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元帥とイタリア風のスパゲッティ

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 一九四五年(昭和二十年)八月三十日、日本を占領する連合軍の総司令官、ダグラス・マッカーサー元帥とその一行が、フィリピンから神奈川県の厚木飛行場に到着した。当初の予定では八月二十八日に日本へ来るはずだったが、その日の日本には熱帯性低気圧が接近していて気象条件が悪く、三十日に延期されたのだった。

 厚木に降り立った元帥たちのコンヴォイは、そこから横浜のホテルニューグランドへ向かった。仮のGHQ(ジェネラル・ヘッドクオーターズ)がこのホテルに設営されたからだ。元帥自身は三日間だけそこに宿泊したのち、皇居の日比谷濠に面して建つ、第一生命本社ビルヘ移った。そしてそこが正式なGHQとなった。

 厚木に着陸してから横浜へと向かう元帥たちを、カラー・フィルムで撮影した記録映像がヴィデオ・テープで市販されている。小道具のコーン・パイプにサングラスで飛行機から降りて来る元帥の姿とその動きを見ることができる。横浜へ向かうコンヴォイをとらえた映像は、当日の日本の景色の貴重な記録でもある。よく晴れた夏の日の青い空の下には、視界をさえぎるものはなにもなく、気持ち良く広々としている。いちめんに田畑そして林、灌木林の連続であり、畑の土は見るからに健康そうな濃い褐色で、田や林、灌木林などの緑はこれもまた限度いっぱいに濃厚な緑色のまっ盛りだ。

 総司令官を乗せた自動車の前後につらなる隊列が走ったのは、現在の厚木街道だろう。いまの日本とはつながるところのなにひとつない、完全に消え失せた、しかもその事実に当の日本人たちがまったく気づいていず、そのことにいっさい頓着していない、いまとなっては幻のきわみのような、失われた遠い日本がそこにある。景色の端から端まで丹精されつくした結果の、アジアの小国なりに肥沃な故国とも言うべきもので、それは僕の故国であると同時に日本人すべての故国なのだが。ところどころに日本人の男性が、皇国兵士の姿で沿道に立ち、警備についている。やや緊張した様子で道路に背を向けて立っているその姿に、戦前戦中の日本の終わりを見ることができる。

 フィルム映像だけではなくスティル写真も、いま書店で買うことのできる何冊もの本のなかに、数多く収録されている。厚木に降り立った直後のマッカーサー元帥をとらえた写真を、さきほどまで僕は見ていた。コーン・パイプをくわえたまま、尻ポケットに両手をなかば差しこみ、サングラスごしに夏の厚木のどこかに、元帥は視線を向けている。これから相手にする日本はこれなのか、とでも思っていたのだろうか。アイケルバーガーやサザランドといった中将たちが、元帥の両脇をきわめてカジュアルにかためている。

 戦後の日本が始まった瞬間だったと言っていい、ホテルニューグランドでのマッカーサー元帥の三日間の逗留に、じつは、戦後日本におけるスパゲッティ・ナポリタンの始まりの一例が重なっている。『ナポリタン』(上野玲著、二〇〇四年扶桑社刊・二〇〇六年小学館文庫)という本のなかに、その歴史的事実の記述がある。この本はスパゲッティ・ナポリタンをめぐって知りたいことのほとんどを知ることのできる、たいそう貴重で面白い本であり、ナポリタンに関する少なくとも現在では唯一の文献だろう。

 日本を占領したアメリカの軍隊は、大量の食料品を日本へ持ちこんだ。軍隊という大人数で大規模で、あらゆる領域にまたがる大組織にあっては、日々三食ずつまかなう食事の材料、調理施設や器具、その人員など、どこをとっても半端なものではない。占領が始まったばかりの日本各地で、食事を作るための施設を確保し、なければ新設し、材料の安定した供給や配分のルートを確立させ、人員を確保して配置するといった、食事をめぐる膨大な軍事行動に、下級から上級まで、多くの兵士が日夜の格闘を繰り返した。

