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なにげなく読んだ小説のなかに、自分自身を発見する喜びと驚き。なぜこの主人公は自分なのか

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 僕はついにみつけた。会ったこともないアメリカの人が書いた小説のなかに、僕は自分自身を見つけた。二、三年まえに読んだシオドーア・ウィーズナーの『自動車泥棒』の主人公は、僕だった。人生のほぼなかばにして、僕は小説のなかにはじめて自分を発見した。

 主人公の生いたちや生活環境、家族関係など、いっさいが僕の場合とは完全に異なっている。共通するところはなにひとつない。しかし、主人公は僕なのだ。身につまされるとか、その気持ちはよくわかるとか、あるいは人ごととは思えないほどの強い共感を覚える、といったような次元とはまるでちがう次元で、この小説の主人公のなかに僕は自分を見た。

 小説の時代背景は一九五九年だ。場所はミシガン州、季節は冬だ。主人公の青年は高校生だ。両親は離婚し、彼は父親とふたりでアパートメントの部屋に住んでいる。父親は自動車工場で働くブルー・カラーだ。三つ年下の弟は、離婚した母親とともに、かなり離れた場所に住んでいる。母親はすでに再婚している。

 主人公は自動車を次々に何台も盗む。盗んでどうするわけでもない。なんのあてもなく乗りまわしたあと、路上に放置する。そしてまた次の自動車を盗む。彼は警察につかまる。高校から少年院のような施設に移される。そこでの日々を終えて、彼は出所してくる。もとの高校に戻る。弟に会いにいったり、なんとなく町を歩いたり、デートの準備段階のようなことを途中までおこなってみたりという、一見したところごく普通の時間が経過していく。もう一度だけ、誰にも知られることなく、彼は自動車を盗む。父親が自殺する。ハードウエア・ストアで買ったばかりの、安物の新品のライフルを使って、父親はアパートメントの部屋で自らの頭を射ぬいて死んでしまう。主人公の青年はアメリカ陸軍に入隊する。おもな出来事をあらすじのように拾っていくと、この小説はこんなふうな世界を扱っている。

 一九五〇年代の終わりの、五大湖に近い地方での冬の小さな町の感触については、僕は直接の体験を持っているが、それ以外では主人公と僕とのあいだには、事物で共通するものはなにもない。僕の両親は離婚しなかったし、父親は寿命をまっとうした。そして僕は自動車を盗んだことはない。それでもなお、僕は主人公に自分を見た。このことをどう説明すればいいだろうか。

 主人公の青年は、特別にひどい目に遭っているわけではない。どうしようもない馬鹿でもない。むしろ彼は賢い。冷静でもの静かだ。いいバランス感覚を、自分の内部にごく無理なく持っている。彼の置かれている状況は、アメリカの日常生活としては、なんら不幸なものではない。しかし彼は口をきかない。少なくとも直接話法で書かれた台詞としては、彼はほんのふたことみことしか、口をきいていない。全編をとおして主人公がこれほどまでに口をきかない小説も珍しい。僕ははじめてだ。僕は彼のような人ではないし、幼い頃からやや軽率な言いたい放題の人だが、それでもなお、この小説のなかの彼は僕だ。

 彼が置かれている状況は、恵まれた境遇とは言いがたい。と言うよりも、ほんの一歩か二歩、歩きかたをまちがえただけで、縁を踏みはずし底にむけて転落していきかねない、きわどいあたりに彼はいる。それが彼の現実だ。そして現実は逃れようがないから、その現実を彼は受けとめていかなければならない。口などききようがない、というありかたは、そのような現実のなかで彼が身をもって示す正解のひとつだ。彼が身を置いているようなアメリカは、僕にとってもおそらくもっとも共感できるアメリカなのだろう。そして僕は、そのようなアメリカがもっとも好きなのだ。

 ぜんたいにわたって、細心の注意を払って抑制をきかせた書きかたを、著者のウィーズナーは見事にコントロールしきっている。そのような書きかたのなかで、もっとも抑制がきいて素晴らしいのは、父親の自殺に対する彼の反応だ。彼は、きわめて彼らしく、冷静に、必要にして充分なだけの反応をする。そして残りのすべては、おそらく心の深いところに、たたみこんだはずだ。父親というひとつの現実、つまり父親が持っていた強さと弱さの両方を、彼は自分の強さと弱さとを合わせた上で、受けとめただけだ。それ以上のことは出来ないし、する必要もない。

 最後の二ページのなかで、彼は二度、鏡のなかの自分を見る。父親の遺品である髭剃りとブラシを使って、軍隊の宿舎のなかで最初に彼が髭を剃る場面だ。父親が使っていたブラシで石鹸の泡を立て、それを顎や頬に塗る。その顔を彼は鏡のなかに見る。自分の顔のなかに彼は父親を見る。髭を剃り、きちんと制服を着てタイをしめた彼は、その自分をもう一度、鏡のなかに見る。そこには自分がいる。まぎれもない自分だ。これひとつでやっていかなければならない、弱さも強さもあわせ持った、ひとつだけの自分だ。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『本を読む人』太田出版 1995年


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2015年10月28日 05:30
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