何度も聴いた。

『コーヒーもう一杯』角川文庫 1980年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『僕が書いたあの島』太田出版 1995年

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2016年8月23日 05:30
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