 占領アメリカ軍が持ちこんだ食料品のなかに、スパゲッティは簡便な必需品として常に大量にあったし、ケチャップはこれがないとあるとではアメリカ人たちの生存にかかわると言っていいほどのものだから、瓶詰ケチャップをぎっしりと何本も詰めた箱が、何万ケースという単位で日本へ継続的に輸送されていた。

『ナポリタン』が執筆された時点での、ホテルニューグランドの四代目総料理長、高橋清一さんは、かつて東京新聞神奈川版に連載エッセイを執筆した。そのなかに次のような記述があるという。『ナポリタン』から引用する。(横浜ニューグランドホテルを高級将校の宿舎として)「接収中の進駐軍はトマトケチャップを持ち込んで、茹でて塩胡椒で味付けしたスパゲッティに和えました。しばらくするとこのケチャップスパゲッティは街の喫茶店でも出されるようになり、日本中で流行しました」(後に加筆訂正の上、高橋清一著『横浜流──すべてはここから始まった』東京新聞出版局刊に収録)。

 茹でて塩胡椒をし、ケチャップで和えたスパゲッティ。他の材料をいっさい使わず、文字どおりこれだけのスパゲッティでも、他国の占領を開始したばかりの軍隊のなかでは、料理として充分に成立した、ということだろう。そして日本占領のごく初期には、このような簡単な料理が兵士たちに供されることもあったのだろう、と推測できる。正式な料理ではなく、あくまでも間に合わせだった。小腹が空くのは下級兵士も高級将校も変わりはなく、高級将校は専属の料理人に「腹がへった」と言えばよく、下級兵士はファースト・クックをつかまえ、「なにか食わせてよ」と言えば、場合によってはなにか作ってもらえたかもしれない。そしてその両方が、戦後が始まった直後の日本で、ケチャップで和えただけのスパゲッティだった可能性は、充分にある。細いスパゲッティは見た目に頼りないし、なよなよした雰囲気があるといった理由でアメリカでは人気は薄く、スパゲッティは太いものが好まれた。

 当時のアメリカ陸軍の正式なレシピ・ブックに掲載されていたスパゲッティ料理は、イタリアン・スタイル・スパゲッティと言い、内容はミートソースだ。トマト、ケチャップ、肉、玉葱、にんにく、パプリカに塩と胡椒を加え、油で炒めてソースとする。イタリアンという言葉は特定のものをピンポイントで意味したものではなく、おおまかにイタリアふうという意味合いで使われたものだ。このボロネーズはかなり手がこんでいる。レシピに誤植がなければ、そのとおりに作ると美味なものとなるだろう。占領が始まったばかりの日本では、正式なレシピのとおりに作ることができず、ケチャップで和えるだけというかたちへいっきに簡略化されたとしても、そこに不思議はなにひとつない。

 スパゲッティ・ウィズ・ミートソースは作るのが簡単だし、缶詰製品の普及で広く人気があったはずだから、軍隊のレシピに加えられても当然だ。当時のインディヴィデュアル・コンバット・レーションという、野戦携行簡易食の組み合わせを構成したもののひとつに、ミート・アンド・スパゲッティという缶詰があった。そしてその当時のアメリカでもっとも人気のあったスパゲッティ料理は、トマト・ソースにミートボールのかたちで肉を加えた、スパゲッティ・ウィズ・ミートボールというものだった。ミートボールをフォークの背中で押しつぶして砕き、スパゲッティぜんたいにまぶして食べれば、それはそのまま、スパゲッティ・ウィズ・ミートソースではないか。そしてそれはもはやイタリー料理ではなく、アメリカの庶民料理の典型のひとつだ。ミートソースあるいはミートボールのスパゲッティは、缶詰としても高い人気を保ち、いまでも市販されていると思う。

『ナポリタン』へ戻ろう。マッカーサー元帥の頃のホテルニューグランドの総料理長は二代目の入江茂忠さんといい、ケチャップで和えただけのスパゲッティには不満があったようだ。だから彼は工夫した。次のような工夫だった。さきほどの引用とおなじく、高橋清一さんのエッセイの一部分を、同じく『ナポリタン』から引用する。

