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犬にでもくれてやれ

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この作品は、『日本語の外へ』「第1部 アメリカ──湾岸戦争を観察した」
に収録されたものです。

 クエートという国は、イギリスの都合によって、あるときいきなり作られた。都合とは、中東に対するイラクの影響力を削ぐことだ。イラクにとっての障害物として、イギリスは勝手に線を引いて、クエートを作った。一九二一年のことだ。同族経営の石油会社、という内容の国だ。自由や民主という観点から言うなら、現在でもこの国は箸にも棒にもかからない。

 中東の石油はヨーロッパによって支配されてきた。中心であったイギリスに、やがてアメリカがとって代わった。一九五八年から、アメリカは中東へ好き勝手な干渉を開始した。こちらの政府をつぶし、情勢が変わるとこんどはそちらの政府をくつがえす、というような工作の連続のなかで、石油と支配とそのための軍事プレゼンスの確立を、アメリカは画策していった。

 一九八〇年にイラン・イラク戦争が始まった。これはアメリカの工作によるものだ。アメリカの承認を得て、イラクがイランに戦争をしかけた。アメリカはどちらの国にも援助をし、戦争を八年間も続けさせた。この戦争が終わるとすぐに、こんどはイラクを、アメリカは敵として想定し始めた。このことの延長線の上に、湾岸戦争はある。

 サウディ・アラビアには、アメリカの最先端軍事技術の詰まった、アメリカによるアメリカのための軍事施設が、すでに完成していた。基地だけで二十か所を数え、地下の巨大で堅牢ないくつかの基地を含めて、全体としての能力はすさまじい攻撃力であるという、まさに支配のための、国外での最前線のひとつだ。準備は整っていた。路線は敷いてあった。

 ペルシア湾地域への支配権を獲得しようとする外部勢力によるすべての試みは、アメリカにとっての死活的な国益に対する挑戦や攻撃であると理解し、それらをアメリカは徹底的に攻撃して撃退する、というような意志と方針の決定が、一九八〇年に、アメリカの上下両院でなされた。カーター大統領の頃だ。そしてこの二年ほどあとには、徹底的に攻撃して撃退するための、緊急展開部隊が創設されたと、僕は記憶している。

 国連が決議したとかいう、イラクに対する最後通牒としての撤退期限というものを、記憶しているだろうか。一九九一年一月十六日、東部標準時で午後七時。この時刻が過ぎたなら、イラクに対する攻撃を開始するよう、ブッシュ大統領はノーマン・シュワルツコフに命令した。「戦争がリアル・タイムで茶の間に飛び込んでくる」という馬鹿げた言いかたが日本のTV報道でなされたが、この馬鹿げた言いかたも、連合軍による攻撃開始だけに関しては、正しいと言ってもいい。アメリカ国内での、夜の時間の最初のニュースという、TVのプライム・タイムに合わせた撤退期限の時間だったのだから。

 中東にもし石油がなかったなら、中東に対するアメリカの態度は、「犬にでもくれてやれでしかない」と、アメリカのTVニュースの記者が、アラビアの砂漠を歩きながら報道していた。クエートやイラクのあたりには膨大な埋蔵量の石油がある。どの国もその石油を売って自国の経済の土台としている。イラクもそうだ。石油の価格は安定しているのがもっとも好ましい。だがクエートは、価格安定という基本ルールを無視して増産に増産を重ね、結果として原油価格を下落させた。

 そのつどイラクは交渉で問題を解決しようとした。土中深くを斜めに掘削する技術をアメリカから提供してもらい、イラクの油田に向けて斜めに掘り、クエートは原油を盗んだという。交渉で解決しようとするイラクに対して、クエートは一貫して挑戦的だった。アメリカは戦争の準備を続け、イラクを孤立させるためのキャンペーンを展開した。核、化学、生物などの兵器を持ってなおも軍備を拡大しているイラクは、中東全域とその石油の支配を企てている、という情報戦争だ。このキャンペーンは、西側によるイラクに対する経済制裁へと実ったし、悪者としてのサダムのイメージを巨大に拡大することにも成功した。

 イラクがクエートに侵攻してからのアメリカの動きは、素晴らしく速かった。イラクを可能なかぎり悪者に仕立て上げること。国連を使って西側を連合国としてひとつにまとめること。そして戦争のために世界じゅうからアメリカの軍隊をサウディ・アラビアに向けて大動員すること。この三つが重なって突進していく様子を、こういうものを見るのもひょっとしたらこれが最後かもしれない、と思いながら僕は間接的に見た。

 これは石油のためにアメリカが勝手におこなおうとしている戦争だ、という意見は日本のなかでも最初からあった。それは言ってはいけない、とたしなめる意見もあった。現代の世界では許しがたい軍事暴力に対する、自由と民主の世界ぜんたいからの応戦である、ととらえるべきだと説く意見だ。どの意見に加担しようとも、間違いなくはっきりと見えてくるものが、ひとつあったはずだ。西側つまり先進国における生活は、すべて安い石油の上に成立していて、その石油は中東で産出されているという、どうごまかしようもない事実だ。

 石油は驚嘆するほど安い。この当時、原油は一バレルにつき二十四ドル、そしてガソリンはアメリカ国内で一ガロンにつき一ドル三十八セントだった。先進国の生活は、中東からのこのような安い石油の上に立って、一蓮托生だ。先進国以外の国、つまり生活の土台が安い石油であるという段階にまでまだ到達していない国は、この構図にまったく関係ない。ちなみに、高度経済成長期の日本は、原油を一バレル五ドルで買えていた。これは高くなってからの値段であり、それ以前は二ドルしなかった。

 九月十五日、アメリカ軍の動員には遅れが出ているという報道を、アメリカ国内のTVニュースで僕は見た。海路による輸送のための予備の船舶群が、軍事予算の削減の影響を受けて機能が落ちているからだ、という説明がされていた。部分的には機能不全のところがあっても、ぜんたいとしてアメリカ軍の動員はすさまじい速度で進行していた。九月十七日には、八月二日からの動員総数は十七万七千名に達し、その経費は二十億ドルに達したという。動員開始から五十五日めになると、動員数はこれより二万名増え、経費は三十億ドルに達したそうだ。必要がなくなればただちに引き上げるが、必要なあいだはいつまでも無期限に、六か月交替で中東に駐在する、という方針が決定された。アメリカ市場での原油の価格は、早くも四十ドル近くまで上昇していた。

底本:『日本語の外へ』角川文庫 2003年


『日本語の外へ』 アメリカを知っているのか?
2018年8月3日 00:00