アイキャッチ画像

秋の雨に百円の珈琲を

縦書きで読む

LinkedIn にシェア
LINEで送る
Pocket

 十月初めの平日、雨は朝から降っていた。昼前に窓から外を見たら、雨はやんでいた。たたんだ傘を持って人が歩いていた。雨は降ったりやんだりの一日なのだ、と僕は思った。夕方近く、自宅を出ていつもの私鉄駅へ歩いていくとき、僕は傘をさした。数日前に六百五十円で購入した透明なヴィニールの傘だ。

 友人たちと夕食の約束があった。私鉄に乗ったのはそのためだ。各駅停車の電車で四十分ほどぼんやりしていると、降りる駅だった。だから僕はその駅で降り、いくつかの用事で三十分ほど過ごしたあと、夕食の店へ向かった。店の奥にひとつだけあるテーブルに、男性の友人たちふたりがすでに来ていた。僕がそこに加わってすぐに、女性ひとりがあらわれ、僕たちは四人として完成した。

 イタリー料理の夕食は、いつものとおり、素晴らしい出来ばえだった。僕たちは料理を楽しんだ。料理を楽しむということは、じつにいろんな話が四人のあいだを飛び交う、ということでもあった。しかし、それがどのような話だったのかは、つい先日のことなのに、もはやなにも覚えていない。

 デザートと珈琲の時間には、珈琲をめぐってさまざまな話題が出た。そしてその最後に、コンヴィニエンス・ストアで買うことの出来る一杯が百円の珈琲について、男性のうちのひとりが話題にした。話はひとしきり続いた。その話が落ち着く先はこの僕だった。

「カタオカさん。コンビニの百円珈琲をまだ飲んだことがないでしょう」

 と、男性のひとりが言った。

 そのつど豆を挽いては、自分で紙コップに店先で作る珈琲が百円であることは、僕ですら知っていた。しかし、それを飲んでみたことは、確かに、まだ一度もなかった。

「このあと、いきましょう。ここから駅に向かって歩くと、駅のすぐ手前に、コンビニがあります。そこに百円珈琲がありますから」

「いま飲んでるこの珈琲の二杯目だと思えばいいんですよ」

 と、僕の右隣の男性が言った。

「なにごとも体験してみなくては」

 テーブルをはさんで斜め向かい側の席で美しくしている女性がそう言い、それが結論となった。十月初めの雨の夜、僕はコンヴィニエンス・ストアの一杯が百円の珈琲を、体験することとなった。

 イタリー料理の店を出ると、ごく軽く雨が降っていた。駅までゆっくり歩いて五分ほどだ。透明なヴィニールの傘ごしに、僕は雨の夜の景色を受けとめた。

 どこからどこまでが雨なのか、と僕は思った。いま雨は夜の空から降って来る。そのときすでに、雨は雨だし、地上に降り落ちてすべての物を濡らすときにも、濡れた状態はすべて雨ではないか。雨はどこにいるのか。雨はいたるところにいる。

 僕がさしている傘の表面に落ちる小さな雨滴はあきらかに雨だ。僕が履いているトレッキング・ブーツの、ヴィブラム底が踏んでいる路面が濡れているのは、そこに雨滴がいくつも続けて落下したからだ。雨の日には、すべてが雨なのだ。ここからここまでが雨です、と切り取ることは出来ない。雨の日には雨のすべてを丸ごと受けとめなくてはいけない。

 駅のすぐ手前まで歩き、駅前の道を左へいって別の商店街に入ると、すぐ左側にコンビニがあった。コンヴィニエンス・ストアとは書かずに、コンビニと書いてみる。雨の夜はコンビニも雨だろうか。店の入口で僕たちはそれぞれに傘をたたんだ。そして店に入った。

 カウンターのいちばん手前にコーヒー・マシーンがあった。紙コップ一杯が百円の珈琲を、客の目の前で作るマシーンだ。男性のひとりが操作方法を教えてくれた。そのとおりに操作すると、紙コップのなかにちょうどいい量の熱い珈琲が、静かに満ちた。

 店にはイート・インのスペースがあった。店の片側に、壁がまっすぐではなく四角く窪んだ部分があり、そこに椅子とテーブルをいくつかずつただ置いておけば、そこはイート・インのための場所になるのだった。壁ぎわにテーブルがひとつ空いていた。僕たちは椅子を四つそこに寄せてすわった。四人の前にはおなじ紙コップがあった。四人ともおなじ珈琲だという。僕たちはその珈琲を飲んだ。初めてなのは僕だけだった。悪くないではないか、と僕は思った。

 余計なものが可能なかぎり削ぎ落とされた結果の、一杯百円なのだ。余計なもののほとんどないことの良さが、その珈琲の良さだった。これも雨の一部分なのだろうかと、その珈琲を飲みながら僕は思った。

『抒情文芸』2019年冬号


2019年 イタリー料理 コンビニ チョイス 十月 抒情文芸 珈琲 百円 紙コップ 電車
2020年3月3日 07:00
サポータ募集中