「入江茂忠は苦心の末、トマトケチャップではいかにも味気がないので、刻んだニンニクに玉葱やトマト、トマトペーストを入れオリーブオイルをたっぷり使ったトマトソースを作りました。

 ハム、玉葱、ピーマン、マッシュルームを強火でよく炒め、ゆでたスパゲッティを加えてトマトソースを合わせ、り下ろしたパルメザンチーズとパセリの微塵切りをたくさん振りかけました。

 後に謂れる、当ホテルから誕生したスパゲッティナポリタンである」

「後に謂れる」というひと言に僕は興味を惹かれる。スパゲッティ・ナポリタンは占領初期のホテルニューグランドから始まった、という説がかなり早い段階で巷間に流布していた事実を、このひと言は物語っているように思うからだ。

 ケチャップは使わずにトマト・ソースを作って使っていることには注目したい。自分できちんと作ったトマト・ソースと、瓶のなかから出したケチャップとのあいだにある落差を、ここに学ぶことができる。このとおりに作ると、おそらくもっとも良く出来たスパゲッティ・ナポリタンが出来上がる。ホテルニューグランドのレストランのメニューには、このスパゲッティ・ナポリタンがいまも載っているそうだ。「一三六五円。まろやかで上品な味、さすが本家本元」と、小さな白黒の写真を添えて、『ナポリタン』に紹介されている。

 このスパゲッティを、ナポリタン、と命名したのも入江さんだったという。高橋さんのエッセイに次のような記述があるそうだ。

「中世のころイタリアのナポリでは、トマトから作られたソースをパスタに掛け、路上の屋台で売られていた。貧しい人々の料理である。当ホテルではそれをヒントにスパゲッティナポリタンと呼ぶことにした」

 日本の戦後が始まったその日、と言ってもいい時期に、ごく短い期間だったがGHQが設営されたホテルニューグランドで、入江さんという卓越した人物によって、進駐アメリカ軍の強い影響下に、内容や作りかただけではなくその名称すら決定されたという、どこにも文句のつけようのない、スパゲッティ・ナポリタンの生誕秘話ではないか。スパゲッティ・ナポリタンの発祥や由来をめぐる、これを越える物語はありえない、と誰もがつくづくと得心する。

 高度な知識と体験、つまり高い質をともなった人生時間を生きる人が、創意を発揮してなにかひとつ新しいものを作り出そうとするとき、その人が持っている良きものすべてが一点にしゅうれんし、鋭い針の先端で突いたような穴をひとつ開ける。それまではそこになかった穴だ。すぐれた創意とはそういうものだ。そしてこの場合のそれは、ナポリタンと命名された、日本のスパゲッティ料理だった。いまやすっかりなじみきり、その結果として圧倒的に多くの人たちがなんの不思議さも感じない「ナポリタン」のひと言には、高度な職業人としての自分の見聞にもとづいた、きちんとした根拠があったのだ。「ナポリタン」、というひと言の謎はこれで解けた。

 ここまで書いてきていま突然に思い出したのは、世界じゅうを歩いて仕事をしてきた友人から聞いた、「パスタを茹でるならナポリの水を使え」という言葉だ。ナポリの人たちの日常生活訓のような格言、あるいは自慢話かと思うが、こういう言葉が本当にあるのだという。ものは試しとナポリの水道水や井戸水を飲んでみた友人は、「明らかに海が影響していて、どの水にも海と塩の味がほのかにあった」と言っていた。茹でたパスタに絶妙な塩味がつく、という味だけの話ではなく、茹でられていくパスタに起こる内的変化における、その質の問題だ。沸騰するナポリの水で茹でられていくことによって、パスタの質そのものに、良い変化がもたらされるのだ。

底本:『ナポリへの道』東京書籍 2008年


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2020年8月26日 07:00
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