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誰もがリアリズムの外で(2)

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 首相と大統領が戦後初の急接近をした直後 に 9.11 があり、それに続いたアフガニスタンとイラクでのアメリカの軍事行動を、テロとの戦争として首相は全面的に支持した。そしてそのことによって、戦後ずっと日米関係のなかに維持されてきた一定の距離というものが、いっきにゼロになった。このような距離がゼロになるとは、アメリカの軍事行動に合わせて、日本もなんらかの軍事行動をせざるを得なくなる、ということだ。その行動の一例が、イラクへの自衛隊の派遣だ。国家というものが日本から抜け落ちきったときに、まるでタイミングを意図して正確に計測したかのように、国家が厳しく試される事態がこのようにして発生した。

 国家がまともに機能しているなら、イラクに対してアメリカが軍事行動を開始する以前から、いずれなんらかのかたちで自衛隊が中東へと引き出されることは、予測ではなく確定として、みずからの機能の内部に取り込んでおくことが出来たはずだ。イラクそして自分たちにとって、もっとも好ましい参加はどのような内容のものであり、それを可能なかぎり実行に移すにはなにをどうすればいいか、主要な戦闘の終了宣言があった頃には、計画の全貌が明らかになっていたはずだ。人道的支援のための派遣なら、インフラストラクチャーの応急的な再建しか仕事はない。しかしその現場はまだ戦場なのだから、治安警備とそれにともなってかならずや発生するはずの、攻撃を受けて応戦するという仕事、つまり戦闘任務をも完遂することの出来る組織が派遣されなければならず、そのような組織は自衛隊しかない。イラクの人たちが緊急的に必要としている復興作業を充分に成し遂げることが出来るなら、自衛隊は国家として派遣するほかない。アメリカとの約束だから派遣するという、こちら側の国家が抜け落ちた上での対応だと、派遣そのものが問題となり、違憲や安全、戦闘や非戦闘といった事柄にからめ取られ、現場であるイラクの情勢に関する情報収集すら、軽視されることになる。

 圧政から解放されたイラクは国をその根底から作りなおしていくのだから、日本から送り込まれる支援組織は、必要にして充分な人数でなければならず、しかも長期にわたって現場にとどまることになるし、イラクの復興と再生の次元に合わせて、柔軟に対応出来る態勢のものでなければならないのも、当然のことだ。日本による自衛隊の派遣には、アメ リカの同盟国として、そしてコアリション・フォーセズのひとつとして、象徴的な意味合いがかならず重なる。いつ派遣するのかと各国が見守るなかで、適切な時期を大きく後方へとずらせての派遣だから、象徴としての意味がもっとも大きくなったのを見計らっての派遣、という奇妙なものとなる。ほれごらん、こんな少数だよ、これはまさに象徴だねと誰もが思うのではないか。なにのための象徴か。アメリカとの約束をなんとか果たした、 という象徴。そして、アメリカの顔をこれもなんとか立てた、という象徴。

 国の再建をめぐってアメリカにかけた期待が大きくはずされて、イラクの人たちは怒っている。日本がアメリカと連動していることは、彼らにとってさほどの問題ではないとし ても、日本にも期待を破られると、人々の落胆や失望は大きい。大きければ大きいほどそれは怒りにも変わるだろう。国家とはなにか、それがどうあるべきか、そしてどのように機能すべきかなど、いっさい考えたこともない人たちが国益を云々して行動すると、こういう結果につながる。

