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ある種の恋人は現場に戻って回想する

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 パトリス・ルコント監督は、好みのものをじっと見つめて観察するのが好きな人だ、と僕は思う。自分の好みのものをいつまでも自分のものとしていたいから、彼はそうする。見つめ観察する対象がたとえば彼女というひとりの女性なら、彼女が持っている自分好みの体つきや顔立ち、なにげない身のこなし、ふとした視線の動きなどだけではなく、そのときその場に彼女および自分を中心にして漂う雰囲気、空気の動き、香りなど、そのときそこに流れる時間のすべてを、そのまま自分のものとしていつまでもとどめておきたい、と彼は願う。そのような願望はペシミズムから生まれるものであり、ルコントの場合は幸いにもそれは映画の創作の原動力として機能している。

 じっと見つめ観察した時間がとっくに遠い過去になっても、なおそのような行為を続けたいと願う人には、回想という苦く甘い武器がある。ルコント監督の論理的心情にとって、『髪結いの亭主』の次に位置するこの『イヴォンヌの香り』という映画は、回想するひとりの男性の現在から、彼にとっては回想に値する過去が、描かれている。一九五八年の夏、イヴォンヌという女性をめぐって発生した出来事を、それから十二年後にその現場つまり思い出の場に舞い戻って、彼は回想する。

 というような、自分好みの題材とその構造を、ルコント監督はパトリック・モディアーノの小説に見つけた。それはおそらくいい小説なのだろう。映画のなかの台詞を要所ごとにひとつずつ拾っていくと、回想の対象となっている出来事の核心である、ひとりの女性の魅力的な輪郭が浮かんで来るのだから。遠いあの夏、レマン湖の近くのホテルで、彼は彼女にひと目惚れをする。ふたりは知り合い、親しくなる。湖を渡る白い船の甲板で、まぶしく陽を浴び風になびく白い夏服の下から、彼女はショーツを脱ぎ、自分を8ミリ映画に撮る彼に手渡す。

「私が湖に落ちて死んだら、これが形見よ」

 と彼女は言う。その彼女について、

「気をつけろ。目を離すなよ」

 という忠告を、彼は彼女をよく知る人からもらう。

 ふたりは恋人どうしとなる。

 夢中で過ごしたベッドのなかで、

「いま何時?」

 と彼女は彼に聞く。

「こういうときには、いま何時などと言わないでくれ。せめて、今日は何曜日と聞いてくれ」

 と、彼は彼女に言う。

 その彼に対して、おなじ人からふたたび忠告がある。

「愛が足らないか、さもなければ愛し過ぎる。それが人間だ。いずれにせよ、泥沼のなかだよ」

 彼女が幼い頃から大人になるまで過ごした田舎で、彼は彼女の叔父からも、忠告を受ける。

「イヴォンヌは努力しない女だからなあ。それに生粋の田舎娘だ」

 十二年後、おなじ叔父は、現場に戻って回想にひたる彼に、次のように言う。

「イヴォンヌはその日暮らししか出来ない女だった。それがあんたに見抜けてればなあ」

 忠告は、十二年前、別の人からもあった。彼が毎日のようにいった店の顔なじみは、同郷のよしみで彼にこう言った。

「私はあなたより少しだけ年上だから、言わせてもらいます。人生は長い。しっかりなさい」

 彼は彼女を失った。彼女の本質をつかみそこねた彼は、彼女にとっては興味も関心も持てない部分において、彼女とのもっとも強い接点を持とうとしたからだ。十二年後の冬、思い出の場所で、かつてしきりに忠告してくれた人が、次のような言葉で最後の仕上げをしてくれる。

「目を離すなと言っただろう。それとも、見つめ過ぎたのか」

 その人は、

「冬は最低だ」

 としきりに言い、

「きみが見たことのないようなものを見せてやる。最初で最後だ」

 と言い残し、回想する彼にとっての決定的な現在を作り出す。映画の冒頭、回想する彼は暗いなかで顔を炎によって照らされている。勢いよく燃え立ち、やがて小さくなり消えていく炎によって、回想は始まって展開し、過去へ連れ去られる。

 夏の湖を渡る船の上で彼が彼女を撮った8ミリが、褪色を始めた色調で、最後に画面に映し出される。これが手もとに残っただけでも、彼は幸せだと言わなくてはならない、という正解で映画は終わる。

底本:片岡義男エッセイ・コレクション『「彼女」はグッド・デザイン』太田出版 1996年


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2016年1月13日 05:45
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