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ハワイみやげの作りかたーその完璧な一例

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 二月のなかば、西へむけて疾走する退屈なひかり号の二階建てのグリーン席で、

「来月、『エスクァイア』の仕事で、ハワイへいくんですよ」

 と写真家の佐藤秀明さんが僕に言った。『エスクァイア』とは、この雑誌[初出時の掲載媒体]のことだ。 

「佐藤さんひとりでいくのですか」と僕はきいた。 

「僕と、ハシモトと、それからコマザワです」

 ハシモトは本誌編集部の、眉目秀麗の誉れ高い秀英、そしてコマザワとは、フリーランスのライターをしている才色兼備の、ハシモトと甲乙つけがたい秀英だ。 

「カタオカさん、来ませんか」

 と佐藤さんが言った。 

「マウイでは、ホテルはハナ・マウイに泊まって、取材の対象はジェリー・ロペズですよ。だからカタオカさんが来てくれると、スリー・カードはいっきょにフル・ハウスになるんだがなぁ」

 とおだててもらえるのは、単純にうれしい。ジェリーは確かにフルハウス最高手の一枚だが、僕では明らかに役不足だ。パイプ・ラインのあのパイプのなかにむけて、勇敢美麗にテイク・オフしていくジェリーのうしろ姿を、僕は一度だけ見送ったことがある。僕に出来るのはそこまでだ。 

「来てくれたらなあ、とハシモトは言ってますよ」 

「僕の直感として、三人でいったほうがいいですよ。そのほうが、珍道中になります」

 というわけで、僕は取材には参加しないことになった。そのかわりに、ぜひとも短編小説を、そのハワイ特集のなかに書かせてほしい、と佐藤さんを経由して頼んでおいた。この号のどこかに載っているはずの、『三月三日に泣いた人』という短編がそれだ。この短編に登場する八歳の男のこは、昔の僕だ。

 写真家と僕は、その日は神戸に泊まることになっていた。夕食は快速で明石までいき、久しぶりにあの寿司屋さんで食べるといいなどと僕は考え、写真家に打診した。写真家は賛成してくれた。夕食がきまれば、それでその日はすでに上出来だという考えを、僕は持っている。京都で降りないのを残念に思いながら、僕たちは神戸へとさらに接近していった。

 取材班は予定どおりハワイへ出かけた。帰って来てから話を聞くと、その取材旅行は、参勤交代の大名が途中でハワイに立ち寄り、まったく苦しゅうなかったぞ、という感じの豪勢な旅であったらしい。写真家はハワイで初めて試した全自動ペンタックスの素晴らしさについて、僕に語ってくれた。ハシモトはリチャード・カウヒのカセット・テープを一本、おみやげにくれた。レコード店を三軒まわり、やっと一本だけ見つけたそうだ。コマザワは本を三冊に竹笛を一本くれた。本はオキナワがハワイにあたえた影響とか、二世部隊のメモワールとか、たいそうわかりやすいものだった。しかし竹笛は、いくら試してもいまだに音が出せない。おなじような竹笛や尺八などを使って演奏したオリジナル曲のカセットも彼はくれたが、とてもそのような音は出ない。B フラット、D、Eなど、いくつかのキーがあるのだそうだが、僕が試している竹笛はなにのキーなのかすら、いまだに不明だ。

 ジェリー・ロペズに会ってハシモトは感激し、ついでに原稿まで依頼して来た。そしてその原稿は、やがてハシモトの手に届いた。スタンダードな用紙にワード・プロセサーで行間なしにびっしりとプリント・アウトして二ページとちょっと。一九九二年四月十三日の日付と直筆署名入りの、三パラグラフの原稿だった。 波乗り、というものに関して、完璧な極意書のようなものがもしあるとするなら、その本の総論の序文の巻頭言、といった趣きの簡潔な内容を、その原稿は持っていた。波乗りがそれに参加する人の身心にあたえるポジティヴな影響について、ジェリーはワード・プロセサーの文字をとおして語ってくれていた。

 ある春の日の午後、銀座のまんなかにある僕たちいきつけの美しいサロンの丸いテーブルにさしむかいとなって、ハシモトはジェリー・ロペズのオリジナル原稿を僕に読ませてくれた。一読、心を洗われてふとハシモトを見たとき、僕には閃くものがあった。この原稿はハシモトが自分で自分にあたえたハワイ土産ではないかという閃きだ。

 三ページがまだひとつにつながったままのその原稿は、幅が二一・五センチ、長さは八五センチほどだった。このサイズに合わせて、すっきりと美しい額縁を注文して作ってもらい、応接間の壁のよく目立つところにでも掛けておくなら、単なるハワイみやげを超越して、家宝のようなものにすらなり得るではないか。

 ジェリーがその原稿に書いたところによると、彼がもっとも深くに波乗りに巻きこまれた最初の時期は、一九六六年だったという。場所は南カリフォルニア、そしてその当時の彼は大学生だった。一九六六年といえば、波乗りそのものも含めて、その周辺のことがらすべてが、風俗的な流行現象の頂点に到達した時期だ。現場でその様子を観察して過ごした時期が僕にはあるけれど、そうか、あの頃の南カリフォルニアのエンドレス・サマーのなかに、ジェリー・ロペズもいたのか。

 ちょうどその頃の、雑誌『ライフ』の表紙が一枚、僕はじつは佐藤秀明さんの事務所に、壁の飾りとしてプレゼントしようと思って、とってある。ハワイでの波乗りの流行を伝える、ひと目見てまさに一九六〇年代なかばの、あの波乗りの場面を、きわめておおらかにとらえて表紙としたものだ。当時のカラー印刷は、『ライフ』ですら、現在に比べると発展絶望国の印刷物のようだ。それがまたひときわ時代を感じさせるし、いまの日本のカラー印刷よりはるかにいい。佐藤さんのような写真家の事務所の壁に、ぴったりだ。興味を示す来客には、 

「僕が撮りました」

 と佐藤さんは言って楽しむ。

 この『ライフ」の表紙を、きちんと額縁に入れてからプレゼントしようと、僕はかねてより思っている。ついでに、ジェリー・ロペスの原稿も、額縁におさめて佐藤さんの事務所の壁に飾っておくと、原稿にとってそこは最終的な安息の地となるはずだ。右を見れば『ライフ』の表紙、そして左を見ればジェリー・ロペズの署名入りワード・プロセサー直筆原稿。完璧ではないか。ふたつとも僕が額縁に入れて、佐藤さんの事務所へ持っていこう。

 いま僕が住んでいる家の近くに、額縁店がある。『ライフ』の表紙とジェリーの原稿を、ある日のこと、僕はその店まで歩いて持っていく。表紙も原稿も、なんという数奇な運命であることか。良く出来たおみやげというものは、みなそういうものだ。

 じつはその『ライフ』は、いまから二十何年まえ、ホノルル空港の待合室で、 

「これから飛行機かい、それではこれをあげよう。私はもう読んだから」

 と言って、見知らぬアメリカの旅行者が僕にくれたものだ。

『ノートブックに誘惑された』角川文庫 1992年所収
底本:片岡義男エッセイ・コレクション『僕が書いたあの島』太田出版 1995年

今日のリンク|デジタルの光で視る季節|佐藤秀明の写真収録作品刊行

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1992年 1995年 『ノートブックに誘惑された』 エッセイ・コレクション ジェリー・ロペズ ハワイ 佐藤秀明 片岡義男エッセイ・コレクション『僕が書いたあの島』
2016年9月16日 05:30
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