 イラクが必要としているものはなにか、現地の情勢に密着して詳しく確認する。イラクとの双方向のコミュニケーションを緊密に保つ。そのチャンネルのなかで、イラクの必要に応える日本というものを徹底させ、それをイラクぜんたいに、そしてアラブ全域に、常にきめ細かく広報しておく。日本から誰が現地へ支援に出向こうとも、その組織は日本の延長であり日本そのものなのだから、イラクにそのような日本を作り、イラクの復興をめぐる日本の意思をそこに打ち立てる。国家がまずやるべきことの基本はこのあたりだが これを日本はやったかどうか。やっていないと僕は思う。日本はこういうかたちで相手と口をきこうとしない。顔の見えない日本、という外国からの批判を日本はいまでも気にしているが、顔が見えないとは口をきかないということだ。航空自衛隊は輸送機を使って物資輸送の任務を引き受けるという。この物資のなかに、米英軍の武器弾薬さらには兵員が含まれる、という現実的な可能性はあるのかないのか、という議論があった。おなじ質の非現実的な議論がいたるところに発生した。インド洋には日本の給油艦が派遣されていて外国の艦船に対して燃料を補給する任務についている。日本の給油艦から燃料の補給を受けたアメリカの航空母艦が横須賀に戻って来た。空母の艦長は日本の給油艦の活動に関して、感謝の言葉を埠頭で述べた。この空母はイラクへの武力攻撃に直接に参加していた。 燃料を供給する任務をとおして、日本もイラクへの武力攻撃に参加したことになるのでは ないか。こういう議論もあった。これに対する日本政府の回答は珍妙なものだった。日本の給油艦から受け取った燃料は、その空母が戦争行為をおこなう地点に到達する以前に使い果たしてしまったから、したがって日本は戦争行為に参加したとは言いがたい、という回答だ。

 こうした非現実的な論議はすべて、国家が欠落している事実の上に立っている。国家がないから、現実的な意味では国軍も、じつは存在していない。自衛隊を持つのは再軍備ではない、戦争をするのではないから戦力なき軍隊だ、防衛に専念するのだから憲法には違反しない、というような歴史の延長線上に、自衛隊はいまもある。戦後の日本に国家がな かった歴史と、見事なまでの呼応の関係を、両者は結んでいる。

 二〇〇三年五月、有事関連法案を審議していた国会で、首相は「自衛隊は実質的には軍隊だ。しかるべき名誉と地位をあたえる時期が来る」と発言した。いまはまだなんの名誉もないのか、という問題は傍らに置いておくとして、この発言の意味するところは、憲法を改正して日本は軍隊を持つことにし、自衛隊がその軍隊になる、ということだろう。憲法を改正して自衛隊を軍隊にすれば、そこに軍隊の名誉と地位が発生するという考えかたは、ナイーヴに過ぎる。軍隊にとって任務の現場は戦場だ。相手からいつどのように、ど れだけ撃たれてもいいけれど、こちらからも勝つまでは存分に撃つ、というのが戦場のリアリティだ。そして軍隊の名誉が成立するのは、ここにおいてであり、ほかにはない。ではどのような軍隊なら、戦場のリアリティを引き受けることが出来るのか。

 およそ考え得るありとあらゆる意味において、現実的に最精鋭の軍隊のみが、戦場のリアリティを引き受ける。戦争とは関係のない災害時の救援活動や人命救助なども含めて、人材も装備も最強の精鋭へと鍛え上げられた軍隊だ。そしてその軍隊には国家の完全な後ろ盾があり、国家はリアリズムの極致において、本気でなければならない。本気ではない、腰が引けている、中途はんぱである、軍隊に関してなにも知らず素人同然である、なにを考えても現実とはすれ違う、といった非現実性のなかでほどほどのところに収めるような扱いでは、憲法をいくら改正しても軍隊の名誉にはならない。

 いまから十数年前のことだったと記憶しているが、当時の日本が独自に開発した、最新鋭の戦車が完成して披露された。関心を示して見に来た人たちのなかにイスラエルの軍人がいた。この軍人のコメントを僕は雑誌で読んでいまも記憶している。「よく出来た玩具 だ」というコメントだった。 このコメントは彼が見た最新の戦車だけに限定されるものではない。組織や人材のすべてに否応なしにおよぶし、軍隊としてのリアリズムがどこにあるかという、国家にとっての根本的な問題にまでおよぶ。最新鋭の装備を玩具だと言われた軍隊にとって、名誉はいかにして獲得出来るものなのか。憲法を改正しさえすれば自衛隊は完全な国軍になる、と思い込んでいる人はたいへん多い。装備が種類の上で揃っていれば、首相の言うとおり「実質的には軍隊」かもしれないが、現実には軍隊ではない。

