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これがクリスマスの物語

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 クリスマス3日前のアメリカ本土に僕は到着した。もっと早くに来る予定でいたのだが、途中のハワイでのんびりし過ぎてしまった。

 サンディエーゴの空港に着陸するとき、PAをとおして乗客に挨拶する機長が「良きホリデー・シーズンを過ごされますように」と言ったのをスタートに、クリスマスの当日まで、その年の僕はなぜかほとんどの人から、「メリー・クリスマス」と言われた。

 いまのアメリカふうに、殺風景であることを越えて怖さを感じさせる雰囲気のガス・ステーションで、自分でステーション・ワゴンにガソリンを入れたとき、走り去ろうとする僕をオフィスからの声がとらえた。

 オフィスのほうを見ると、窓のなかにいる男が窓の外の看板を指さしていた。その看板には、クリスマスを祝うメッセージが、派手に手書きしてあった。僕は彼に手を振り、彼は満足そうにうなずいていた。

 会う人ごとに「クリスマスおめでとう」と言われるので、ふと思いついた僕は、ステーショナリーの店に入り、来年のための自分専用のクリスマス・カードを注文した。

 気にいった絵柄のカードをひとつ選び、それに僕の名前を印刷してもらうのだ。僕は75枚注文した。白い封筒がおなじ数だけついて、たしか17ドルほどだった。アメリカでは、基本的必需品は、いまでも驚くほどに安い。

 東京の自宅に送ってもらうよう頼んだ僕に、「ひと月ほどで届くよ。メリー・クリスマス。いいサンタに会えるように!と、中年の店主は言った。

 その日がクリスマスの当日だった。そのすぐあと、ホームレスの人たちを救う運動をしている人から手渡された印刷物は、星の形をしていた。生誕の夜、エルサレムの空にひときわ美しく輝いたという、あの星だ。

 大陸を東にむけて横断しながら、僕は何人かの友人や知人に会った。「アメリカでは資本主義が危機的な局面に達し、日本でも不況のスタートが報じられているのに、きみはすこぶる呑気そうじゃないか。今回はなにをしに来たんだ」と、友人のうちのひとりが僕にきいた。

 日本にいて日本語で僕が書くいくつものストーリーのために、材料を捜しに来たのだと、僕は答えた。「それは残念だ。面白いストーリーをいくつも持っている女性がクリスマスまでこの町にいたのだけれど、クリスマスが終わってすぐにハワイへ帰ったよ。いまはハワイに住んでいるんだ。僕とは幼なじみの親友さ。きみは来るときにハワイへ寄っただろう。帰りにもハワイに寄って、彼女に会えよ。手紙を書いておくから、かならず訪ねてくれ。素晴らしいストーリがいくつも手に入ることは、この僕が保証する」と、友人は熱意をこめて言ってくれた。

 だから僕はその旅の帰り道に、ホノルルでその女性を訪ねた。

 アメリカらしさを中年の女性にして絵に描いたような、魅力的な女性だった。明るく気さくで開放的な彼女の魅力の中心は、科学的で用意周到な、そしてどこかかならず情感に訴えるところのある行動力だった。彼女はホノルルで軽飛行機操縦の教官をしていた。

 港の見える居心地のいい小さな軽食堂で、僕たちはいっしょに遅めの昼食をとった。
「あなたはストーリーを書く人なのですって?」と彼女は言った。
「どんなストーリーを書くの?」
「アメリカらしいストーリーなど、好きですね。ストーリーになりそうな話をください。たとえば、そうクリスマスの話」

 きらっと、彼女のグリーンの瞳が輝いた。

 「私が子供の頃の話を、ジョー・ドンからきいたの?」と彼女は言った。ジョー・ドンとは、彼女を僕に紹介してくれた友人だ。

 「紹介してもらっただけで、話はまだなにも聞いていません」
 「私が生まれて育ったあの町は山裾にあって町を出はずれてしばらくいくと、もう山のなかに入ってしまうのね。人里を遠く離れた山奥に、おたがいに離れて点々と住んでいる人たちが、合計するとかなりいるのよ。私の父親は社会奉仕的な副業として、郵便配達を引き受けていたの。軽飛行機で山の奥まで飛んでいき、月に一度あるいは二度、郵便物を配達していたの。平らな場所の樹を切りはらって、滑走路が作ってあるのよ。雪で埋まる季節には、空から落とすの。買い物の代行も、まるで仕事のように、いつも頼まれていたわね。クリスマスの季節には山の奥は雪で深く埋まっているから、親しい人たちから彼らに届くプレゼントは、父が空から落とすの。子供の私がいっしょに乗っていって開いた窓から吹きこむ冷たい風にむけて私がプレゼントを落としていくの。旋回する飛行機に、雪の地上から手を振っていた人たちの様子を、いまでも私は鮮明に記憶してます」

 というような、ものの見事にアメリカ的な、しかもクリスマスそのもののストーリーを、なんの無理も気取りもなしに、彼女は語ってくれた。

 「ある年の夏、郵便配達から帰って来た父親の飛行機のランディング・ギアが、機体のどこかにひっかかって、出てこなくなったの。無線で連絡を取り合い、手はずをきめて、母親は私をオープン・カーに乗せ、町の空港の滑走路へ出ていったの。滑走路を端から端まで母親はオープン・カーを、まっすぐに疾走させ、私は一端がフックになった鉄の棒を持って、うしろのシートに立ち上がるの。そのオープン・カーのすぐ上を、父親は、おなじ速度で超低空飛行するのよ。私は鉄棒の先端のフックにランディング・ギアをひっかけ、引き降ろしたわ」

 いまとなっては確実に遠い昔の、楽しい思い出のひとつとして、彼女はそんな体験も語ってくれた。

 ごく平凡な、ごく当然の、ごく普通の出来事として、そんな体験を語ることが出来るようになった日々が、つまり彼女のこれまでの人生だ。

 なんという爽快なことだろうかと思いながら、彼女の陽焼けしてしわのある顔や首すじなどを、僕は感銘とともに眺めた。

「こんな話でストーリーになるかしら」
快活な笑顔で、彼女は僕に言った。
「なりますよ」
「ほんと?」
という単純な質問が、びっくりするほどに可愛いかった。
「素晴らしい話です。かならず僕はそれをストーリーに書きます」
「楽しみだわ。雑誌に書くの?」
「雑誌の記事のひとつ、あるいは一冊の本のなかの1章として」
「送ってね」
「送ります」
「私の十代の終わりに、両親たちは私に最高のクリスマス・プレゼントをくれたの。中古だけど軽飛行機を一機、私のものとしてプレゼントしてくれたのよ。なにも知らされないまま、両親に車で空港まで連れていかれて、格納庫のすぐ外に駐機してあるのを父親に指さされ、今年のクリスマスのプレゼントはあれだよと言われたときは、心臓が止まるかと思ったわ」 「止まりませんでしたね」という僕の言葉に、彼女は余裕を持って笑った。そしてゆっくりと左右に首を振り、「確かに、止まらなかったわ」
と、彼女は言った。

(2015年12月25日掲載、『昼月の幸福ーエッセイ41篇に写真を添えて』1995所収)


1995年 『昼月の幸福ーエッセイ41篇に写真を添えて』 アメリカ カード クリスマス ハワイ 写真
2015年12月25日 05:30
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