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国語の勉強は、実はほんとうの社会科の勉強だったという話

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 この教科書を手にするのは、いったい何年ぶりだろう。じつになつかしく、複雑な気持がする。厚い紙にクロスを貼って、がっちりと仕上げた造本だ。すこし古ぼけているけれど、昔のままだ。FUN WITH ENGLISH というタイトルの、国語の教科書だ。小学校1年生のときのものだったと思う。このタイトルを、日本語になんと訳せばいいのだろうか。「英語の楽しみ」「楽しい英語」「英語で楽しく」「英語は楽しい」と、いろんなふうに言えそうだが、どれもみなピンとこない。FUNという簡単な言葉にもいろんなニュアンスがあり、FUNはFUNとして体験的におぼえるよりほかないようだ。

 この教科書が最初に世に出たのは1938年となっている。古い教科書をおさがりで順ぐりにいつまでもつかう習慣があり、この教科書はフィリス・アン・ハンターという女のこからのおさがりだ。彼女の名前が、見かえしに鉛筆で書いてある。1938年というと、アメリカではFDRが第二期目をつとめていて、サンフランシスコのゴールデンゲート橋が完成し、ハイスクーラーたちはベニー・グッドマンのジャズに熱狂していた。そんな時代に生まれた教科書だから、イラストレーションも昔の雰囲気で、それがいまとなってはとてもかわいい。ぼくがつかったのは、さらにずっとあとのことだった。

 目次を見てみよう。「自分の家での生活」「学校へいく」「地域社会での生活」「食べるものや着るものは誰がつくってくれて、どんなふうに自分たちの手に届くのか」「旅行して学ぶこと」「アウトドアの友だち」「遊びと成長」「本のなかに友だちをみつける」「この一年間の勉強をふりかえる」と、こんなぐあいだ。

 日本の小学校1年の国語の教科書とは、内容も態度も、ずいぶんとおもむきがちがっている。人と自分とのつながり、人と人との関係、そして社会の中で人々がどんなふうにおたがいに関係しあって助けたり助けられたりしているか、人と人との関係がいかにピースフルに有効的に社会ぜんたいの役に立っているかーというようなことを国語の勉強をとおして幼いころから叩きこまれるしかけになっている。

 アメリカは、さまざまな人種の移民によって構成された寄り合い世帯だ。ルーツ的な背景も人種によっておたがいに大きくちがっている。この寄り合い世帯をひとつにまとめている全員に共通したひとつのものをしいてあげるなら、現代のアメリカ英語だ。国語は、彼らにとっては、人と人との有効な関係をつくり出して人の役に立たせるための道具なのだ。日本ではのっけから「さいた、さいた、さくらがさいた」となってしまっていたが、こんなふうに詩を読んでその文学的な香りを鑑賞するだけの科目は、アメリカではクラシックスという別な科目になっている。国語の勉強は、さくらが咲いただけではすまないのだ。

 さくらはなぜ咲くか。咲いたさくらを見て、人々はなぜうれしい気持になるか。さくらはどんなふうに人々の生活に役立つか。さくらをきれいに咲かせるために、子供である自分たちはどんなふうにへルプできるか。アメリカの小学校だと、咲いたさくらをこんなぐあいにせめていくにちがいない、と冗談を書いておこう。

 教壇の先生が教科書を読み、一方的に能書きをたれ、生徒はおとなしくそれを聞いているというかたちの授業なんて、まずない。この FUN WITH ENGLISH の第1章は、自分の家、というものについて学ぶようになっている。ボビー・アンド・エレン・スミスという双子の姉弟(きょうだい)が全篇の主人公になって、いろんな話を提供していく。生徒たちは、先生の指名によって、その話のひとつひとつを、クラスに読んできかせる。棒読みなんて、ぜったいにダメ。喋りかける調子で、表情ゆたかに、ほどよいスピードで読む。読んだ話について先生がなにがしかの講釈をしたあと、こんどは生徒の何人かが、たとえば自分の家について、クラスの前で話をする。たとえば、自分の家をどんなふうに楽しんでいるか、というようなテーマを先生がくれるから、それについて喋る。明瞭な発音、ディクションでもって、早すぎもおそすぎもせず、両足に重心をのせてすっくと立ち、誤解の余地やあいまいさなどぜったいなしに、しかも聞いて面白いように喋ることが要求される。生徒たちは、とにかく、喋らせられてばかりいる。自分の家が楽しいのはなぜなのか。それは両親が自分たち子供にいろんなことをしてくれるからであり、自分たちも両親にいろんなことをしてへルプするからだ。へルピングによってエヴリワンがハピーになります、といった調子で人と人との関係のありかたを学んでいく。国語は、アメリカでは、ものすごく基本的な社会科なのだ。クラスにむかってストーリーを読むときには、本からできるだけひんぱんに顔をあげ、クラスの人たちを見るように要求される。クラスにむかってストーリーを読むのも、また人と人との関係のありかたのひとつであり、本に目を落としたままの棒読みでは、人と人との関係はつくれない、というふうに考える。だから、たとえば日本の政治家や実業家が原稿に目を落としたままスピーチしたりすると、ごく基本的なところでルール違反をおかしているように見え、非常に奇異であるばかりか、いっさいの誠意や熱意を放棄しているようにうけとられることだってある。

 この教科書に登場するボビー・アンド・エレン・スミスは、人と人との関係のありかたがいかに社会をつくりあげていくかを具体的に見せてくれる同年齢の友人であり先生であるのだが、日本のジャック・アンド・ベティは、ただ単にジャックでありべティであるだけで、中学1年にもなってジス・イズ・ア・ブックなどと言っている。

 人と人との関係のありかた、社会のしくみ、成長とはなにか、知識とはなにか、といったことを学びつつ、基本的な文法や、自分の考えや提案を明断な文章で書き、かつ語るという能力の土台みたいなものを、この FUN WITH ENGLISH 1冊を手がかりに、叩きこまれる。

(『ブックストアで待ちあわせ』1987年所収)


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2015年11月10日 05:30
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