 イラク特措法で自衛隊に認められている武器の使用は、正当防衛と緊急避難の場合だけだ。そして実際に使用するにあたっては、部隊行動基準として、使用の手順が細かく規定してある。攻撃を受けたなら一時的に応戦はするものの、活動は休止して危機を回避する、追撃は出来ない、といった手順や細かさだ。このような規定は戦場ではなんの意味も持たない。だから戦場に足を踏み入れた瞬間、現場の指揮官の判断で、規定はいっさいなしということになるのだろう。追撃のヴァリエーションのひとつに、拉致された隊員や民間の同胞を奪還しにいく、という状況がある。武器の使用基準や手順を細かくきめていくと、こうした奪還の状況ではどのように武器を使えばいいのか、奪還作戦をおこなっていいのかどうか、まるでわからなくなる。おそらくその結果のあらわれのひとつなのだろう、日本のNGOの人たちが拉致されても、自衛隊員たちによる救出や奪回は、現地での活動のなかに想定されていないという。

 どこまでなら憲法に違反しないか、どこからが違反になるのか、という考えかたは軍隊のものではない。強いて言うならそれは警察のものだろう。憲法をまるで刑法のようにとらえている。自衛隊のいちばん最初のかたちは警察予備隊と言い、警察になぞらえたものだった。再軍備ではない、軍隊を持つのではない、という逃げ道のひとつとして警察になぞらえて警察予備隊としたことが、いまでも尾を引いているのではないか。国家はないから国軍もなく、あるのは警察の一種であり、「実質的には軍隊だ」と言う首相は、ここでも間違っているかもしれない。

 大規模で主要な戦闘は終了した、とアメリカの大統領が宣言したあとに絶妙の間を取って、日本が地上軍の削減を特にアジアに向けて発表する提案を僕はどこかで読んだが、いいアイディアだと思う。戦闘部隊によって達成されることは殺戮と破壊を別にするとほとんどなく、したがって時代遅れであるから防衛に関してはその根底から考えなおす必要が あり、地上軍の再編に合わせて削減がともなうというようなことを言えばいい。再編は現実に常に必要だし、必要ではない部分をかなりのところまで削減しても、防衛能力に影響をあたえずにおくことはいくらでも出来る。

 アメリカが派遣を求めてくるのは軽装備の地上部隊、つまり警備と治安の維持そして必要とあらばゲリラとの市街戦を任務として引き受ける、最小限でも三千人の兵員だと読めていれば、地上部隊削減の発表はたいへんな効果を発揮する。イラクに自主政府が確立されたなら、そこからの復興と再生に関して、日本があらゆる支援を惜しまない方針であることを、暫定当局にでもいいから伝え続け、具体的な支援の端緒として、イラクが日本に対して持っている債務の全額を放棄するといい。アメリカから言われてようやく、かなりの額の放棄を日本は表明した。債務の履行があてにならないのであれば、イラクをめぐる日本独自の考えかたの一端として、効果的な早い時期に、全額を放棄するくらいのことはあっていい。自衛隊を派遣する必要は、このふたつの措置でいっさい消えてなくなる。

 日本政府の言動や意思決定、判断などに国家が欠落している様子は、あげていくときりがない。国家がないから、軍隊もあるようでいてじつはなく、誰もがリアリズムの外で非現実的な論議を繰り返す。事態はなにひとつ進展していかないが、時間は容赦なく経過していき、それにつれて、イラクならイラクという現実は、刻々と変化を遂げていく。その変化にきちんと対応することはもちろん出来ない。いったいどうするのかと、国の内外から言われれば言われるほど、袋小路の奥へと追いつめられていく。そしてついに時間切れとなり、それまで続いたなし崩しの仕上げをするかのように、なんの根拠も信念もないま まに、えいやっとばかりに、出たとこ勝負の選択をしてしまう。これでなにごともなければ自己満足にひたるのも可能だが、なにごとがなくてもじつは誰のためにもならず、国益などはとっくにどこかへ飛んでいるだけではなく、いろんな方向に取り返しのつきがたいマイナスの効果を生んでいる。そのようなリスクを引き受けコストを支払いながら、これからの日本はひとつずつ学んでは国家を作っていくほかない。

底本:『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』NHKブックス 2004年

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2004年 『影の外に出る──日本、アメリカ、戦後の分岐点』 アメリカ 憲法 戦後 政治 日本
2016年8月10日 05:30
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